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高望王流平氏における「嫡流」の変遷と平将門の乱の再考  作者: えいの
第2章:高望王流平氏の初期力学と平良将の圧倒的優位性

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第二節:官職比較:受領(平良兼)と軍事貴族(平良将)の決定的な格差

第一節において論じた如く、長男たる平国香は常陸国の在地勢力と婚姻関係を結び、大掾という地方の在庁官人の地位に安住したことで、一族全体を統率する絶対的な筆頭者としての資格を実質的に喪失していった。この長男の在地社会への埋没という事態を受け、高望王流平氏の歴史的表舞台に躍り出て、東国における一族の勢力を牽引する役割を担うこととなったのが、次男の平良兼と三男の平良将である。両者は長兄の国香とは異なり、朝廷から直接任命されるより高位の官職を帯びて東国における所領と軍事力を拡大していった。しかしながら、両者が就任した官職の性質を詳細に比較考量するならば、そこには文官的な地方行政官と、特権的な軍事司令官という、容易には埋め難い決定的な身分の懸隔が存在していたことが明らかとなる。本節では、良兼が歩んだ「受領」としての経歴と、良将が補任された「鎮守府将軍」という職掌を比較し、良将が一族内で有していた圧倒的な優位性を官職の性質から論証する。

まず、次男である平良兼の経歴について考察する。良兼は下総守や上総介といった地方長官の職を歴任した。十世紀前半の律令体制下において、これらの官職はいわゆる「受領」と呼ばれる階級に属する。受領とは、現地に赴任して一国の行政を実質的に取り仕切る筆頭国司のことであり、管轄国内における租税の徴収権、警察権、そして司法権を一身に掌握する極めて強力な権限を有していた。この時期の朝廷は、地方からの税収を確保するため、受領に対して一定の税額を中央に納入することを条件に、国内の統治を大幅に委任する請負的な体制へと移行しつつあった。したがって、良兼は下総国や上総国において、自らの裁量で莫大な富を蓄積し、その豊かな経済力を背景として強大な私兵集団を養うことが可能であった。良兼が東国において国香を凌ぐ強大な勢力を誇り、一族内でも有力な長老格として君臨していた背後には、この受領という役職がもたらす巨大な権益が存在したのである。

しかしながら、当時の朝廷が抱いていた価値観、あるいは「武勇の家格」という観点から良兼の地位を評価した場合、受領という役職には構造的な限界が存在した。第一に、受領はあくまで文官的色彩の強い行政職であり、その主たる任務は国家への租税の納入と地方行政の維持に置かれていた。第二に、受領の権限は任期中かつ管轄国内に限定されるという時間的および空間的な制約が課せられていた。良兼が下総守の任にある間は同国内で絶対的な権力を振るうことができたが、任期が満了し、その後任が決定すれば、公的な権限は失われる。彼が経済力に任せて養っていた武力も、本質的には徴税や治安維持のための実力行使部隊という性質を帯びており、国家から特別に「軍事集団の長」として恒久的に公認されたものではなかった。良兼の権力は、受領という役職に付随する一時的な利得に基づくものであり、武門としての精神的あるいは絶対的な権威を永続的に保証するものではなかったのである。

これに対して、三男の平良将が補任されたのは「鎮守府将軍」であった。『尊卑分脈』の高望王流平氏系図において、良将の付記には「鎮守府将軍」と明確に記されており、彼が東国において特異な地位にあったことが裏付けられている。鎮守府将軍とは、陸奥国に置かれた鎮守府の最高責任者であり、蝦夷の教化や平定、そして北方世界の軍事防衛を専管する東国最高の軍事司令官である。この職に就くことは、単なる地方の行政長官になることとは根本的に意味が異なる。それは、朝廷から公式に「国家の武威を代表する権門」として特別に認定されたことを意味するのである。

鎮守府将軍の権能の最も特権的な点は、広域にわたる軍事指揮権と、大規模な武力保持が恒常的かつ合法的に認められていた点にある。外敵の脅威に対抗し、辺境の治安を維持するため、将軍は常に精強な軍団を組織し、武芸に秀でた者たちを私的な従者として多大に養うことが正当化されていた。受領である良兼の武力が一国内における警察機構の延長線上にあったのに対し、良将の保持する武装集団は「朝廷を防衛する公的な軍事力」そのものとして広く認知されていた。十世紀前半という、律令国家の軍団制が解体し、個人の武力が重んじられつつあった歴史の転換期において、自らの私兵を国家公認の武力として大手を振って行使できるという権能は、他のいかなる官職にも代えがたい特権であった。

当時の東国武士たちにとって、この「将軍」の威光は絶大にして神聖なものであった。良将の周囲には、名誉と武功を求める関東各地の勇猛な武者たちが自然と集い、強固な主従関係が形成されていったと考えられる。同時代史料である『将門記』においては良将個人の具体的な事績は詳細に語られていないものの、息子の将門が後に見せた圧倒的な軍事動員力や、坂東の武士たちが将門に対して抱いた異常なほどの畏敬の念は、父である良将が鎮守府将軍として築き上げた威信と無関係ではない。将門が後年「新皇」を称し、東国の独立国家構想を打ち出すに至る背景には、かつて自らの父が東国全域の軍事権を握る国家公認の将軍であったという事実が、揺るぎない誇りと正当性の根拠として存在していたと推測される。良兼の権力が「行政と経済」に立脚していたのに対し、良将の権力は「武力と国家的な栄誉」に立脚していたのである。

以上の官職比較から明らかなように、平良兼と平良将の間には、単なる兄弟の序列を超えた、官職の根源的な性質に由来する決定的な身分格差が存在していた。一地方の行政官たる受領に過ぎない良兼に対し、良将は東国一帯を統轄する軍事司令官であり、武家平氏の誉れを一身に体現する特権的な存在であった。高望王流平氏という新興の武門において、一族の武力を象徴し、諸国に散らばる一族全体を束ねる真の筆頭者たる実質と資格を有していたのは、受領の良兼ではなく、鎮守府将軍たる良将であったと結論付けざるを得ない。この官位と職掌の格差に基づく圧倒的な優位性があったからこそ、良将の存命中には一族内の秩序が厳格に保たれていたのであり、彼こそが「本来の嫡流」として君臨していたのである。


【引用元・参考文献】

一、『尊卑分脈』

二、『将門記』

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