第八話 満月の夜、白百合のヘッドドレスを外されて。女装メイドは、公爵の少年になる
夜が深かった。満月だった。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床に白い帯を作っていた。
窓の外、雲ひとつない夜空に、月が丸く浮かんでいる。欠けたところがない。完全な、円い月。
なんだか、今夜は逃げ場がない気がした。
「……行こう」
小さく呟いて、隣の部屋の扉をノックする。
「入れ」
低い声が返ってきた。
部屋の中は暖炉の火だけが揺れていた。
橙色の光の向こうで、彼――セヴェラン様がこちらを見ている。
まるで、最初から来ると分かっていたみたいに。
「……会いに来ました」
喉が震える。
「あなたの、花になりに」
「……来るのが遅い」
次の瞬間、ぐっと腰を引き寄せられた。
「っ……」
頭につけていた白百合の飾りが外され、膝の上に落ちる。
逃げる間もなく、背中が壁に触れた。
近い。
熱を持った視線が、息が、全部近すぎる。
「……お前は本当に美しい」
頬に指が触れる。
そのまま優しく顔を上げさせられて、唇が重なった。
「ん、んぅ……っ」
息が続かない。
離れたと思ったら、また触れる。
何度も繰り返されるたび、頭がぼうっとしていった。
彼の手がメイド服の襟元に触れる。
「媚びも計算もない。……お前のこの無防備さが、私を狂わせる」
「セヴェラン、様……っ」
「ずっとこの声を聞きたかった」
鏡の前へ連れていかれ、自分の姿が映る。
「あ、っ……や、めて……っ」
赤く染まった頬。
潤んだ瞳。
知らない顔をした自分。
「……お前はもう、私だけの花だ」
「……っ」
「否定してみろ」
「……できない、です……っ」
言ってしまった。
「お前はどこへも行けない。私がお前に刻み込んだ熱を、死ぬまで忘れられない」
「あ……セヴェ、ラン……様……っ!」
「そうだ、私の名を呼べ」
彼が、動きを止めた。静かな目で、僕を見下ろす。
「……初めてか」
その一言だけは、こんなに静かだった。
彼のシャツを、両手で掴んだ。返事の代わりに。
――そして、夜が深くなった。
どれくらい時間が経ったか、分からない。
ただ、気づいた時には、泣いていた。
声を殺しながら、彼の胸に顔を埋めて。
怖くて、苦しくて、それでも、この人でよかったと思っていた。
「……お前は、私のものだ。死ぬまで、離さない」
耳元で囁かれた言葉が、暗闇に溶けていく。
好きなのに、苦しい。苦しいのに、離れたくない。
そのまま、意識が遠くなった。
眠る直前、思った。
僕は根のない花だと思っていた。
でも今、根が張られている場所が分かる気がした。




