EP 27
魔法の滑水と、街の便利屋の初仕事
傾いていたボロ屋の床を張り替え、綺麗に清掃を終えた翌日。
大通りから少し入った路地に面したその建物の入り口に、真新しい木彫りの看板が掲げられた。
『万事解決 便利屋アズマ』
「さあさあ、そこの奥様! 日常のちょっとしたお困りごとはありませんか!? 今なら絶世のアイドルが極上のスマイルで受付いたしますわよーっ!」
建物の前で、小豆色ジャージを綺麗に洗濯したリーザが、元気いっぱいに客引きの声を上げている。
昨日までの凄惨な廃坑での死闘が嘘のように、平和な朝の風景だった。
アズマは店内に置いたカウンター越しに、その様子を満足げに眺めていた。魔獣討伐もいいが、やはり自分にはこういう「街の裏方」としての仕事の方が性に合っている。
「アズマさん、本当にお客さんなんて来るんでしょうか。冒険者ギルドを通さない依頼なんて、普通は信用されませんよ?」
隣でウサギ耳を揺らすキャルルが、少し心配そうに外を窺っている。
「最初はそんなもんだよ。地道な口コミが、現場仕事の一番の営業になるんだ」
アズマが笑って答えた、その時だった。
「あのぅ……ここ、困りごとを解決してくれるって、本当かい?」
おずおずと店に入ってきたのは、白いエプロンを着たふくよかな中年女性だった。手には小麦粉がべっとりとついている。
「いらっしゃいませ。俺は店主のアズマです。どうかされましたか?」
「向かいの通りでパン屋をやってるマーサっていうんだけどね……。実は、厨房の裏口にある分厚い鉄扉の蝶番が完全に錆び付いちまって、男手じゃないと開かなくなっちまったんだよ」
マーサがため息をつきながら事情を語る。
異世界特有の湿気と、パン屋の厨房から出る蒸気が原因で、重厚な防犯用の鉄扉がギシギシと悲鳴を上げ、遂には大人の力でもビクともしなくなったらしい。
「ドワーフの鍛冶屋に修理を頼んだら、『こりゃあ扉ごと外して錆を焼き切らねえとダメだ、銀貨三枚はかかる』って言われちまってね。うちみたいな小さなパン屋に、そんな余裕はないんだよ……」
「なるほど。状況は分かりました。ちょっと見に行きましょうか」
アズマはキャルルとリーザを連れて、マーサのパン屋へと向かった。
厨房の裏口に案内されると、そこには高さ二メートルを超える分厚い鉄扉があった。蝶番の部分は赤茶色の錆で完全に覆われ、金属同士が癒着してしまっている。
「キャルル、ちょっとお前の力で開けてみてくれないか」
「分かりました。ふっ!」
キャルルが鉄扉の取っ手を掴み、力を込める。
ギギギギギギィィィッ!!
鼓膜を劈くような凄まじい金属の摩擦音が響き、扉が僅かに動いたが、120馬力を誇る月兎族の力をもってしても、スムーズには開かない。
「……これはひどいですね。完全に錆が噛み込んでいて、無理に開ければ壁の枠ごと破壊してしまいます」
「だろう? 毎日小麦粉の袋を運ぶのに、この扉が開かないと本当に不便でねぇ……」
マーサが肩を落とす。
「大丈夫です。扉を外す必要も、銀貨三枚もいりませんよ」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開き、2CPを消費した。
(残高は50,052CPだ)
虚空から取り出したのは、赤いノズルが付いた青と黄色のスプレー缶だった。
「アズマさん、それは……前に魔獣を滑らせたシリコンのスプレーですか?」
「いや、こっちは金属の錆に特化した『浸透防錆潤滑スプレー』だ。シリコンよりもさらに微小な油の粒子が、錆の隙間に浸透していくんだ」
アズマは赤い極細ノズルを、錆び付いた蝶番の隙間に当て、プシュッ、プシュッと数回吹きかけた。
そして、扉の取っ手を軽く前後に揺らす。
「スプレーの中の極小の油分が、金属の表面から水分と酸素を追い出して、ミクロの隙間に入り込んでいく。そして、強力な油膜を作って摩擦をなくすんだ」
数秒後。
アズマが扉の取っ手を指一本で軽く押した瞬間。
――スゥゥッ。
先ほどまでキャルルの怪力でも悲鳴を上げていた数百キロの鉄扉が、まるで空気を撫でるかのように、音もなく滑らかに開ききった。
「なっ……!?」
マーサが小麦粉のついた手で口を覆い、キャルルも驚愕にウサギ耳をピンと立てた。
「嘘だろう……!? 熱も魔法も使わず、ただ変な筒から水を数滴吹きかけただけで、ドワーフでも直せなかった癒着が完全に解けたっていうのかい!?」
「金属同士が擦れる場所に、油のクッションを挟み込んだだけですよ。これでしばらくは、小指一本でも開けられます」
「信じられん……摩擦の概念を消し去る魔法の滑水……!」
キャルルが真剣な顔で扉を何度も開け閉めし、「これなら、敵地に潜入する時に扉の音を完全に消せますね……!」と物騒な戦術を呟いている。
「あ、あの! アズマさん! ついでに、もう一つ頼めないかい!?」
マーサが興奮気味に、厨房の窓を指差した。
そこには、虫除けのための細かな金属網が張られていたが、中央部分が十センチほどポッカリと破れてしまっていた。
「この破れ目から『灰羽虫』が入ってきて、パンの生地に卵を産み付けようとするんだ! この防虫網を張り替えるには金貨が一枚かかるって言われてて……」
「なるほど。これも張り替える必要はありません」
アズマは再びカタログを開き、1CPを消費した。(残高50,051CP)
取り出したのは、小さな正方形のシールのようなものだ。
「これは『網戸補修シール』。ガラス繊維でできた丈夫な網目に、強力な粘着テープがついています」
アズマは破れた網の汚れを軽く拭き取ると、その上からペタリとシールを貼り付けた。
「風を通す網目の構造を保ったまま、破れた部分だけを物理的に塞ぐんです。これで虫は絶対に入れません」
「ひゃああっ! 破れた網が一瞬で元通りに!? あんた、とんでもない錬金術師じゃないか!」
マーサが感動のあまり、アズマの手を力強く握りしめた。
「ありがとう、本当にありがとう! 代金はいくらだい!? これなら銀貨五枚でも安いよ!」
マーサが慌てて財布を取り出そうとするが、アズマは優しく首を振った。
「いえ、ほんの数分の作業ですから。お金はいりませんよ。その代わり……」
アズマは厨房から漂ってくる、香ばしい匂いの方へ視線を向けた。
「ちょうどお昼時で腹が減りまして。その焼き立てのパンを、三人分いただいてもいいですか?」
「えっ……? あ、ああ! もちろんさ! うちの特製チーズパンと、甘い果実パンを山ほど持っていきな!」
マーサは泣きそうな顔で何度も頭を下げ、紙袋いっぱいの温かいパンを持たせてくれた。
「アズマ様! パンですわ! チーズがとろとろで最高に美味しいですの!」
帰りの道中、さっそくパンにかじりついたリーザが幸せそうに頬を緩める。
「ふふっ、美味しいですね。でもアズマさん、あんなにすごい魔法の道具を使ったのに、パンだけで良かったんですか?」
キャルルが不思議そうに尋ねる。
「ああ。俺の目的は、大金を稼ぐことじゃないからな。街の人たちが困った時に『アズマに頼めばなんとかなる』って思ってもらえる、その信用が一番の財産になるんだ」
アズマが笑ってパンを齧ると、温かいチーズの塩気と小麦の甘さが、仕事後の身体に優しく染み渡った。
『ピンポンパンポーン♪ 善良な市民の悩みを解決し、街のインフラを無償で改善した善行ボーナスで、15CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は裸足で歩き続けた結果、足の裏が鍛え上げられて鋼のような硬さになり、現在『裸足の聖女』として地元のホームレスたちから謎の崇拝を集め始めておりまーす♪』
(神様が変な方向に進化し始めたぞ……!)
脳内の斜め上すぎるシステム音声に盛大にツッコミを入れつつ、アズマの残高は50,066CPとなった。
パン屋のマーサの口コミは、主婦たちのネットワークを通じてあっという間に街中に広がり、『便利屋アズマ』の名前は、冒険者ギルドだけでなく、一般市民の間でも確かな信頼と共に轟き始めるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




