EP 19
底なし沼の罠と、無傷のゴブリン討伐
都市近郊の森は、昼間であっても鬱蒼とした樹冠に日光を遮られ、薄暗く湿った空気が漂っていた。
落ち葉を踏む音だけが響く中、アズマは慎重に周囲を見回しながら歩を進めていた。先頭を歩くキャルルは、いつでもダブルトンファーを抜けるよう重心を低く保ち、エメラルドグリーンの瞳を鋭く光らせている。最後尾ではリーザが、アズマの背中をギュッと掴みながらおどおどと周囲を窺っていた。
「……来ます。前方、およそ三十メートルの茂み。数は五……いえ、六です」
突然、キャルルが足を止め、声を潜めて告げた。
ウサギ耳がピクピクと動き、敵の足音と呼吸音を正確に拾い上げているのだ。
アズマも息を呑み、前方に目を凝らした。
ガサガサッ、と茂みが揺れ、低い唸り声とともに姿を現したのは、緑色の皮膚を持った醜悪な小人――ゴブリンの群れだった。
だが、その姿はアズマが前世のゲームやファンタジー小説で知っているような「ひ弱な雑魚モンスター」とは全く違っていた。
「デカい……それに、なんて筋肉だ」
身長こそ百五十センチほどだが、その肉体は大気中のマナを吸って異常に発達しており、丸太のような腕には太い血管が浮き出ている。彼らが握りしめている棍棒は、人間の頭蓋骨など一撃で粉砕できるだけの質量を持っていた。
アズマの背筋に冷たい汗が伝う。あんな棍棒が掠っただけで、生身の地球人など即死だ。
「アズマ様、どうしましょう……! あんな筋肉だるまが六匹も……!」
リーザが震え声でアズマの背中にしがみつく。
「落ち着いて。昨日の訓練を思い出すんだ」
アズマは深く息を吐き出し、現場監督としての思考を切り替えた。
敵の数は六。武器は棍棒で、攻撃手段は近接の殴打のみ。ならば、敵がこちらに接近してくるルート(射線)は限られる。ここからキャルルまでの直線的な獣道、それが敵の『危険予知エリア』だ。
「キャルル、少し下がって。この獣道の両側にある木の間を『安全帯』とする。絶対に前に出ないでくれ」
「分かりました!」
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を猛スピードで開いた。
(防犯・害虫対策カテゴリー。消費は5CP、残高は50,026CP!)
アズマが虚空から取り出したのは、見開きサイズになった黒いプラスチック製の板だった。それを五枚、敵の進路上となる獣道に隙間なく敷き詰める。
「アズマさん、それはなんです?」
「『強力ネズミ捕り粘着シート』だ。準備はいいか? リーザ、アイツらをこっちに引きつけてくれ!」
「は、はいっ! えーと、コホンッ!」
リーザが大きく息を吸い込み、澄み切った声で歌い始めた。
「♪五円!五円!御縁!御縁!ハイッ! 狙い打つのは真鍮のゴールドーッ!」
静かな森の中に、極貧アイドルの電波ソングが響き渡る。その突拍子もない大音量に、ゴブリンたちが一斉にこちらを向き、怒りの咆哮を上げて突撃してきた。
「ギギャァァァッ!!」
六匹の筋肉だるまが、棍棒を振りかぶって怒涛の勢いで押し寄せてくる。
だが、アズマは『安全帯』に立ったまま、一歩も動かなかった。
ドスッ、ベチャッ!
先頭を走っていたゴブリンが、アズマが敷いた黒いシートの上に足を踏み入れた瞬間だった。
「ギョエッ!?」
ゴブリンの足が、地面に縫い付けられたようにピタリと止まった。
慌てて足を抜こうと力任せに引っ張るが、足の裏はシートから離れない。それどころか、バランスを崩して前のめりに倒れ込み、両手と顔面までシートにベタッと貼り付いてしまった。
「グギギギッ!? ギギャァアアア!」
後続のゴブリンたちも次々とシートに足を踏み入れ、同じように身動きが取れなくなり、もがけばもがくほど粘着剤に身体を絡め取られていく。
「なっ……なんですかこれ!? あの凄まじい脚力を持つゴブリンが、ただの黒い板に貼り付いて一歩も動けなくなっています!」
キャルルが驚愕の声を上げる。
「ホームセンターで売ってる、業務用のネズミ捕りだよ」
アズマがシートの端を指さして解説する。
「板には超強力なポリブテン系の粘着剤がたっぷりと塗られているんだ。これは水や油にも強く、一度貼り付いたら最後、引っ張れば引っ張るほど粘着剤が伸びて絡みつく。台座のプラスチックも頑丈だから、どんなに力任せに暴れても引きちぎることはできない。まさに『底なし沼』さ」
前世では、倉庫に潜むネズミを捕獲するために重宝したアイテムだが、まさか異世界でゴブリンを捕まえることになるとは思わなかった。
「よし、キャルル。罠にかかった奴らから順番に、武器を弾いて気絶させてくれ。絶対にシートの上には乗らないように!」
「はいっ! お任せください!」
キャルルが『安全帯』から身を乗り出し、ダブルトンファーを振るう。
ドゴッ! バキッ!
動けないゴブリンの頭部に、容赦のない打撃が叩き込まれた。回避も防御もできないゴブリンたちは、次々と白目を剥いて気絶していく。
その光景は、もはや戦闘ではなく「安全かつ一方的な作業」であった。
「……終わりました。六匹全員、沈黙です」
数分後、キャルルがトンファーを納めて息を吐いた。彼女の服には、泥一つ、血の二滴すら飛んでいない。完全な無傷での制圧だった。
「すごい……! 昨日までの私なら、真っ向から殴り合って、多少の擦り傷は覚悟していたはずなのに……」
「アズマ様はやっぱり天才軍師ですわ! 私、歌っただけですのよ!」
リーザが歓喜の舞を踊っている。
「いや、油断は禁物だ。完全に無力化するまでが現場の仕事だぞ」
アズマは再びカタログを開き、5CPを消費してある物を取り出した。
(残高は50,021CP)
それは、真っ黒なナイロン製の帯――『耐候性ナイロン結束バンド(特大)』の束だった。
アズマは気絶しているゴブリンの背後に回り、両手を背中でクロスさせると、手首に結束バンドを巻き付けた。
ジィィィッ、と小気味よい音を立ててバンドを引き絞る。
「アズマさん、それは?」
「結束バンドだよ。中に逆戻りしないギザギザのストッパーがついていて、一度締め付けると刃物を使わない限り絶対に外れないんだ。ナイロン製で引きちぎることも不可能だから、最高の手錠になる」
アズマは手際よく、ゴブリンたちの手足と、ついでに口元にも結束バンドを巻き付けて完全に拘束した。討伐証明の右耳を切り落とすのは残酷に思えたため、ギルドには「生け捕り」としてこのまま引き渡すことに決めたのだ。
作業を終え、額の汗を拭うアズマ。
周囲を見渡せば、六匹の屈強なゴブリンが、ただの粘着シートとプラスチックの帯によって完全に無力化され、転がっていた。
キャルルとリーザは、改めてアズマの戦術と道具の恐ろしさに戦慄し、そして同時に深い安堵の笑みを浮かべた。
「アズマさん……あなたの『戦わずして勝つ』という言葉の意味が、痛いほどよく分かりました。これなら、どんなに強い魔獣が相手でも、絶対に負けませんね」
「ああ。安全第一、ゼロ災害でいくのが俺たちのやり方だ」
剣も魔法も使わず、ただ日用品の特性と現場の段取りだけで、異世界の脅威を無傷で制圧した初陣。
元ホームセンター副店長の「生活改善サバイバル」は、この日、完璧な形でその有効性を証明してみせたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




