第一話 帝都の死神・セヴェラン公爵邸への「生贄」メイド奉公
まず言っておく。
僕は男だ。
でも今、鏡の前に立っている「僕」は、どう見ても女の子だ。
白百合のフリルがついたメイド服。きつく締めたコルセット。丁寧に整えたピンクの髪。
完璧な「女の子」がそこにいる。
「……僕の名前は、ラナだ」
鏡に向かって言い聞かせる。
女の子として生きろと言われた。だから生きてきた。
【これが、毎朝の僕の仕事だ】
幼い頃から、女の子として育てられてきた。
朝起きたら髪を梳かし、肌を整えて、唇に色を乗せて、目元に影を入れて。
最後に鏡の前で、“女の子らしい笑顔”を練習する。
何度も。
何度も。
「違う」って、やり直しながら。
口角の角度、視線の向け方、まばたきのタイミング。
全部ぜんぶ、「女」を演じるための訓練だ。
これが、僕。
誰かのために作られた、本物じゃない僕。
没落した家の罪を肩代わりする、生贄。
帝都で一番恐れられている公爵様のところへ送り込まれる――それが、僕に与えられた役割だった。
今日から仕える公爵の元へ、馬車が向かっている。怖い。すごく怖い。バレたらどうなるか分からない。
道具として扱われてきた。それは分かってた。
でも、真実を知らなかった。
――あの時はまだ。
公爵邸の廊下は長くて、暗くて、冷たかった。案内の老執事の背中がどんどん遠くなる気がした。
「旦那様、例のメイドが到着いたしました」
重い扉が開く。
書類に向かっていた男が、ゆっくりと顔を上げた。
――漆黒の貴族服。
隙のない体格。
琥珀色の瞳が、まっすぐこっちを見た。
綺麗だ、と思った。
……え、待って。今それどころじゃないんだけど。
でも目が離せない。整いすぎた輪郭、感情をそぎ落としたみたいな無表情。暖炉の灯りに照らされた横顔は、まるで美術館の彫刻みたいで。
綺麗なのに、近づいたら傷つけられそうな――そういう美しさだった。
机には羽根ペンと几帳面に積まれた書類。
この人の”完璧さ”が、部屋のすみずみまで染み出しているみたいだ。
彼が立ち上がった瞬間、空気が変わった。
足が震える。
でも、止まれない。
「……は、初めまして、旦那様。本日よりお仕えいたします、ラナと申します」
声が震えた。膝を折りながら、心臓が口から出そうだと思った。
彼はつかつかと歩み寄ってきて――無言で、僕の顎を持ち上げた。
乾いた、冷たい指先。
至近距離で見る琥珀の瞳は、思っていたより、ずっと――
何も、映していなかった。
「……ひどい顔だな。そんなに震えていては、茶の一杯も満足に淹れられないだろう。今日はもう下がれ」
怒鳴られるわけでも、馬鹿にされるわけでもなかった。
ただの、温度のない一言。
でもその声が、低くて、静かで、不思議と耳に残る。
彼は背を向けて、また机へ戻っていった。羽根ペンが紙の上を走る音だけが、シンと静まり返った部屋に響く。
その無関心が、こんなにも救いになるなんて。
彼には、きっとわからないだろう。
部屋に戻ってから、ひとつ気づいた。
あの人、一度も目を逸らさなかった。
ただ「下がれ」と言ったのに、ずっと、ずっと僕を見ていた。
――あれって、何だったんだろう。




