EP 2
角砂糖と極貧人魚、そして過保護な村の自警団長
目を覚ますと、そこは見知らぬ木造の天井だった。
背中には硬いが清潔な藁のベッドの感触がある。森の腐葉土の上で倒れたはずの吾妻は、どうやらどこかの建物の中に運び込まれたらしい。
「あっ! 気がつきましたのね!」
鈴を転がすような、透き通った声が降ってきた。
吾妻が首を巡らせると、ベッドの脇に一人の少女が座っていた。
海底の真珠を思わせる艶やかな青銀色の長髪に、エメラルドグリーンの大きな瞳。透き通るような白い肌を持った、文句のつけようがない絶世の美少女だ。
……ただし、彼女が着ているのは、どこかの量販店のワゴンセールで売れ残っていそうな、絶望的にダサい小豆色のジャージ(上下)だったが。
「村の入り口で倒れているのを見つけて、ここまで運びましたの。私、リーザ・シーラン・リヴァイアサン。しがない地下アイドルをやらせていただいておりますわ!」
「あ、地下アイドル……どうも、東吾妻です。助けていただいて、ありがとうございます」
(アイドルって異世界にもあるのか? というか、そのジャージはどういうコンセプトなんだ……?)
吾妻が内心で首を傾げていると、リーザの腹の虫が、ぐきゅるるるるっ、と盛大に鳴り響いた。
美少女らしからぬ轟音に、リーザは顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。
「あ、あはは……お恥ずかしいですわ。でも大丈夫です! アイドルたるもの、霞を食べて生きるものですから!」
そう言って彼女は、傍らの小机から自分の「朝食」らしきものを持ち上げた。
それは、真っ黒に焦げたパンの耳の切れ端と、その辺の土手でむしってきたであろうオオバコとタンポポの葉っぱ(ドレッシングなし)だった。
(……いや、霞っていうか、ただの雑草と生ゴミじゃないか!)
ホームセンターの副店長として、シフトを削られてカップ麺一つで食い繋いでいた貧乏なアルバイト学生たちを何人も世話してきた吾妻の「お節介センサー」が、激しく警鐘を鳴らした。
こんなあどけない少女が、飢えで倒れる寸前で強がっている。
吾妻は自身の脳内に浮かぶ『生活改善カタログ』を開き、現在の残高が46CPであることを確認した。
(食品のカテゴリー……あった。これなら安上がりですぐにカロリーになる)
吾妻は2CPを消費し、虚空から二つの小さな包みを取り出した。
「リーザさん。俺を助けてくれたお礼です。大したものじゃないですが、これを食べてください」
「えっ? これは……?」
リーザの手のひらに乗せられたのは、紙で個包装された純白の『角砂糖』と、袋に入った『塩飴(レモン塩味)』だった。
「白い方はそのまま噛み砕いてください。黄色い方は、舐めて溶かすんです」
リーザは恐る恐る、角砂糖の包み紙を開いた。
現れたのは、一切の不純物を含まない、真四角に切り出された真っ白な結晶。
「なんて美しい……純度100パーセントの魔力結晶石ですわ!? こんな高価なものを、本当に私がいただいても……?」
「いいから、早く口に入れてください」
促されるまま、リーザはコワゴワと角砂糖を口に含んだ。
サクリ、と歯を立てた瞬間だった。
極限まで飢餓状態にあったリーザの脳髄に、純粋なブドウ糖の甘みが、雷のごとき衝撃となって直撃した。
「――――ッ!?」
エメラルドの瞳が見開かれ、ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
雑味のない圧倒的な甘さが、舌の上でふわりと溶けて消える。カロリーが枯渇していた細胞の隅々にまで、爆発的なスピードでエネルギーが浸透していくのが分かった。
「あま……甘い……! なんだか、身体の底からポカポカと力が湧いてきますわ……!」
「じゃあ、次はそっちの黄色い飴を」
リーザは震える手で塩飴の袋を開け、口に放り込む。
コロコロとした飴玉から溶け出すのは、さわやかなレモンの酸味と、絶妙に効いた「塩気」、そして優しい甘さ。汗をかいてミネラルが不足しきっていた彼女の身体が、スポンジのように電解質を吸収していく。
「しょっぱくて、酸っぱくて、甘い……! こんなに美味しくて、命が燃え上がるような食べ物、生まれて初めてですわぁあああッ!!」
リーザは畳み掛けるような快感に理性を吹き飛ばされ、藁のベッドの横でワアワアと声を上げて泣き崩れてしまった。
『ピンポンパンポーン♪ 迷える極貧少女の血糖値を救済した善行ボーナスで、10CPを獲得しました! なお、ルチアナ様は課金ガチャで爆死したため、現在コタツの中でふて寝中でーす♪』
(いちいち神様の情けない私生活を報告してこなくていいから!)
脳内に響く間抜けなシステム音声にツッコミを入れつつ、吾妻は泣きじゃくるリーザの背中をさすった。たった数円の角砂糖と塩飴で、ここまで感謝されるとは予想外だった。
「あ、ありがとうございます……神様、仏様、アズマ様ぁ……! 私、一生ついていきますわ……!」
リーザが吾妻の手を両手で握りしめ、すりすりと頬ずりをして涙を流している――その時だった。
パァンッ!!
木製のドアが、蝶番ごと吹き飛ぶほどの勢いで蹴り破られた。
「おいリーザ! お前が拾ってきた遭難者が目を覚ましたって――って、貴様ぁあああっ!?」
入り口に立っていたのは、引き締まった長身と、凛々しい美貌を持つ女性だった。
だが、吾妻の目は彼女の「下半身」に釘付けになった。彼女の腰から下は、艶やかな毛並みを持つ屈強な「馬」そのものだったのだ。
(ケ、ケンタウロス……!? 本当に異世界ファンタジーなんだな……)
ケンタウロスの女性は、リーザが涙を流しながら吾妻の手にすり寄っている光景を見て、顔を真っ赤にして激昂した。
「か弱き乙女を泣かせ、あまつさえ服従させるとは! どこの馬の骨とも知れぬ不審者め、ポポロ村自警団リーダーであるこのマンミアが、成敗してくれる!」
「ま、待ってくださいマンミアさん! アズマ様は私に奇跡の結晶石を恵んでくださった、慈悲深き神様ですのよ!」
「騙されるなリーザ! そいつは新手の詐欺師だ! いいか、男という生き物は隙あらば若い女を食い物にしようとする獣なのだぞ!」
チャキッ、と。
マンミアが左腕に装備していた巨大な盾――その先端に仕込まれた分厚い鉄の杭の安全装置を外す音が響いた。
血の気が引いた吾妻は、両手を振って必死に弁明を試みる。
「ち、違います! 誤解です! 俺はただのホームセンターの副店長で、別に怪しいもんじゃありません! 年齢だって今年で28歳のごく普通の一般人で――」
「問答無用! 怪しい奴め、覚悟しろ!」
「落ち着いてくださいよ! あんた、自警団のリーダーなんでしょう!? それだけしっかりしてるってことは、年齢だって俺と近い、25歳くらいなんじゃ――」
ピタッ。
その言葉を口にした瞬間、室内の空気が完全に凍りついた。
マンミアの頭頂部にある馬の耳が、ピクピクと痙攣するように震えている。
リーザが「ああっ……」と絶望的な顔をして耳を塞いだ。
「にじゅう……ご?」
マンミアの端正な顔が、怒りと羞恥で真っ赤に染め上がった。
「だ、誰が売れ残りのクリスマスケーキだぁあああッ!! 乙女に向かってその数字を口にするなぁあああッ!!」
ドッゴォォォォンッ!!
マンミアの四つ足の蹄が床を蹴り砕き、180馬力もの超重量タックルが、回避不可能な速度で吾妻の胴体に直撃した。
「なんでだよぉおおおおおッ!?」
吾妻の身体は弾き飛ばされ、木造の壁を突き破って、見事な放物線を描きながら村の広場へと飛んでいく。
(……理不尽すぎるだろ、異世界……)
宙を舞いながら、吾妻はこの世界に来て三度目のブラックアウトを迎えるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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