第一節:高望王流平氏における「いとこ婚」の政治的意味
前章までに、平将門の乱の背景に潜む構造的な要因として、平良将の急死がもたらした深刻な権力の空白と、それを埋めようとした年長者たる平良兼の当主代行の論理、そして帰国した将門の嫡流としての自負との間に生じた決定的な認識の齟齬について論証してきた。官位の性質、在地基盤の優位性、そして未成熟な相続制度といった社会構造的な要素は、高望王流平氏の内部秩序を崩壊させる十分な客観的要因であった。しかしながら、この親族間の対立が、なぜあれほどまでに凄惨で、妥協の余地のない血みどろの私戦へと発展していったのかを完全に解明するためには、客観的な政治力学のみならず、当事者たちの間に存在した極めて濃密な人間関係の力学、すなわち「婚姻」を媒介とした愛憎の機序を視野に入れなければならない。本章においては、良兼と将門の間に結ばれていた婚姻関係が持つ政治的意味と、それがもたらした破局への過程を考察する。その第一歩として、本節では十世紀の東国社会における婚姻制度の特質と、良兼が自らの娘を将門に嫁がせた背後にある高度な政治的意図について明らかにする。
十世紀の日本社会、とりわけ東国において勃興しつつあった初期の武士団における婚姻は、現代的な個人の恋愛感情に基づく結合とは全く次元を異にするものであった。当時の婚姻形態は、夫が妻の実家に通う妻問婚、あるいは妻の実家に同居する婿入り婚が主流であり、女性の実家が持つ財力や所領、そして軍事力が、夫の権力基盤を形成する上で極めて重要な意味を持っていた。すなわち、有力者間における婚姻とは、単なる男女の結びつきではなく、氏族同士の軍事同盟の締結であり、所領と郎党の継承権を巡る極めて高度な政治的、経済的な契約行為に他ならなかった。
高望王流平氏の兄弟たちが、常陸国の大豪族である源護の娘たちを次々と妻に迎えた事実も、この政治的契約の典型例である。平国香、平良兼、平良正の三兄弟は、源護の娘を娶ることによって、源護が有する莫大な私営田と武装集団を自らの勢力基盤に結びつけ、同時に源護を中心とする強力な在地閨閥を形成した。このように、誰の娘を妻とするか、あるいは誰を婿として迎えるかという選択は、一族の興亡を左右する決定的な戦略であったのである。
この当時の婚姻規範を前提とした時、高望王流平氏の内部において行われた「いとこ婚」という極めて近親間での婚姻関係の構築は、特筆すべき政治的意味を帯びてくる。同時代史料である『将門記』は、良兼と将門の決定的な対立の契機を描写するくだりにおいて、次のように記している。
「将門の妻、すなはち良兼の女なり。(中略)良兼、将門が本意を背くを憤りて、忽ちに其の女を奪ひ取りて本国に帰る」
この短い記述は、将門が伯父である良兼の娘を正妻として迎えていたという、重大な歴史的事実を伝えている。伯父の娘、すなわち将門にとっては従姉妹にあたる女性との婚姻である。なぜ良兼は、自らの娘を甥である将門に嫁がせたのであろうか。
一族内での近親婚は、当時の貴族社会や武士社会において決して珍しいことではなかった。その最大の目的は、一族が保有する貴重な財産、すなわち豊かな所領や精強な郎党が、婚姻関係を通じて他の氏族へと流出することを防ぐ「囲い込み」にある。高望王流平氏が東国において支配していた広大な遺領は、外敵から守るべき巨大な権益であった。良兼からすれば、有望な若者である将門を自らの婿として身内に取り込むことは、一族の血統の純潔性を保つと同時に、一族の富を外部に漏らさないための極めて合理的な防衛策であったと評価できる。
しかし、この婚姻の背後には、より生々しく、かつ老獪な政治的意図が伏在していたと見なければならない。良兼が娘を将門に嫁がせた時期がいつであるか、史料上に明確な記載はないが、将門が京から帰国する前後、すなわち良将の急死によって権力の空白が生じ、良兼が当主代行として台頭しつつあった時期と重なる蓋然性が極めて高い。この時期における良兼の最大の懸案は、亡き弟良将が遺した豊田郡および岡田郡の莫大な遺領と、そこに属する軍事力をいかにして合法的に自らの支配下に収め、既成事実化するかということであった。
もし将門が全く別の有力氏族の娘を妻に迎えていたならば、将門はその妻の実家の強力な支援を背景として、良兼に対して強硬に遺領の返還を迫り、完全に独立した勢力として良兼の権威を脅かす存在となったであろう。良兼にとって、将門を自由に泳がせることは、自らの暫定筆頭者としての地位を根底から揺るがす最大の脅威であった。
そこで良兼が打った布石こそが、自らの娘を将門に与え、「舅と婿」という絶対的な上下関係の軛を将門に嵌めることであった。当時の婚姻関係においては、妻の父親である舅は、婿に対して極めて強い発言権と統制力を持っていた。良兼は将門を自らの可愛い娘婿と位置付けることで、「一族の長老」という名目に「妻の父親」という私的かつ強力な権威を二重に上乗せしたのである。
この政略結婚が成立した暁には、良兼の描く筋書きは完璧なものとなるはずであった。すなわち、将門は舅である良兼の庇護下に入り、その意向に逆らうことのできない傀儡として振る舞う。良将の遺した豊田と岡田の遺領は、表向きは将門が継承した形をとりつつも、実質的には舅である良兼の強大な管理下に置かれる。さらに、娘と将門の間に男児が誕生すれば、その子は良将の正統な孫であると同時に、良兼の血を引く孫ともなる。良兼は、自らの血統を次世代の高望王流平氏の直系に送り込むことで、暫定的な当主代行という不安定な立場から、名実ともに一族を支配する絶対的な存在へと昇華することができるのである。
良兼にとってこの婚姻は、武力行使による角突き合いを避けながら、良将の遺産と血統を合法的に、かつ完全に自らの勢力圏へと吸収するための、極めて巧妙な「囲い込み」戦略であった。彼は娘を差し出すことによって、将門の独立心を骨抜きにし、一族の序列の中に永遠に縛り付けようと企図したのである。
しかしながら、この老獪な政治的計算は、将門という個人の並外れた器量と、嫡流としての強烈な自負を完全に甘く見ていた点において、決定的な破綻を内包していた。将門は、良兼の用意した「従順な婿」という枠に収まるような柔弱な若者ではなかった。むしろ、この二重の軛を嵌めようとする良兼の目論見こそが、将門の誇りを深く傷つけ、彼を完全な自立と反逆へと駆り立てる最大の起爆剤となっていくのである。次節においては、良兼のこの囲い込み戦略がいかにして破綻を来たし、将門が独立勢力として伯父に牙を剥くに至ったのか、その葛藤の過程を詳述する。
【引用元・参考文献】
一、『将門記』




