EP 22
黒曜の潤滑油と、必勝の現場哲学
ゴブリンの群れを無傷で生け捕りにしてから数日。
アズマたちは、初心者向けの討伐依頼や護衛任務を立て続けにこなし、その全てを『無傷かつ無事故』でクリアし続けていた。
ギルドの中庭にある木陰のベンチに座り、アズマは手元のノートにこれまでの戦果と課題を書き込みながら、確かな手応えを感じていた。
(いける。俺のやり方は、この世界でも間違いなく通用する)
魔獣と真正面から殴り合うのではなく、チョークラインで安全帯を引き、ネズミ捕りや結束バンドなどの『日用品』で罠を構築し、一方的に制圧する。
前職のホームセンターで培った「徹底した段取りと安全管理」こそが、アズマにとっての絶対の『必勝法』として確立されつつあった。
「はぁっ……! だめですね、また焼き切れてしまいました」
中庭の素振りスペースから、不満げなキャルルの声が聞こえてきた。
彼女は愛用の武器である鋼鉄製のダブルトンファーを分解し、回転軸となる持ち手の部分を睨みつけている。
「どうしたんだ、キャルル。武器の調子が悪いのか?」
アズマがノートを閉じて近づくと、彼女はウサギ耳をペタンと伏せてため息をついた。
「このトンファーは、持ち手を軸にして遠心力で威力を高める構造なんです。でも、私のスイング速度と闘気の摩擦熱に、普通の武具用オイルが耐えきれなくて……。数回全力で振ると油膜が蒸発してしまい、金属同士が擦れて軸が焼き付いてしまうんです」
キャルルがトンファーの軸を見せてくれる。確かに、表面が摩擦による高熱で焼け焦げ、金属粉がポロポロとこぼれ落ちていた。
月兎族の英傑である彼女の腕力は、およそ120馬力。軽自動車のエンジン以上のパワーを、細いトンファーの回転軸に一点集中させているのだ。そんじょそこらの潤滑油では、一瞬で圧し潰されるか蒸発してしまうに決まっている。
(……高荷重、高回転、そして極圧環境での油膜切れか。完全に、重機のギアボックスやドライブシャフトで起きるトラブルと同じだな)
現場の工具や重機のメンテナンスも担当していたアズマの脳内に、最適な解決策が閃いた。
アズマは虚空に手をかざし、『生活改善カタログ』を開いた。
(カー用品・重機メンテのカテゴリー……よし。消費は2CP、残高は50,020CPだ)
取り出したのは、歯磨き粉のチューブをひと回り大きくしたような容器だった。
「キャルル、そのトンファーの軸の汚れを拭き取って、これを塗り込んでみてくれ」
「これは……?」
キャルルがチューブを絞ると、中から真っ黒でドロドロとしたペースト状の油が出てきた。
「うわっ、真っ黒! 泥みたいですが、本当にこれが潤滑油なんですか?」
「『モリブデングリース』だよ。普通のサラサラした油じゃなくて、半固形状のグリースに『二硫化モリブデン』っていう黒い粉末状の固体潤滑剤が配合されているんだ」
キャルルは半信半疑のまま、真っ黒なグリースをトンファーの回転軸にたっぷりと塗り込み、部品を組み立て直した。
「二硫化モリブデンは、層状の結晶構造を持っている。イメージとしては、トランプの束みたいなものだね。強い圧力がかかっても、トランプが一枚ずつ滑るようにズレて摩擦を逃がしてくれるんだ」
アズマは手を使ってトランプが滑るジェスチャーを交えながら説明した。
「だから、どれだけキャルルの怪力で強い荷重(極圧)がかかっても、金属表面に強固な被膜を作って絶対に油膜切れを起こさない。重機やクレーンの旋回ギアに使われる、極限環境用の潤滑油さ」
「重い鉄の塊を動かすための、黒曜の潤滑油……」
キャルルはトンファーを握り、軽く手首を返した。
――ヒュンッ!!
何の抵抗も、音すらもなく。
トンファーがキャルルの腕の周りで、まるで質量を失ったかのような凄まじい速度で回転した。
「なっ……!?」
キャルルのエメラルドグリーンの瞳が、驚愕に見開かれる。
「嘘……! 摩擦の抵抗が、完全にゼロになったみたいです! 私の力が、一ミリのロスもなく回転力に変換されている……!」
彼女はそのまま中庭の端にある、分厚い鋼鉄の板で作られた訓練用標的へ向かって駆け出した。
「いきますっ! 月影流・旋風打ッ!!」
ドッゴォォォォォンッ!!!
空気が爆発したかのような轟音と共に、厚さ十センチはあろうかという鋼鉄の標的が、まるで紙くずのようにへし折れ、後方の石壁に突き刺さった。
さらに、あれほどの摩擦と衝撃を与えたにも関わらず、トンファーの軸からは焦げ臭い匂い一つせず、真っ黒なグリースが滑らかに金属を保護し続けている。
「すごい……凄すぎますアズマさん!! これなら、私の全力の闘気を何度叩き込んでも、武器が壊れることはありません!」
キャルルがウサギ耳を限界まで逆立てて歓喜の声を上げる。
「アズマ様! 私も、喉の滑りが良くなる黒曜の油を飲みたいですわ!」
騒ぎを聞きつけてやってきたリーザが、とんでもないことを言い出してアズマの袖を引っ張る。
「バカッ! 機械用だから飲んだら腹を下すどころじゃ済まないぞ!」
アズマは慌ててリーザを制止しながらも、心の底から湧き上がる自信に小さく笑みをこぼした。
(俺の役割は、前衛で剣を振るうことじゃない)
強力な罠で戦場を支配し、仲間たちの武器や環境を極限まで整え、後方から完全な勝利を設計する。
現代日本の工業製品と、ホームセンターの知識。これこそが、アズマに与えられた最強の『魔法』なのだ。
『ピンポンパンポーン♪ ヒロインの武器の耐久限界を救済し、火力を底上げした善行ボーナスで、10CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は日雇いの交通誘導アルバイトに採用されましたが、誘導棒の振り方がオタ芸だったため半日でクビになり、現在アスファルトの上で咽び泣いておりまーす♪』
(神様の社会適合能力が低すぎるだろ……!)
ポンコツ女神のあまりにも悲惨な転落人生にツッコミを入れつつ、アズマの残高は50,030CPへと回復した。
「さあ、アズマさん! 武器の調子も最高ですし、そろそろEランクの雑魚討伐じゃなくて、もっと大きな依頼を受けてみませんか?」
キャルルがトンファーをクルクルと回しながら、頼もしい笑顔を向けてくる。
「ええ、アズマ様の完璧な支援と私の歌があれば、ドラゴンの討伐だって夢じゃありませんわ!」
二人のヒロインの言葉に、アズマは大きく頷いた。
己の必勝法を完全に確立した今、どんな未知の魔獣が相手でも恐れることはない。
元便利屋の現場監督と、極貧アイドル、そして月兎族の鬼教官。
三人の成り上がりと、異世界での本格的な快進撃が、今まさに始まろうとしていた。




