EP 20
浄化の聖布と、血に塗れた冒険の生々しさ
拘束した六匹のゴブリンを、森の入り口に放置されていたボロボロの大八車に積み込み、アズマたちは城塞都市への帰路についていた。
都市の門へ近づくにつれ、同じように依頼を終えて帰還してくる他の冒険者たちとすれ違う機会が増える。
だが、彼らの姿を目にするたび、アズマは顔をしかめずにはいられなかった。
「……ひどい有様だな」
「ええ。これが、冒険者たちの『日常』です」
隣を歩くキャルルが、静かな声で答えた。
すれ違う冒険者たちの防具には、魔獣の赤黒い返り血や、内臓の破片がこびりついている。剣の刃は脂で濁り、全身は泥と汗に塗れ、強烈な生臭い悪臭を漂わせていた。中には深い切り傷を負い、仲間に肩を貸してもらって呻いている者もいる。
ゲームや物語で語られる華やかな英雄譚など、ここにはない。
魔獣との戦闘とは、己の命をチップにして汚物と血肉の中で文字通り泥臭く這い回る、過酷極まりない『現場労働』なのだ。
「アズマさんの『戦術』がなければ、私たちも間違いなくあのように泥と血にまみれていたはずです」
キャルルが、自らの汚れ一つない衣服を見下ろし、深い感謝を込めた眼差しをアズマに向ける。
「そうですわ! 私なんて、お着替えのジャージを持っていませんから、血なんて浴びたら一生お洗濯地獄でしたのよ!」
リーザも大きく頷き、アズマの背中を尊敬の眼差しで見つめていた。
都市の門をくぐり、冒険者ギルドの中央支部へと到着する。
大八車に山積みされた『無傷で生け捕りにされた六匹のゴブリン』を見た瞬間、ギルドの職員たちは目を丸くしてどよめいた。
「ご、ゴブリンを無傷で生け捕り!? しかも結束バンドという未知の魔導具で完全に拘束されているだと……!?」
「ガストン司令官の特待生とはいえ、信じられない手際だぞ……」
周囲の冒険者たちが唖然とする中、アズマは規定通りの報酬である銀貨五枚(五千円相当)を受け取った。
だが、その直後だった。
大八車からゴブリンを引き下ろそうとした際、ゴブリンの一匹が急に暴れ、足元の泥水と魔獣の体液が混ざった汚水が跳ね上がったのだ。
「きゃっ!」
キャルルの白い頬と手に、黒ずんだ血と泥の飛沫がべっとりと付着してしまった。隣にいたリーザの腕にも汚れが飛んでいる。
「ううっ、生臭いですわ……! 袖で拭き取らないと……」
「待って、手や服で直接擦っちゃダメだ!」
リーザがジャージの袖でゴシゴシと拭こうとするのを、アズマが慌てて制止した。
「野生の魔獣の血や泥には、どんな未知のウイルスや破傷風菌が潜んでいるか分からない。傷口がなくても、肌に擦り込めば感染症の原因になるぞ」
「か、かんせんしょう……? でも、高位の神官様に『浄化の魔法』をかけてもらうには、金貨一枚以上かかってしまいますわよ!?」
異世界では、戦闘後の穢れや毒を落とす手段は、高額な魔法に頼るか、井戸の冷たい水で洗い流すしか方法がないのだ。
「浄化魔法なんていらないよ。ちょっとじっとしててくれ」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開いた。
(消費は1CP、残高は50,020CPだ)
虚空から取り出したのは、薄青いビニール製のパッケージだった。
カチッ、とプラスチックの蓋を開け、中から湿った分厚い白い布を一枚抜き出す。
「アズマさん、それは……?」
「動かないで。目に入ると少し染みるから」
アズマはキャルルの顔に近づき、彼女の頬に付着した血と泥を、その白い布で優しく拭き取った。
「あ……っ」
キャルルのウサギ耳がピクンと跳ねた。至近距離にアズマの顔があり、その真剣な瞳で見つめられ、彼女の顔がリンゴのように真っ赤に染まる。
「はい、取れた。リーザも腕を出して」
「は、はいですの!」
アズマは新しい布を抜き出し、リーザの腕の汚れもサッと拭き取ってやった。
「えっ……? 血の生臭い匂いが完全に消えて、なんだかスースーしますわ!」
リーザが自分の腕の匂いを嗅ぎ、エメラルドグリーンの瞳を丸くした。
「本当ですね……水で洗った時のようにベタベタせず、拭いた端からサラサラに乾いていきます。それに、この独特のツンとする、でも清潔な香りは……?」
頬を押さえたキャルルが、不思議そうに瞬きをする。
「これは『厚手アルコール除菌シート』だ」
アズマはパッケージの蓋を閉めながら説明した。
「布にエタノールというアルコール成分が含まれていてね。汚れを拭き取ると同時に、目に見えないバイ菌の細胞壁を破壊して、完全に殺菌・消毒してくれるんだ。しかもアルコールは揮発性が高いから、すぐに蒸発して肌をサラサラに保ってくれる。生臭い悪臭も一緒に消し飛ばしてくれる優れものさ」
「布で拭いただけで、病の元となる見えない脅威を殺し、穢れを完全に祓うなんて……まさに『浄化の聖布』ですね!」
キャルルが感嘆の息を漏らす。
「アズマ様はやっぱり、私たちの健康まで完璧に守ってくれる神様ですわ!」
リーザも感動したようにアズマの腕にすり寄ってくる。
過酷な冒険において、清潔さを保つことは何よりの贅沢だ。アズマの些細だが的確な気配りが、少女たちの心をより一層強く惹きつけていた。
『ピンポンパンポーン♪ 乙女の柔肌を感染症と悪臭から守った清浄なる善行ボーナスで、5CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は完全に生活資金が尽き、現在神界の公園で行われている無料炊き出しの列に並んで、タッパーにカレーを詰めている最中でーす♪』
(ついに神様が炊き出しにまで手を出しやがった!)
脳内で響くシステム音声のあまりの悲惨さに、アズマが思わず天を仰いだ、その時だった。
「クンクン……おい、なんだか強烈に度数の高い『酒』の匂いがしねえか!?」
「間違いない! 極上の蒸留酒の香りだ! あの坊主が持ってる布から匂ってくるぞ!」
ギルドの酒場スペースで昼間からジョッキを傾けていたドワーフや荒くれ冒険者たちが、一斉に鼻をヒクつかせて立ち上がった。
エタノールの強烈な香りが、酒に飢えた飲んだくれどもの嗅覚を刺激してしまったのだ。
「坊主! そいつは幻の蒸留酒を染み込ませた魔布だな!? 俺にも一枚よこせ! チューチュー吸わせろォォッ!」
「俺にもだ! 金なら払うぞ!」
「ぎゃあああっ!? 違う、これは飲むもんじゃない! ただの消毒液だ! アルコール中毒になるぞ!!」
血走った目でよだれを垂らしながら迫り来るむさ苦しいおっさんたちの群れから逃れるため、アズマは除菌シートのパッケージを抱きしめたまま、ギルドのロビーを全力で逃げ回る羽目になるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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