第三節:将門の従属拒否と独立勢力化への動き
前節において、平良兼が自らの娘を甥である平将門に嫁がせた行為は、亡き平良将の莫大な遺領を合法的に自らの勢力圏へと囲い込み、将門を己の傀儡として統制するための極めて老獪な政治的戦略であったことを解明した。舅という絶対的な優位性を背景に、良兼は高望王流平氏の内部において自らを頂点とする盤石な支配体制を構築したかに見えた。しかしながら、この緻密な計算の上に成り立った政略結婚は、最も重要な一点において致命的な誤算を孕んでいた。それは、良兼が将門という一人の武将の内に秘められた、鎮守府将軍の正統なる継承者としての強烈な矜持と、類稀なる武門としての器量を完全に過小評価していたという事実である。本節においては、良兼の周到な統制の羈絆を打ち破り、将門がいかにして自立した武力勢力として東国に台頭していったのか、そして統制を失った将門に対する良兼の焦燥が、いかにして激しい憎悪へと変貌していったのか、その決別の過程を詳述する。
将門が東国へ帰還し、一時的にせよ良兼の娘を正妻として迎え入れた当初、表面的には伯父と甥、あるいは舅と婿という親族間の平穏な秩序が保たれているかのように見えた。将門は自らの拠点を下総国の豊田郡に置きつつも、強大な在地閨閥を形成していた良兼ら年長者の顔を立て、その勢力圏の内部で慎重に振る舞っていたと推察される。しかし、この表面的な恭順の裏側で、将門は決して亡き父の遺産と自らの正当な権利を諦めてはいなかった。彼は豊田および岡田両郡の在地において、父良将の時代に仕えていた旧臣や、良兼の支配に不満を抱く在地の武士たちと密かに結びつき、独自の軍事基盤の再構築に心血を注いでいたのである。
十世紀の東国社会において、武士団の紐帯を決定づける最大の要素は、主君個人の「武勇」と、配下に対する「恩恵」の二点に尽きる。受領として行政的な富を蓄積し、政治的な駆け引きによって権力を維持しようとする良兼の姿は、血沸き肉躍る武功を重んじる坂東の荒武者たちの目には、いかにも文弱で官僚的なものに映ったに違いない。これに対し、将門は天性の軍略と卓越した弓馬の技量を備えており、配下の兵たちと苦楽を共にする武門の棟梁としての圧倒的な魅力を放っていた。良将の輝かしい記憶を留める旧臣たちのみならず、新たなる恩賞と名誉を求める東国の武者たちは、次第に良兼の老獪な支配を嫌悪し、赫々たる武威を体現する若き将門の麾下へと続々と集結し始めたのである。
将門の軍事力と在地における名声が日増しに高まるにつれ、彼はもはや良兼の用意した「従順な娘婿」という小さな枠組みに収まりきる存在ではなくなっていった。将門は独自の判断で所領の経営に介入し、配下の兵を動かして周辺の治安維持や紛争の調停に乗り出すなど、東国における自立した権力者としての振る舞いを公然と見せ始める。これは、一族の長老として東国全体の秩序を管理していると自負していた良兼にとって、自らの権威に対する明白な挑戦であり、決して看過することのできない重大な脅威であった。
この将門の独立勢力化への動きが、ついに後戻りのできない決定的な軍事衝突へと発展したのが、承平五年に勃発した前常陸大掾源護の息子たち(扶、隆、繁)との野本における合戦である。同時代史料である『将門記』は、この激突の模様を次のように伝えている。
「源護の男・扶等、将門の向かひ来るを相待ちて、野本の営所に於いて、密かに謀を成して待ち懸けたり。(中略)将門、馳せ向かひて合戦を致すに、扶等、散々に敗れ走りて、命を全くする者少なし」
この野本の合戦は、単なる他氏族との局地戦という以上の、極めて重大な政治的意味を内包していた。なぜなら、将門が打ち破った源護の陣営は、他ならぬ良兼や平国香らが強固な婚姻関係によって結びつき、東国の権力構造の頂点に君臨していた一大同盟勢力の中核であったからである。将門が源護の息子たちを軍事的に討ち破り、その所領である常陸国へと兵を進めたという事実は、将門が伯父たちの構築した既存の権力秩序を実力によって完全に否定し、正面からこれを粉砕する意志を表明したことに他ならない。
将門の鉾先は源護の陣営に留まらず、源護に同調して兵を挙げた伯父の平国香の居館をも焼き払い、結果として国香を戦死させるに至る。ここに至って、将門はもはや良兼の庇護下にある一介の若輩者ではなく、伯父を討ち取り、東国の在地権力を単独で打倒し得る、最も危険かつ強大な独立軍事政権の長としてその正体を現したのである。
この事態の推移を目の当たりにした舅たる良兼の胸中には、どれほどの驚愕と焦燥、そして激しい怒りが渦巻いたことであろうか。娘を嫁がせることで将門の手足を縛り、良将の莫大な遺領と軍事力を無傷で自らの手中へ収めるはずであった完璧な戦略は、将門の圧倒的な武力と自立心の前において、あまりにも脆く崩れ去った。良兼は自らの老獪な政治的計算が、結果として最も恐るべき「武門の怪物」を東国に育て上げるための時間稼ぎに利用されてしまったという屈辱的な現実に直面させられたのである。
当時の武家社会における「面目」の重要性を鑑みれば、良兼の受けた精神的打撃は計り知れない。自らの娘婿が舅の恩義を仇で返し、長老としての権威を無視して一族の筆頭格であった国香を討ち取ったのである。もし良兼がこの将門の暴挙を放置し、何らの報復も行わなければ、東国における彼の威信は地に墜ち、配下の武士たちも一斉に彼を見限って将門の側へと寝返ることは火を見るより明らかであった。良兼にとって、将門を討伐し、一族の序列を再び力によって回復することは、自らの政治的生命と武門としての生存権を賭けた絶対の急務となったのである。
ここで注目すべきは、良兼の将門に対する感情が、単なる「計算違いをした政治家」としての冷徹な敵対心から、舅としての「裏切られた個人的な怨念と愛憎」へと急速に変質していく過程である。良兼は将門を自らの身内として迎え入れ、一族の序列の中に位置づけてやったという自負があった。それゆえに、将門の離反は単なる政治的独立ではなく、親族としての情愛と秩序を踏みにじる「不義密通」にも等しい背信行為として映ったのである。『将門記』がこの時期の両者の関係を記すにあたり、「将門が本意を背くを憤りて」という、舅の期待と意図(本意)を裏切られたという極めて情動的な表現を用いていることは、良兼の怒りの本質が、血縁と婚姻という濃密な関係性に根ざした深い愛憎の裏返しであったことを如実に物語っている。
可愛く、かつ利用価値のあるはずの婿は、今や自らの生存を脅かす最も憎悪すべき不倶戴天の敵へと変貌した。良兼はもはや政治的な謀略や合議によって将門を抑え込むことを完全に諦め、一族の全軍事力を動員してでもこの「可愛くない婿」を物理的に抹殺する決意を固める。将門の従属拒否と独立勢力化は、高望王流平氏の内部において辛うじて保たれていた冷戦状態を終結させ、血を血で洗う全面的な私戦の幕を否応なしに切って落としたのである。
このように、良兼の仕掛けた婚姻を通じた囲い込み戦略は、将門が本然的に有していた嫡流としての矜持と、東国武士を惹きつける強烈な武功の前に完全に破綻した。武力と名誉を至上の価値とする十世紀の坂東において、政治的計算のみで若き獅子を縛り付けることは不可能であった。そして、自らの意のままにならない婿に対する良兼の焦燥と激しい憎悪は、次節において論じる「妻の奪還」という、武士の社会において最も禁忌とされる致命的な実力行使へと彼を駆り立てることとなるのである。
【引用元・参考文献】
一、『将門記』(新編日本古典文学全集、小学館)
二、『尊卑分脈』




