EP 31
焦熱の粉末(生石灰)と、近隣村への緊急出撃
アズマが軍閥から『取り扱い注意指定』を受けた翌日の昼下がり。
便利屋アズマの店内に置かれていた『特定小電力トランシーバー』が、不意にけたたましい着信音を鳴らした。
アズマが通信ボタンを押すと、ノイズの向こうからガストン司令官の切羽詰まった声が飛び込んできた。
『アズマ! 聞こえるか! 緊急事態だ!』
「司令官? どうしたんですか、そんなに慌てて」
『都市の東にある農業村、ラト村の防衛線が破られた! 雨季の大雨で増水した川から、大量の【マッドトロール】の群れが押し寄せている! 正規軍の到着にはあと二時間かかる。このままでは村が蹂躙される!』
マッドトロール。泥と水を主成分とする粘菌状の巨大な魔獣で、物理攻撃を吸収して再生する厄介な性質を持つ。
『お前の持つその「念話の箱」の通信テストも兼ねて連絡した! アズマ、お前の機動力と罠で、軍が到着するまで村を持たせられないか!?』
「……分かりました。キャルル、いけるか!?」
アズマが振り返ると、すでにダブルトンファーを腰に帯びたキャルルが、ウサギ耳をピンと立てて頷いていた。
「はい。私の全力疾走なら、ラト村まで十分で到着できます。ですがアズマさん、振り落とされないようにしっかり掴まっていてくださいね」
「えっ?」
次の瞬間、キャルルがアズマの身体を軽々と『お姫様抱っこ』で持ち上げた。
「え、ちょっ、キャルル!?」
「リーザちゃん、お留守番と無線の監視をお願いします! いきますよ、月影流・瞬動ッ!」
ドゴォォォォンッ!!
キャルルが床を蹴った瞬間、便利屋の扉が爆風で吹き飛び、二人の身体は文字通り『音速』の壁を突破した。
「ぎゃああああああああっ!?」
周囲の景色が線のように流れ、猛烈なG(重力加速度)と風圧がアズマの顔面をぐちゃぐちゃに歪める。120馬力の脚力を持つ月兎族の全力疾走は、もはや人間を運ぶ弾道ミサイルであった。
(い、異世界人の身体能力、やっぱりバグりすぎだろぉぉ……ッ!)
アズマは白目を剥きながら、キャルルの首にしがみつくことしかできなかった。
❖❖❖
十分後。
ラト村の入り口を流れる、増水して泥沼のようになった浅瀬の川。
そこには、身長三メートルを超える泥の塊――マッドトロールが数十匹も群れをなし、絶望して逃げ惑う村人たちへと迫っていた。
そこへ、轟音と共に土煙を上げてキャルルが着地した。
「ゲホッ、ゴホッ……着いた、か……!」
アズマは地面に転がり落ち、胃の中身を吐き出しそうになりながらも、即座に現場の状況を視認した。
敵は泥と水の化け物。剣で斬ってもすぐに泥が融合して再生してしまうため、村の自警団の武器は全く通用していない。
(……ガストンさんが言っていた。『お前の道具は、使い方次第で世界を救う英雄の力にもなる』と)
アズマは前世では、ただのホームセンターの副店長だった。
だが今、自分の知識と日用品があれば、目の前で泣き叫ぶ子供たちや、逃げ惑う村人たちの命を救うことができる。
ただの便利屋ではない。俺は今日、命を救うためにこの力を使う!
「キャルル! 俺が泥沼の川岸に大量の袋を出す! それを敵の足元に向かって、中身をぶちまけるように全力で投げつけろ!」
「了解です!」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開き、かつてない大量のポイントを消費した。
(農業・土壌改良カテゴリー。20CP消費! 残高50,062CP!)
虚空からドサドサッと音を立てて現れたのは、一袋二十キロもある分厚いクラフト紙の袋、数十個だった。
表面には『工業・農業用 生石灰(酸化カルシウム)』とデカデカと書かれている。
「いきますっ! 月影流・投石雨!」
キャルルが恐るべき筋力で、二十キロの袋を次々と片手で掴み、マッドトロールの群れがひしめく泥沼へと豪速球で投げ込んだ。
ボフッ! バサァァァッ!
泥沼に叩きつけられた袋が破裂し、中から真っ白な粉末が猛烈な勢いで撒き散らされる。
マッドトロールの身体を構成する泥水と、川の水分。そこに『生石灰』が大量に混ざり合った瞬間。
ボコボコボコッ! シュゴォォォォォォッ!!!
「「「ギギャァァァァァァァァァッ!?」」」
突如として、マッドトロールたちが鼓膜を劈くような凄まじい断末魔の悲鳴を上げた。
泥沼の水が一瞬にして沸騰し、彼らの足元から超高温の白い水蒸気が火山の噴火のように噴き上がったのだ。
「な、なんですかこれ!? 泥水が沸騰して、魔獣の身体がドロドロに溶けていきます!」
キャルルが戦慄の声を上げる。
「生石灰(酸化カルシウム)は、水と化学反応を起こして『消石灰』に変わる時、三百度を超える凄まじい発熱(水和熱)を起こすんだ」
アズマは立ち上る熱気から顔を庇いながら叫んだ。
「おまけに、反応してできた水溶液は『強アルカリ性』の劇薬になる! 泥と水でできたマッドトロールにとっては、全身の水分を沸騰させられながら、細胞を強アルカリで溶かされる『焦熱の地獄』そのものだ!」
前世では、土壌の酸性を中和したり、水と混ぜて弁当を温める発熱剤として使われていた生石灰。
だが、水分を豊富に含む敵に対して大量にぶちまければ、それは火も魔法も使わずに敵を焼き尽くす、恐るべき化学兵器へと変貌するのだ。
「ギィィ……ッ」
再生能力を誇っていたマッドトロールたちも、身体の水分を強制的に沸騰・蒸発させられては為す術がない。彼らは次々と水分を失ってカチカチの石灰の塊となり、泥沼の中に崩れ落ちていった。
圧倒的な光景を前に、逃げ惑っていた村人たちが息を呑み、やがて割れんばかりの歓声を上げた。
「す、すげえええっ! たった二人で、軍隊でも止められない群れを全滅させちまったぞ!」
「神様だ! 神様のお使いが来てくださったんだ!」
涙を流して拝み倒してくる村人たちを見て、アズマは自分の手のひらを見つめた。
これが、俺の力。人を救い、同時に大軍を容易く滅ぼす劇薬(F2)。
便利屋アズマが、明確に『英雄』としての道を歩み始めた瞬間だった。
『ピンポンパンポーン♪ 己の知識を人命救助のために解放し、村を一つ救い上げた英雄的善行ボーナスで、50CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は刑務所の採石場で異常なスピードで岩を砕き続けた結果、囚人たちから「アネゴ」と慕われ始め、現在刑務所内の闇のドンとして君臨し始めておりまーす♪』
(神様、ついに裏社会の頂点に立とうとしてる……!)
感動的な余韻を台無しにするシステム音声にアズマが頭を抱え、残高が50,112CPへと跳ね上がった、その時だった。
――バサッ、バサァッ!!
突如、上空から巨大な影が村を覆い隠した。
アズマとキャルルが見上げると、そこにはマッドトロールの群れなど比較にならないほどの巨体を誇る、四枚の翼を持った凶悪な飛竜が、空を旋回しながらこちらを睨み下ろしていた。
「しまっ……! マッドトロールは、あいつから逃げるために川を下ってきただけだったのか!」
キャルルがトンファーを構え直すが、相手は遥か上空だ。近接戦闘の彼女の攻撃は届かず、生石灰の罠も空中の敵には意味をなさない。
「グルルルルルッ!!」
飛竜が口を大きく開き、アズマたちへ向けて致死の風のブレスを放つべく急降下を開始した。
絶体絶命の危機。
空から迫る新たな脅威との、真の死闘が今まさに始まろうとしていた。




