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高望王流平氏における「嫡流」の変遷と平将門の乱の再考  作者: えいの
第四章:婚姻関係を巡る愛憎と修復不可能な相克の機序

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第四節:決定的な破局:「妻の奪還」事件が武士の名誉に与えた衝撃

前節において、平将門が舅である平良兼の老獪な統制を打ち破り、東国における自立した軍事権門として台頭していく過程を論じた。承平五年の野本における合戦において、将門が一族の長老であった平国香を討ち取り、良兼らが構築した在地閨閥の同盟軍を正面から粉砕したことは、高望王流平氏の内部において良兼が保とうとしていた既存の序列が完全に崩壊したことを意味していた。自らの意のままに動くはずであった婿の圧倒的な武威と反逆を前にして、良兼の胸中には長老としての面目を潰された深い屈辱と、底知れぬ焦燥が渦巻いていたに相違ない。本節においては、この政治的および軍事的な敗北に直面した良兼が、将門を屈服させるための最後の、そして最も致命的な実力行使である「妻の奪還」に踏み切った歴史的意義を問う。そして、この行為が将門という一人の武士の生存権と名誉にいかなる衝撃を与え、両者の対立を国家への反逆をも巻き込む未曾有の私戦へと激化させていったのか、その破局の機序を解明する。

将門の独立勢力化を軍事力によって直ちに鎮圧することが困難となった良兼は、自らが将門に対して唯一保持していた絶対的な優位性、すなわち「舅」という私的な親族関係の特権を暴力的な形で直接行使する挙に出た。同時代史料である『将門記』は、良兼と将門の間に横たわる最後の絆が断ち切られた決定的な瞬間を、次のような簡潔にして生々しい記述で伝えている。

「良兼、将門が本意を背くを憤りて、忽ちに其の女を奪ひ取りて本国に帰る」

この記述が意味する事態の深刻さは、現代の法意識や家族観を以て推し量ることは到底不可能である。良兼は、将門の本拠地である下総国豊田郡あるいはその周辺において、自らの娘、すなわち将門の正妻を武力あるいはそれに準ずる強引な手段をもって奪い返し、自らの領国である上総国へと連れ去ったのである。良兼の主観、すなわち「舅の論理」に従えば、この行為は親の意向に背き、一族の和を乱す不忠な婿に対する正当な親権の行使であり、最大の懲罰であった。自らの勢力拡大のための手駒として機能しないばかりか、一族の長老たちに刃を向けるような危険な男の下に、自らの血を分けた娘を留め置くことはできないという理屈である。

しかしながら、この出来事を「婿の論理」すなわち将門の側、ひいては十世紀の坂東社会における武士の価値観から照らし合わせた時、その意味合いは一変する。当時の武家社会において、いかに舅の権限が絶大であったとはいえ、一度嫁がせた妻を夫の同意なく強引に連れ戻すという行為は、夫に対するこの上ない侮辱であり、その社会的存在意義を根本から否定する暴挙であった。

十世紀の東国武士たちにとって、自己の権力基盤を支える最大の要素は、主君としての「武威」と「庇護能力」に対する郎党たちからの絶対的な信頼である。自らの居館において、最も身近に庇護すべき存在であるはずの正妻を、他者の武力と権威によって力尽くで奪い去られるという事態は、その武将が自らの家の中の安全すら保障できない無力な存在であることを、坂東全域の武士たちに露呈することに他ならなかった。いかに野本での合戦で勇猛果敢な武功を挙げようとも、自らの妻一人を守りきれない将門を、配下の武士たちが真の武門の棟梁として畏敬し続けることは極めて困難となる。

すなわち、良兼による妻の奪還は、単なる夫婦の離縁という私的な家庭内の問題ではなく、将門が父良将から受け継いだ鎮守府将軍の嫡流としての権威と、東国武士を惹きつけてきた武門の長としての威信を、根底から破壊し尽くす致命的な社会的去勢行為であったのである。名誉と面目を至上の価値とし、恥を掻くことを死よりも重い屈辱とする当時の武士道徳において、将門がこの行為を黙って座視することは、武士としての社会的な死、すなわち生存権の完全な喪失を意味していた。

ここで、前章までに論じてきた対立の構造は、決定的な質的転換を迎えることとなる。これまで将門と伯父たちの間に繰り広げられていた角逐は、基本的には亡き良将の残した豊田郡および岡田郡の遺領を巡る所領争いや、高望王流平氏の内部における氏長者の座を巡る権力闘争という、政治的かつ経済的な利害関係に基づくものであった。いかに武力衝突に発展したとはいえ、そこには在地における権益の再分配という一定の政治的な落とし所が見出せる余地が、僅かながらも残されていた。

しかし、妻の奪還という武士の誇りを徹底的に蹂躙する行為が引き金となったことで、両者の対立は一切の妥協を排した、純粋な感情的憎悪と殺意の応酬へと完全に変質したのである。良将の正統なる後継者としての強烈な矜持を何よりも重んじてきた将門にとって、自らを足蹴にし、妻を奪い去った良兼という存在は、もはや交渉の余地のある政治的対立者ではなく、自らの手で直接その血を啜り、一族の系譜から完全に抹殺しなければ、己の名誉を浄化することのできない不倶戴天の怨敵へと変わった。

『将門記』においては、この奪還事件の直後、将門が妻を取り戻すために軍勢を率いて上総国へと怒涛のごとく侵攻し、良兼と凄惨な死闘を繰り広げる様が克明に描かれている。将門の妻は、兄弟の助けを借りて密かに将門のもとへ逃げ帰るなどの逸話も残されているが、一度生じた武門の面目を巡る亀裂は、もはやいかなる形でも修復することは不可能であった。舅であった良兼もまた、一度振り上げた拳を下ろすことはできず、一族の長老としての意地と、台頭する将門に対する尽きせぬ恐怖から、諸国の武士を糾合して将門の討伐に執念を燃やし続けることとなる。

愛娘を嫁がせることによって将門の牙を抜き、良将の莫大な遺産を合法的に自らの手に収めようとした良兼の老獪な政略結婚は、ここに完全なる破綻を決定づけられた。将門を意のままに操るための最強の羈絆となるはずであった婚姻関係は、逆説的にも、将門の自立心を最も過激な形で発火させ、両者を骨肉の相食む修羅道へと突き落とす最大の起爆剤として機能してしまったのである。

ここに、良将の早世という歴史の空隙から生じた権力空白と、未成熟な相続制度を背景とした伯父たちの蚕食、そして嫡流の誇りを胸に帰国した将門との認識の齟齬という客観的要因は、妻の奪還という個人的な愛憎と名誉の侵害という強烈な主観的要因と完全に結びついた。もはやこの争いは、高望王流平氏という一族の内部に留まるものではなく、東国全域の武士たちを二分し、果ては朝廷の権威をも否定する巨大な独立戦争、すなわち「平将門の乱」という歴史的大動乱へと猛烈な勢いで雪崩れ込んでいくこととなる。

鎮守府将軍平良将が築き上げた輝かしい東国の軍事権門の遺産は、その正統なる継承権を巡る一族の老獪な謀略と、誇り高き若者の激情の衝突によって、坂東の地を鮮血で染め上げる未曾有の悲劇へと昇華された。親族としての情愛や和を保つための最も有効な手段であったはずの「いとこ婚」が、かえって肉親間の憎悪を修復不可能な次元にまで増幅させ、武士の社会における面目と生存権を賭けた全面戦争の引き金となったというこの歴史の皮肉こそが、将門と良兼の相克の本質を最も鋭く物語っているのである。次章においては、本論文全体の総括として、これまでの議論を通じて再構築された平将門の乱の初期衝動の真実と、歴史的勝者によって作り上げられた「嫡流」という概念の虚構性について最終的な結論を提示する。


【引用元・参考文献】

一、『将門記』(新編日本古典文学全集、小学館)

二、『尊卑分脈』

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