EP 15
幾何学の結界糸と、戦わずして勝つ兵法
都市ギルドの裏手にある基礎訓練場。
青空の彼方へ吹き飛ばされてから数十分後、アズマは全身の骨の無事を確かめながら、訓練場のベンチで深くため息をついていた。
「本当に、本当にすまなかったアズマ殿……! まさか『25』という響きに、私の下半身がこれほどオートマチックに反応してしまうとは……!」
マンミアが前脚を折って、地面に頭をすりつけるようにして土下座(?)をしている。
「もういいです。俺も言葉には気をつけますから……。それよりマンミアさん、ポポロ村の警備はどうしたんですか?」
「うむ、書類の提出で来ただけだから、すぐに戻るつもりだ。アズマ殿が元気そうで何よりだった。ではな!」
マンミアは顔を真っ赤にしたまま、嵐のように去っていった。残されたアズマとヒロインたちは、気を取り直して訓練を再開することになった。
「いいですかアズマさん! 先ほども言いましたが、敵の攻撃を『見てから』避けるのでは遅いんです。筋肉の動きで軌道を読み、最小限の動きで躱す!」
キャルルが木剣を構え、真剣な表情で指導を続ける。
「たとえば、ロックボアが時速六十キロで突進してきたとします。距離が三メートルを切った瞬間に、右へ三十センチだけ軸足をずらせばいいんです。ほら、こんな風に!」
ドンッ!
キャルルが実演として、横にスッとステップを踏み、すれ違いざまに仮想の敵へと回し蹴りを放った。
その瞬間、訓練場の空気が爆発したような轟音が響いた。キャルルの足先から放たれた衝撃波が、十メートル先にある頑丈な石の訓練用標的を、文字通り粉々に粉砕してしまったのだ。ついでに上空の雲まで真っ二つに割れている。
「……」
「ね? 簡単でしょう?」
「参考になるかぁあああッ!!」
アズマは思わず頭を抱えて叫んだ。
(異世界人の身体能力がバグりすぎてる! 時速六十キロの突進を三メートル手前で避けるなんて、人間の動体視力と反射神経じゃ絶対に不可能だぞ!)
キャルルたちのように『微弱な闘気』を持たない地球人のアズマにとって、ギリギリで回避する戦法は「死」と同義だった。
「アズマ様、無理はしないでくださいませ。いざとなったら、私が盾になりますわ!」
応援席からリーザが健気に手を振っているが、彼女を盾にするわけにはいかない。
アズマは腕を組み、前職の経験を必死に手繰り寄せた。
(そもそも、現場仕事で『飛んできた鉄骨を気合で避ける』なんて安全管理はあり得ない。事故を防ぐには、最初から危険な場所に立たないこと、つまり『現場のゾーニング』が絶対条件だ)
敵の攻撃範囲と、自分の安全圏を明確に可視化し、それをコントロールする。
そのためには、地面に「線」を引く必要がある。
アズマは脳内の『生活改善カタログ』を開き、測定・工具のカテゴリーを検索した。
(消費は2CP。残高は50,024CPだ)
虚空に手を伸ばし、一つの道具を取り出す。
「アズマさん、それはなんです?」
「『チョークライン』です。建築現場で、真っ直ぐな線を引くための道具ですよ」
アズマの手に握られていたのは、プラスチック製の小さなケースだった。中には青いチョークの粉と、長い糸が巻かれたリールが入っている。
「キャルル、ちょっとそこの糸の先端にあるフックを持って、地面に固定しててくれ」
「は、はい」
言われるがまま、キャルルが糸の端を地面に押さえる。アズマはケースを持ったまま、訓練場の端まで十メートルほど真っ直ぐに糸を引っ張って伸ばした。
「ピンと張った状態を維持してくださいね。いきますよ」
アズマは、地面から数センチ浮かせた状態の糸を指でつまみ、弓の弦のように弾いた。
――パチンッ!
小気味よい音とともに、糸に付着していた青いチョークの粉が地面に叩きつけられる。
アズマが糸を巻き取ると、そこには定規で引いたような、一寸の狂いもない「真っ直ぐな青い直線」が、十メートルにわたって訓練場に描かれていた。
「なっ……魔法も使わずに、一瞬でこれほど長くて正確な直線を引いただと……!?」
キャルルがウサギ耳をピンと立てて驚愕する。
「糸を弾いた反発力で、粉を地面に定着させているだけです。俺たち現場の人間は、こうやって何もない場所に基準となる『線』を引いていくんです」
アズマは訓練場を歩き回りながら、次々とチョークラインで青い線を引いていった。
やがて、地面には巨大な格子状のグリッドと、いくつかの交差点が可視化された。
「いいですか、キャルル。俺の戦い方は『避ける』ことじゃありません。この青い線で囲まれた場所が、敵の攻撃が通る『危険予知エリア(射線)』です。そして線の外側が『安全帯』です」
「危険予知……安全帯……?」
「ええ。俺が戦場に立ったら、まず地形を見てこの『線』を頭の中に引きます。敵をこの射線に誘導し、俺は最初から安全帯から一歩も動かない。そして、敵が通る線上の交差点に――」
アズマは、青い線が交差するポイントを指さした。
「ここに『ネズミ捕り』や『スプレー』の罠を事前に仕掛けておくんです。敵が勝手に罠を踏み抜いたところを、安全帯にいるキャルルが一方的に叩く。これが俺の『戦わずして勝つ兵法』です」
キャルルは、地面に描かれた青い幾何学模様を見つめ、やがてゴクリと生唾を飲み込んだ。
「……恐ろしい人ですね、アズマさん」
「えっ?」
「ただの粉と糸を使って、戦場を完全に『支配』するための幾何学の結界を引いてしまった。あなたは剣を振るうのではなく、戦場そのものを設計する『戦術眼』を持っているのですね」
エメラルドグリーンの瞳が、感嘆と、そして確かな敬意を込めてアズマを見つめ返してくる。
リーザも「アズマ様はやっぱり天才軍師ですわ!」と拍手喝采だ。
(いや、ただの土木工事の墨出し作業なんだけど……)
内心でツッコミを入れつつも、アズマはこの世界での自分の戦い方が明確に定まったことを感じていた。
圧倒的な力を持つ異世界の魔獣に対し、真正面から挑む必要はない。
現場監督として培った「危険を予知し、安全を確保する」という徹底した段取りこそが、彼の最大の武器になるのだ。
夕日に照らされた訓練場の幾何学模様を見下ろしながら、アズマは静かに自信の笑みを深めるのだった。
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