EP 12
聖なる耳栓と、鬼教官への豹変
「……キャルル。お前、本気でこの男の護衛につくつもりか?」
応接室のソファで、ガストンが眉間にシワを寄せながら尋ねた。
ルナミス帝国辺境軍閥の司令官として、そして彼女の幼い頃からの後見人として、心配の念が隠せないのだろう。
「はいっ! アズマさんはポポロ村の恩人ですし、こんな不思議な力を持っている人を放っておけません。それに、この人のそばにいたら絶対に退屈しなさそうですから!」
キャルルはエメラルドグリーンの瞳を輝かせ、ウサギ耳をピコピコと揺らしながら即答した。
「ちょっと待ってくださいませ、キャルルさん! アズマ様の隣は、専属アイドルであるこのリーザの特等席ですわよ!」
小豆色ジャージ姿のリーザが、アズマの腕をぎゅっと抱き込んで牽制する。
「もう、リーザちゃんは相変わらずね。アズマ『様』なんて大げさな呼び方しなくても、アズマ『さん』とか『アズマ』でいいじゃない。ねえ、アズマさん?」
キャルルがぐっと距離を詰め、アズマの顔を覗き込んでくる。二人の美少女に両側から密着され、アズマは冷や汗を流しながら苦笑いするしかなかった。
「まあいい。お前がついていれば、そこらのならず者や魔獣が相手でも遅れはとるまい。アズマの身の安全は確保されたと見ていいだろう」
ガストンは葉巻の灰を落とし、デスクの引き出しから小さな青い石――『魔導通信石』を取り出した。
「一応、村の留守を預かっている自警団長のマンミアに、お前たちが無事に都市に着いたことと、今後の事業計画について連絡を入れておくか」
ガストンが魔力を通すと、通信石がぼんやりと発光し、やがてクリアな音声が室内に響いた。
『こちらポポロ村自警団、マンミアだ。……ガストン司令官殿か。どうした、珍しいな』
「おう、マンミア。アズマとキャルルが今、俺のギルドにいる。事業の件は俺が後ろ盾になることで話がついたから、村の連中にも安心するように伝えておけ」
『そうか! それは重畳だ。アズマ殿が怪しい奴に騙されていないか心配だったが、司令官殿が面倒を見てくれるなら安心だな』
通信石の向こうから、マンミアのホッとしたような息遣いが聞こえる。
だが、ガストンは余計な一言を付け加えてしまった。
「お前も村の防衛ばかりにかまけてないで、いい加減に身を固めたらどうだ? 今年でもう、二・十・五・歳になるんだからな」
――ピタッ。
通信石の向こう側で、明らかに空気が凍りついたのが分かった。
アズマの背筋に、昨日の朝、村を吹き飛ばされた『180馬力の超重量タックル』の記憶がフラッシュバックし、強烈な悪寒が走る。
「ガストンさん! その数字は――!」
アズマが制止しようとした瞬間。
『誰・が・売・れ・残・り・の・ク・リ・ス・マ・ス・ケ・ー・キ・だ・ぁ・あ・あ・あ・あ・ッ・!・!』
ビリビリビリィィィンッ!!
魔導通信石の許容出力を完全にオーバーした、音波兵器のごときマンミアの絶叫が応接室に炸裂した。窓ガラスにビキビキとヒビが入り、室内の調度品が激しく共鳴する。
「ぐわぁっ!? なんだこの凄まじい怒声は!」
「きゃあああっ! 鼓膜が破れますわ!」
ガストンとリーザが両耳を塞ぎ、ソファーにうずくまって悲鳴を上げた。キャルルすらウサギ耳をペタンと伏せて顔をしかめている。
マンミアの絶叫は収まるどころか、「私が一度も男を背中に乗せたことがないとバカにしているのか!」と、さらに怒りのデシベルを上げていく。
(このままじゃ鼓膜がイカれる!)
アズマは悲鳴を上げる前に、脳内の『生活改善カタログ』を猛スピードで開いた。
(1CP消費、残高50,032CP!)
虚空から取り出したのは、オレンジ色の小さな弾力のある物体、二つ。
アズマはそれを指先でギュッと細く潰すと、素早く自分の両耳の穴に奥まで押し込んだ。
――数秒後。
指で潰されていたオレンジ色の物体が、アズマの体温に反応して『じわぁっ』と元の形状に膨らみ、外耳道の隙間に隙間なくピタリと密着した。
途端に、応接室に響き渡っていたマンミアの鼓膜を劈くような怒声が、遠くの波音レベルにまで減衰し、完全な静寂が訪れた。
(……ふぅ、助かった。工事現場でも大活躍の『高密度フォーム防音耳栓』、異世界でも効果バツグンだな)
アズマが平然とコーヒーカップを持ち上げ、ゆっくりと一口啜るのを見て、耳を塞いで蹲っていたガストンたちが目を丸くした。
「ア、アズマ! お前、どうして無事なんだ!? マンミアの怒号には、相手の精神を揺さぶる闘気干渉魔法が乗っているはずだぞ!」
ガストンが通信石の魔力を強引に切って(通信の最後で通信石そのものがパキッと割れた)、驚愕の声を上げる。
「精神干渉魔法?」
アズマは耳栓を外し、不思議そうに首を傾げた。
「いや、ただ物理的に耳の穴を塞いで、音の振動を遮断しただけですよ。この『防音耳栓』は、ポリウレタンフォームという柔らかい素材でできていて、指で潰して耳に入れると、中で膨らんで耳の形に完全に密着するんです。工場や建築現場で、騒音から耳を守るための安全保護具です」
「耳の穴の形状に合わせて変幻自在に膨らむ、音波遮断の魔具だと……!?」
ガストンは割れた通信石と、アズマの手に乗った小さなオレンジ色の物体を見比べ、ワナワナと震えた。
「セイレーンの歌声や、上位魔獣の咆哮すら、これ一つで無効化できるではないか。神の涙(瞬間接着剤)といい、魂を写す紙(カーボン紙)といい、お前のポケットはどうなっているのだ……!」
「アズマ様は、いざという時に必ず守ってくれる神様ですのよ!」
リーザが誇らしげに胸を張り、アズマの腕にすり寄る。
だが、その反対側から、キャルルがじっとアズマの顔を見つめていた。そのエメラルドグリーンの瞳には、感嘆だけでなく、確かな「戦士としての評価」が宿っていた。
「アズマさん。あなたのその知識と道具は、確かに魔法よりも凄いかもしれません」
キャルルは真剣な表情で告げた。
「でも、耳栓で魔獣の爪は防げません。道具を出す前に首を落とされたら、何の意味もないんです」
「うっ……それは、そうだけど」
前世はただのホームセンター副店長。戦闘力など皆無のアズマは、痛いところを突かれて言葉に詰まった。
するとキャルルは、ニッコリと、この上なく愛らしい、しかしどこか背筋が凍るような笑顔を浮かべた。
「だから、護衛である私が、アズマさんを一から鍛え直してあげますね! 私の『月影流格闘術』の基礎から、みっちり、スパルタで教え込みますから! 逃がしませんよ?」
「え? あ、いや、俺は別に戦うつもりは――」
「だーめーでーす! 自分の身くらい、最低限は守れるようになってもらいますからね!」
キャルルがアズマの腕をガシッと掴み、絶対に逃がさないという強い意思を見せる。その隣で、リーザが「アズマ様が筋肉ムキムキになってしまいますわ!」とトンチンカンな悲鳴を上げている。
強面の軍閥司令官という強大な後ろ盾を得て、ようやく異世界での安全な基盤を築けたと思ったのも束の間。
アズマは、月兎族の鬼教官による血を吐くような特訓が待っていることを悟り、そっと遠い目をしながら、静かに絶望の溜め息をつくのだった。
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