EP 24
白煙の毒霧(燻煙殺虫剤)と、坑道の完全制圧
光の届かない完全なる暗黒の廃坑。
だが、アズマとキャルルの額に装着された『LEDヘッドライト』が放つ強烈な純白の光束は、闇に潜むシャドウスパイダーの群れを白日の下に晒していた。
「ギチギチギチッ!!」
先手を取られたことに激昂した蜘蛛たちが、天井や壁から一斉に襲いかかってくる。その口から、獲物を絡め取るための強靭で粘着性のある白糸が、網のように広がって射出された。
暗闇であれば完全に死角からの攻撃となるはずのその糸も、ヘッドライトの光の前では、空中に浮かぶ一本一本の軌道までが鮮明に可視化されていた。
「見えます! 糸の軌道も、敵の重心も、すべてが真昼のように!」
キャルルがエメラルドグリーンの瞳を鋭く細め、前へと踏み込んだ。
彼女の両手に握られた鋼鉄のダブルトンファー。その回転軸には、昨日アズマが塗り込んだ『モリブデングリース』が完璧な油膜を形成している。
ヒュンッ! ヒュルルルルッ!!
キャルルが手首を返した瞬間、トンファーは摩擦抵抗を完全に無視した恐るべき速度で回転し、彼女の全身を覆う『鋼の旋風』へと変貌した。
「月影流・円月防壁ッ!」
飛来する粘着糸の網が、超高速回転するトンファーの弾幕に触れた端から弾き飛ばされ、あるいは巻き取られて粉々に引きちぎられていく。
「すごいですわキャルルさん! 一歩も引いていませんの!」
アズマの背中に隠れたリーザが歓声を上げる。
だが、アズマの表情は険しかった。
(ヘッドライトの視界とグリースのおかげで防御は完璧だ。だが、敵は虫……本能的に近接戦闘の不利を悟ったな)
シャドウスパイダーたちはキャルルの防壁を突破できないと見るや、直接攻撃を諦め、坑道の高い天井付近へとスルスルと後退していった。
そして数十匹の群れが天井に陣取り、一斉に腹部をアズマたちへ向けたのだ。
「マズいですねアズマさん。あんな高所に陣取られて、上から一斉に糸を吐き続けられれば、いずれ防ぎきれなくなります!」
「ああ。それに、下手に近づけば上からの死角を突かれる。……なら、直接殴りに行かずに、あいつらのいる『空間そのもの』を攻撃する」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を猛スピードで開いた。
(害虫駆除カテゴリー。消費は三個で15CP。残高は50,019CPだ!)
虚空から取り出したのは、円柱形のプラスチック容器三個と、水が入ったペットボトルだった。
「キャルル、リーザ! これを口と鼻に当てて、息を少し止めててくれ!」
アズマは二人に水で濡らしたタオルを手渡し、素早く前方の地面に三つの容器を等間隔で配置した。そして、容器の中央にある金属缶の隙間に向かって、ペットボトルの水を注ぎ込む。
「水……? アズマさん、それは一体?」
「『水ではじめるタイプの燻煙殺虫剤』だ」
アズマが水を注ぎ終え、キャルルたちの位置まで後退した直後だった。
シューーーーーッ!!
容器の中から、突如として凄まじい勢いで真っ白な煙が噴き出し始めた。
煙はあっという間に膨張し、逃げ場のない坑道の中を前へ前へと、濃密な白い霧となって充満していく。
「ギチッ!? ギギャァァァアアアッ!?」
白煙に巻かれたシャドウスパイダーたちが、天井で突如として狂乱したように暴れ始めた。八本の脚を痙攣させ、自らの糸を吐き散らしながら、次々とボトボトと地面に墜落してくる。
「なっ……なんですかこの煙は!? 吸い込んだ魔獣が、一瞬で断末魔の苦しみを上げて墜落しています!」
タオル越しに、キャルルが驚愕の声を上げた。
「煙の正体は『ピレスロイド』っていう殺虫成分を微粒子にしたものだよ」
アズマがタオルで口を覆いながら説明する。
「容器の中に入っている生石灰が水と反応して、一気に高温の熱を出す。その熱で殺虫成分を蒸発させて、煙として空間の隅々にまで行き渡らせるんだ。ピレスロイドは虫の神経細胞に直接作用して、異常な興奮状態を引き起こし、痙攣させて死に至らしめる。虫や蜘蛛の類にとっては、絶対に逃れられない猛毒の霧さ」
「水と粉の反応だけで、空間すべてを制圧する白煙の毒霧を生み出すなんて……!」
「ちなみに、人間やウサギ、人魚みたいな哺乳類・魚類の体内に入っても、酵素ですぐに分解されて体外に排出されるから、少し吸ったくらいじゃ無害だ。まあ、煙たいから吸わないに越したことはないけどな」
数十秒後、煙が坑道の奥へと流れていくと、そこには地獄絵図が広がっていた。
数十匹のシャドウスパイダーが地面に転がり、脚をピクピクと痙攣させて完全に戦闘不能に陥っている。
「よし、キャルル! 煙の成分で麻痺している間に、トドメを刺してくれ!」
「はいっ! 月影流・双牙の型!」
キャルルが白煙の残る坑道へと飛び込み、モリブデングリースで強化されたダブルトンファーを容赦なく振り下ろした。
ドゴォッ! メチャッ!
反撃すらできない蜘蛛たちの甲殻が、次々と紙くずのように粉砕されていく。
もはやそれは戦闘ではなく、ただの「害虫駆除の事後処理(清掃)」であった。
数分後。
廃坑の中層を占拠していたシャドウスパイダーの群れは、ただの一匹も逃すことなく全滅した。アズマたちは無傷のまま、彼らの体内から高価な闇属性の魔石を大量に回収することに成功したのである。
『ピンポンパンポーン♪ 廃坑の害虫を安全かつ大規模に駆除し、労働環境を劇的に改善した善行ボーナスで、25CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は神界の公園で食べられる野草を探していたところ、毒草に当たってしまい、現在顔面を紫色に腫らして救急搬送中でーす♪』
(神様のサバイバル能力が低すぎて命の危機に瀕してる……!)
システム音声のあまりの自業自得っぷりにツッコミを入れる気力も失せつつ、アズマの残高は50,044CPに跳ね上がった。
「ふう。終わりましたね、アズマさん」
返り血一つ浴びていないキャルルが、トンファーを腰に収めて戻ってくる。そのエメラルドグリーンの瞳には、アズマの戦術に対する絶対的な信頼が宿っていた。
「アズマ様! この魔石、全部売ったら大金持ちですわーっ!」
リーザが両手に抱えきれないほどの魔石を持ち、歓喜の舞を踊っている。
「ああ、これでこの廃坑も安全に採掘できるな」
アズマは額のヘッドライトの明かりで、静まり返った坑道を照らした。
強力な光で暗闇を切り裂き、安全な位置から化学の煙で敵を制圧する。元ホームセンター副店長の容赦なき現場哲学は、凶悪な魔獣の巣窟すらも、完全なる「安全第一の仕事場」へと作り変えてしまったのだった。




