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高望王流平氏における「嫡流」の変遷と平将門の乱の再考  作者: えいの
第三章:平良将の早世による権力の空白と暫定筆頭者平良兼の台頭

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第四節:帰国した将門の嫡流としての自負と伯父たちとの認識の齟齬

平安京における数年間に及ぶ遊学と、太政大臣藤原忠平という当時の最高権力者への出仕を終え、平将門が故郷である東国へと帰還を果たしたのは、承平元年の前後であったと推測される。都における洗練された貴族文化に触れ、中央政界の権力構造を肌で学んだ将門の胸中には、東国における最大の武門の御曹司としての希望と、亡き父平良将の偉大な遺産を受け継ぐという確固たる決意が満ち溢れていたに違いない。しかしながら、彼が足を踏み入れた下総国の本拠地、すなわち豊田郡および岡田郡の光景は、彼の期待を無残に打ち砕くものであった。そこにあったのは、鎮守府将軍として父が君臨した輝かしい拠点の姿ではなく、指導者を失った空白に乗じて群がり、保護という美名の下に所領を蚕食した伯父たち、ならびに源護ら在地権力者によって無残に切り刻まれた遺領の惨状であった。本節においては、この帰国した将門が抱いていた真の嫡流としての強烈な自負と、一族の長老として振る舞う伯父たちの論理がいかにして正面から衝突し、修復不可能な認識の齟齬を生み出していったのかを論究する。

帰国した将門の行動原理の根底を貫いていたのは、「自分こそが偉大なる鎮守府将軍の正統な後継者であり、高望王流平氏の真の嫡流である」という絶対的な自負である。前章までに詳述した通り、父良将は単なる一地方の受領や在地豪族ではなく、朝廷から特別に公的な武力保持を認められた東国最高の軍事司令官であった。将門はその国家公認の特権的な武門の血を引く唯一の嫡男であり、父が一代で築き上げた強大な私兵集団と豊かな在地基盤は、いかなる理由があろうとも、欠損することなく自らの手に継承されるべき神聖な権利であると信じて疑わなかった。

さらに、将門のこの自負をより一層強固なものとしていたのが、彼自身の都での出仕経験である。将門は最高権力者たる藤原忠平の私的な従者として仕え、中央政界と直結する強力な紐帯を維持していた。この経験は、彼に「自分は東国の辺境に土着した親族たちとは異なり、中央の権威に直接連なる選ばれた存在である」という優越感を植え付けていた。事実、彼の伯父である平良兼は受領として富を蓄えていたとはいえ一地方の行政長官に過ぎず、長男の平国香に至っては常陸国の大掾という下級の在庁官人に甘んじていた。官位の格や職掌の性質、そして中央との結びつきという観点から見れば、将門にとって伯父たちは明らかに自らより格下の存在として映っていたのである。武門の誉れを体現する将門にとって、このような格下の伯父たちに阿り、自らの正当な所領の横領を黙認することなど、武士の面目にかけて断じて許容できるものではなかった。

一方、東国において将門を迎え撃つ形となった伯父の良兼や国香らの論理は、将門のそれとは全く次元を異にするものであった。前節で論じたごとく、当時の親族集団においては、嫡男による単独相続制は未だ確立しておらず、年齢と実力を兼ね備えた年長者が一族を統率する実力主義的な規範が広く機能していた。良兼たちの認識において、亡き弟あるいは兄である良将が傑出した人物であったことは認めつつも、その遺児である将門は、いかに都で経験を積んだとはいえ、一族の中では所詮若輩者に過ぎなかった。一族の序列において上位にあるのは、年齢を重ね、受領としての行政経験や在地での強固な婚姻関係を築き上げている自分たち年長者であるという確信が彼らにはあった。

良兼たちからすれば、将門が帰国したからといって、既に数年にわたり自分たちが保護し、管理し、既成事実として自らの勢力圏に組み込んでいる豊田や岡田の所領を、素直に返還する道理は存在しなかった。むしろ彼らは、若き将門が一族の秩序を重んじ、長老である自分たちの庇護下に入り、その指図に従順に従うことこそが、親族としての正しいあり方であると考えていたと推察される。将門が自らの正当な相続権を強硬に主張し、独立した勢力として振る舞おうとする姿は、良兼ら年長者の目には、一族の和を乱す不遜な若造の反抗にしか映らず、彼らの長老としての権威を著しく傷つけるものであった。

この両者の間に生じた認識の齟齬は、決して対話や譲歩によって埋めることのできる性質のものではなかった。なぜなら、これは単なる農地の境界線を巡る争いや、一時的な感情の対立ではなく、高望王流平氏という武門の家格において「誰が真の主権者であり、誰が誰に服従するのか」を決定する、根本的な存在意義を賭けた闘争であったからである。「将軍の正統なる血筋と権威」を根拠に絶対的な独立と遺領の返還を求める将門の論理と、「年長者としての序列と在地における既成事実」を根拠に将門の従属を強要する伯父たちの論理。この二つの論理は、いかなる妥協点も見出せないまま、完全に平行線を辿ることとなった。

同時代史料である『将門記』は、一連の紛争が勃発した初期の状況を次のように記している。

「そもそも此の闘乱の起りは、源護等と将門と、各野営の所領を論ずるに依りてなり。然る間、良兼・国香等、源護に同意して将門を伐たむと為す」

この記述は、一見すると源護と将門の所領争いに伯父たちが加担したという単純な構図を示している。しかし、本節までの考察を踏まえるならば、この局地的な争いは、根底に横たわる致命的な認識の齟齬が表面化した最初の発火点に過ぎなかったことが理解できる。将門が「野営の所領」すなわち自らの正当な遺領の返還と権益の確保を実力行使によって試みた際、良兼と国香は直ちに源護と結託し、甥である将門を武力によって討伐しようと動いたのである。これは、彼らが将門を親族としての愛情の対象ではなく、自らが築き上げた東国における既得権益の体制を脅かす明確な「敵」として認識したことを意味している。

将門にとって、この伯父たちの振る舞いは言語に絶する裏切りであり、激しい義憤を呼び起こすものであった。本来であれば自らを支え、父の遺産を無事に継承させるべく後見する立場にあるはずの親族が、他氏族である源護と野合し、徒党を組んで自分を滅ぼそうとしているのである。将門が後年、藤原忠平に対して送った弁明の書状において、「本より国香・良兼等と、謀を同じくし心を合わせて、源護が非理の責めを遁れむと欲す。而るに良兼等、反って護が教へに随ひて、遂に将門を伐たむとす」と深い絶望と怨念を込めて記しているのも、この自らが信じていた親族の紐帯と正当な序列が、伯父たちの貪欲な利権追求によって無残に踏みにじられたことへの怒りの発露に他ならない。

武士という存在にとって、自らの所領を不当に奪われることは、単なる経済的損失を意味するのではない。それは、自己の生存基盤を否定され、武門としての名誉を汚されるという、生死に関わる重大な侮辱であった。鎮守府将軍の嫡男としての誇りに満ちた将門が、このような屈辱に甘んじて引き下がるという選択肢は存在しなかった。彼は父から受け継いだ天性の武略と、彼の下に馳せ参じた忠実な兵たちを率いて、伯父たちと源護の連合軍に敢然と立ち向かう決意を固めるのである。

かくして、良将の早世という歴史の空隙から生じた権力空白は、良兼による当主代行の既成事実化という段階を経て、帰国した正統後継者たる将門との間に決定的な認識の齟齬を生み出すに至った。一族の長としての権威を誇示しようとする年長者と、奪われた遺領と嫡流の誇りを取り戻そうとする若き獅子との対立は、最早平和的な解決の道を完全に閉ざされていた。良将がその圧倒的な力量によって保っていた高望王流平氏の内部秩序はここにおいて完全に崩壊し、事態は血を血で洗う未曾有の親族間私戦へと一気に雪崩れ込んでいくこととなる。

次章においては、この修復不可能な対立をさらに決定的な破局へと導いた要因として、良兼と将門の間に結ばれていた「婚姻関係」という、極めて親密であるがゆえに一層の憎悪を増幅させることとなった愛憎の力学について、詳細な検討を加えることとする。


【引用元・参考文献】

一、『将門記』

二、『尊卑分脈』

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