EP 18
黄金の薄膜結界と、初陣前の借り物の勇気
都市の夜明け前は、骨の芯まで凍りつくように冷え込んだ。
マンルシア大陸はマナの恩恵で自然が豊かだが、その分、昼夜の寒暖差が激しい地域が多い。特に陽が昇る直前の時間帯は、大気中のマナが地表の熱を奪って上空へ還る『マナ凪』と呼ばれる現象が起きるため、気温が一気に氷点下近くまで急降下するのだ。
「うぅぅ……さむっ……」
安宿の薄い毛布にくるまっていたアズマは、ガチガチと歯の根を鳴らしながら目を覚ました。
ふと隣のベッドを見ると、キャルルとリーザも毛布を頭まですっぽりと被り、ミノムシのように丸まって小刻みに震えていた。
「……寒いですわ……お日様の光が恋しいですの……」
「ダメですリーザちゃん……毛布を持っていかないで……私のウサギ耳が、凍ってちぎれちゃいます……」
前日のアイマスクとドライシャンプーで深い眠りについていた二人だが、この冷え込みには勝てなかったらしい。寝ぼけ眼で一つの毛布を引っ張り合っている姿は可哀想だが、このままでは風邪を引いてしまう。
それに、今日は初陣の日だ。体調を崩してパフォーマンスが落ちれば、それは即ち「死」に直結する。
(暖をとるにしても、この宿屋の部屋に暖炉はないし、火を焚くわけにもいかない。なら、体温を逃がさない工夫をするしかないな)
アズマは震える手で、脳内の『生活改善カタログ』を開いた。
(防災・野外用品カテゴリー……これだ。消費は2CP、残高は50,031CP)
虚空から取り出したのは、手のひらに収まるほど小さく折りたたまれた、銀色のパッケージだった。
アズマはベッドから這い出し、二人のベッドのそばへ近づいた。
「リーザ、キャルル。ちょっと我慢して毛布をめくってくれ」
「えっ……アズマさん? こんな早朝から、夜這いですの……?」
「馬鹿なこと言ってないで。風邪を引く前に、これを被るんだ」
ガサガサッ、と軽い音を立てて、アズマはパッケージの中から薄いフィルム状のシートを取り出し、大きく広げた。
折りたたまれていたそれは、広げると大人一人がすっぽりと収まるほどの巨大な一枚の布になった。表は太陽のように眩い黄金色、裏は白銀色に輝いている。
アズマは広げたシートを、丸まっている二人の上から毛布ごとバサリと覆い被せた。
「ひゃっ!? な、なんですかこれ! ペラペラで、ガサガサ音がしますわ!」
最初は不審がっていたリーザだったが、シートに包まれて数秒後、そのエメラルドグリーンの瞳を丸くした。
「……え? 嘘……温かい? さっきまでの骨を刺すような冷気がピタリと止んで、まるで日向ぼっこをしているみたいに、ポカポカしてきましたわ!?」
「本当です……! 私の体温が、この黄金の布の中でグルグルと回って、全身を優しく包み込んでくれています……!」
キャルルもウサギ耳をピンと立て、シートの裏側を不思議そうに撫でた。
「これは『携帯用アルミサバイバルシート』だ」
アズマは自分の分も広げ、肩からマントのように羽織って説明した。
「人間の体温は『赤外線(放射熱)』として、目に見えない形で外へ逃げていくんだ。このシートは、極薄のフィルムにアルミニウムを蒸着させて作られていてね。自分の体から出た熱(赤外線)を、鏡のように反射して内側に閉じ込めてくれる。さらに、外からの冷たい空気や風を完全に遮断するから、こんなにペラペラでも羽毛布団並みの保温効果があるんだよ」
「目に見えない熱の波動を反射し、冷気を遮断する黄金の薄膜結界……! アズマさん、あなたは本当に底知れない魔導の知識を持っていますね」
キャルルが感嘆の息を漏らす。
「ふふん、これで寒さなんてへっちゃらですわ! 私、まるで黄金のドレスを着たお姫様みたいですの!」
リーザが黄金のシートを身体に巻き付け、ベッドの上でくるくると回って見せた。
その姿は、お姫様というよりは「巨大な焼き芋のホイル焼き」にしか見えなかったが、アズマは黙っておくことにした。
❖❖❖
すっかり身体が温まり、体調を万全に整えた三人は、宿の食堂で朝食をとった。
出されたのは、米麦草を塩で煮込んだどろどろの粥と、ロックバイソンの干し肉を炙ったものだ。素朴だが、温かい食事が胃袋に落ちると、体の内側から活力が湧いてくる。
だが、アズマの持つ木のスプーンは、カチャカチャと微かに震えていた。
(今日、俺は初めて魔獣と相対する……)
昨日までは護衛契約や訓練、そして事業の立ち上げという「段取り」に追われていたため、実感が湧いていなかった。しかし、いざ討伐に向かう朝になると、元ホームセンター店員に過ぎない自分の脆弱な肉体が、強烈な恐怖を訴え始めていたのだ。
「アズマさん。手が震えていますよ」
不意に、隣に座っていたキャルルが、アズマの震える右手を両手でそっと包み込んだ。
その手は温かく、そして剣ダコのある力強い戦士の手だった。
「……情けないよな。頭では戦術を理解したつもりでも、いざ実戦となると、やっぱり足がすくむ」
アズマが自嘲気味に笑うと、キャルルは首を横に振った。
「恐怖を知らない戦士は、ただの命知らずの馬鹿です。恐れを知っているからこそ、アズマさんは誰よりも慎重に、安全な『線』を引くことができるんです」
キャルルはエメラルドグリーンの瞳で、真っ直ぐにアズマを見つめた。
「あなたは一人じゃありません。アズマさんが仕掛けた罠と知略を、私がこの足で確実な勝利へと変えてみせます。だから、安心してください」
「アズマ様! 私も後ろで全力の歌のバフをかけますわ! だから、ドンと構えていてくださいませ!」
リーザも口の周りに粥をつけながら、力強くサムズアップをしている。
彼女たちの言葉に、アズマは深く息を吐き出した。
そうだ、俺は一人じゃない。強力な仲間がいて、そして何より、現場の知恵が詰まった【生活改善カタログ】がある。
アズマはポケットの中に折りたたんで入れたサバイバルシートの感触を確かめた。まるでそれが、過酷な世界から身を守ってくれる「借り物の勇気」であるかのように、彼に不思議な安心感を与えてくれた。
「ありがとう、キャルル、リーザ。……よし、行こうか」
スプーンを置き、アズマは立ち上がった。その瞳から、先ほどまでの迷いは消え去っていた。
冒険者ギルドの中央支部に向かうと、先日アズマを見下していた受付嬢が、今度は最敬礼で彼らを出迎えた。ガストン司令官の庇護下にある「特待生」となったアズマたちに対し、彼女は初心者向けでありながら報酬の割の良い依頼をいくつか提示してくれた。
「こちらの『ゴブリンの小集団討伐』などはいかがでしょうか。都市近郊の森に出没する個体で、数は五、六匹程度。討伐証明として右耳を持ち帰っていただければ、報酬は銀貨五枚となります」
異世界ファンタジーにおける最弱モンスターの代名詞、ゴブリン。
だが、この世界のゴブリンは侮れない。大気中のマナを吸って筋骨隆々に発達しており、成人の腕力すら容易に上回るという。
「分かりました。それを受けます」
依頼書にサインを済ませ、三人は都市の正門を抜けて、近郊の森へと歩みを進めた。
空には太陽が高く昇り、森の入り口が薄暗い口を開けて彼らを待ち受けている。
元ホームセンター副店長と、二人のヒロイン。
彼らの記念すべき初陣が、今まさに始まろうとしていた。
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