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高望王流平氏における「嫡流」の変遷と平将門の乱の再考  作者: えいの
第四章:婚姻関係を巡る愛憎と修復不可能な相克の機序

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第二節:舅たる良兼と婿たる将門:良将遺領の合法的な囲い込み戦略

前節において、十世紀の東国社会における有力者間の婚姻が、単なる男女の私的な結びつきではなく、所領と郎党の継承権を巡る極めて高度な政治的契約行為であったことを論じた。その前提に立つ時、平良兼が自らの娘を甥である平将門に嫁がせたという事実は、高望王流平氏の内部秩序を決定づけようとする、良兼の極めて老獪にして周到な政治的布石であったことが浮き彫りとなる。本節においては、良兼が「舅」という絶対的な立場を利用して、いかにして将門を統制し、亡き平良将の遺領を合法的に自らの勢力圏へと「囲い込み」、既成事実化しようと企図したのか、その戦略の緻密な構造を解明する。

十世紀前半の東国において主流であった妻問婚あるいは婿入婚という婚姻形態の下では、妻の父親である「舅」と、娘の夫である「婿」との間には、後世の家父長制における父と子の関係にも等しい、極めて強固な主従関係ならびに保護と従属の力学が形成されていた。婿は妻の実家から経済的な支援や政治的な庇護を受ける見返りとして、舅の意向を重んじ、その権力基盤を支える軍事力の一部として機能することが暗黙の規範として求められていたのである。

良兼が将門を自らの娘婿として迎えた背景には、この「舅と婿」という当時の社会規範を最大限に悪用し、武力衝突を回避しながら自らの最大の政治的課題を解決しようとする冷徹な計算が存在した。その最大の課題とは言うまでもなく、亡き弟良将が東国に遺した下総国豊田郡および岡田郡の莫大な遺領と、そこに属する精強な武装集団の処遇であった。

将門が平安京における藤原忠平への出仕を終えて帰国した際、彼は偉大なる鎮守府将軍の正統なる継承者としての強烈な自負を抱いていた。もし将門が、良兼ら伯父たちの介入を完全に排除し、他氏族の有力な娘を妻に迎えて独自の軍事同盟を構築していたならば、彼は良兼にとって制御不能な最大の脅威となっていたに違いない。将門が独自の在地基盤と新たな姻戚関係を背景として遺領の全面的な返還を要求してくれば、良兼は一族の長老としての面目を潰されるのみならず、武力によってこれを迎え撃つという多大な出血を強いられることとなる。

良兼はこの最悪の事態を未然に防ぐため、将門の自立の芽を摘み取るための最も有効な手段として自らの娘を差し出したのである。将門を娘婿として身内に取り込むことによって、良兼は自らが帯びていた「一族の長老」ならびに「受領」という公的な権威の上に、「妻の父親」という私的かつ絶対的な権威を二重に上乗せすることに成功した。良兼の構想した支配体制は、将門を舅の庇護下に置かれた従順な若輩者として位置付け、良将の遺産を「娘夫婦の生活基盤を保護する」という極めて正当な名目のもとに、合法的に自らの管理下に置くというものであった。

この「囲い込み」戦略の実態は、良将の旧臣や郎党たちに対する巧妙な切り崩し工作と表裏一体であったと考えられる。良兼は将門の舅であるという立場を最大限に利用し、豊田や岡田の在地において「将門の後見人」として堂々と振る舞ったであろう。主君を失い、若き後継者の力量を図りかねていた良将の旧臣たちにとって、下総守などを歴任し、巨大な富と権力を有する良兼が、新たな主君たる将門の舅として後盾となることは、一見すると極めて頼もしい事態に映ったかもしれない。良兼はこの心理的な隙を突き、豊富な財力を用いて彼らに恩賞を与え、あるいは自らの配下として直接的な主従関係を結ばせることで、良将が育成した強大な軍事力を、将門の頭越しに自らの私兵へと再編していったのである。

また、所領の経済的権益に関しても同様の蚕食が進行したと推察される。良兼は娘の生活を支えるという名目で、豊田や岡田の豊かな私営田の収益に介入し、その上前を撥ね、自らの経済基盤へと組み込んでいった。これは武力による略奪という野蛮な形態をとらない、極めて平和的かつ合法的な体裁を整えた横領であった。周囲の目から見れば、良兼の行動は「頼りない甥を庇護し、一族の財産を散逸から守る立派な長老」の姿として映るように計算し尽くされていたのである。

では、なぜ将門はこの時期、良兼の娘を妻に迎え、このような不利な状況を一時的にせよ受け入れたのであろうか。史料上には将門の心理を直接的に物語る記述は残されていないが、帰国直後の彼が置かれていた政治的孤立を考慮すれば、その理由は自ずと推察できる。帰国した将門を待ち受けていたのは、良兼、国香、そして常陸国の大豪族である源護が強固な姻戚関係で結託し、東国の権力構造を既に掌握しているという厳しい現実であった。武勇に優れていたとはいえ、父の死によって軍事基盤が動揺し、自らの手足となる直属の郎党を十分に掌握しきれていなかった当時の将門にとって、この巨大な連合権力に対して即座に全面的な武力抗争を挑むことは、自滅を意味する極めて無謀な選択であった。

したがって将門は、一族の内部において自らの居場所を確保し、父の遺領を少しでも穏便な形で自らの手元に取り戻すための苦肉の策として、一時的に良兼の庇護下に入る、すなわち良兼の娘を妻に迎えるという妥協を選択せざるを得なかったと考えられる。将門は、舅となった良兼に対して表面的な恭順を示しつつ、水面下で自らの直属の軍事力を再建し、真の独立を果たすための機会を窺っていたのである。

しかし、この良兼の老獪な囲い込み戦略と、将門の面従腹背の妥協という危うい均衡は、長く保たれる性質のものではなかった。なぜなら、良兼の戦略は、将門が父良将から受け継いだ「鎮守府将軍の正統な後継者」としての並々ならぬ矜持と野心を、根本において見誤っていたからである。

同時代史料である『将門記』は、この舅と婿の間に生じた致命的な亀裂の始まりを、次のような表現で伝えている。

「良兼、将門が本意を背くを憤りて、忽ちに其の女を奪ひ取りて本国に帰る」

ここで最も注目すべきは、「将門が本意を背く」という記述である。ここで言う「本意」とは、将門自身の本来の意志という意味ではなく、「良兼が将門に対して抱いていた期待や意図」と解釈するのが当時の文脈において妥当である。良兼の意図した本意とは、将門が自らの娘婿として完全に自己主張を放棄し、良兼の勢力拡大のための手駒として従順に奉仕することに他ならなかった。良兼は自らの囲い込み戦略が完璧に機能しており、将門はもはや自らの手の平の上で踊る傀儡に過ぎないと過信していたのである。

しかし、将門の魂の奥底には、高望王流平氏の本来の嫡流であるという激しいプライドが燃え盛っていた。将門は次第に良兼の統制を疎ましく思い始め、舅の意向を無視して自らの麾下にある兵を動かし、あるいは在地において独自の政治的判断を下すようになっていった。これは、自らの遺領を侵食し続ける伯父に対する静かなる反抗であり、東国における真の武門の棟梁としての自立宣言でもあった。

将門が独自の勢力を拡大し、自立の気配を濃厚にし始めたことは、良兼にとって自らの完璧な支配計画が根底から覆されることを意味した。娘を媒介として将門を絡め捕り、良将の遺領を永遠に自らのものとするはずであった老獪な構想は、将門の抜き身の刃のような自立心によって無残に切り裂かれようとしていたのである。可愛い手駒であったはずの婿が、突如として自らの最大の政敵として立ち塞がるという恐怖と焦燥は、良兼の胸中に将門に対する激しい憎悪を醸成していった。

このように、良兼が仕掛けた「婚姻による遺領の合法的な囲い込み」という戦略は、一時的には将門を抑え込むことに成功したものの、結果として将門の武門としての誇りを深く傷つけ、両者の間により深刻で修復不可能な対立の火種を植え付けることとなった。親族の和を保つための政略結婚は、ここに愛憎が渦巻く凄惨な権力闘争の温床へと変貌したのである。次節においては、この潜在的な対立がいかにして表面化し、将門が伯父の軛を断ち切って本格的な独立勢力として東国に覇を唱えようとしたのか、その決別の過程を詳述する。


【引用元・参考文献】

一、『将門記』

二、『尊卑分脈』

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