表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Girl in the Blue Dress  作者: Ginger
32/39

第三十二章:鉄の鎧と、恋する瞳

昨夜、まともに眠れたとは到底言えない。

フィリップのキスと、あの謎めいた言葉が、一晩中、頭の中をぐるぐる回り続けていたからだ。


翌朝。

アラームの音で重いまぶたをこじ開けた私は、よろよろとバスルームへ向かい、鏡の前に立つ。

寝不足で疲れ果てた自分の顔を見て、朝からうんざりする覚悟はできていた。


しかし、そこに映っていたのは――私の予想とは全く違う女だった。


確かに、目の下にはうっすらと、昨夜の心の奮闘を物語る隈が浮かんでいる。

でも、それを帳消しにしてしまうほど、肌が――まるで上質な美容液をたっぷり吸い込んだかのように――内側から発光しているみたいにツヤやかだった。


そして、瞳が……そう、瞳が、いつもと違う。

昨夜の出来事を映したまま、潤んで、甘い光を帯びている。


(何よ、この顔……。まるで……)

まるで、恋をしているみたいじゃないの。


自分の唇に目をやった瞬間、昨夜のあの柔らかい感触がフラッシュバック。

顔が一気にカッと熱くなる。


(しっかりしなさい、エマ・ウォーカー!)

私は、自分の頬をパン!と叩いた。


昨夜のキスは――夢だ。

そう、きっと疲労が見せた、甘くて危険な幻覚に違いない。


そう自分に言い聞かせ、いつもの儀式をこなす。

シャワーを浴び、完璧なメイクを施し、最もシャープに見えるグレーのセットアップに身を包む。


鏡の中に、もう感傷的な女はいない。

そこに立っているのは、いつもの「鉄の女」だった。



オフィスに足を踏み入れると、空気が先週までとは明らかに違った。


「おはようございます、エマさん!」

部下たちの挨拶が、以前よりもずっと明るく、自然だ。


デスクに着くと、トムが淹れたてのコーヒーを手に駆け寄ってきた。


「エマさん、コーヒーです。ブラックですよね?」

「ええ……ありがとう、トム」


驚きを隠せないまま、そのカップを受け取る。


(月曜の、あの飲み会のおかげ、かしら?)

胸の奥に、じんわりと温かいものが広がる。


最悪の一週間の果てに手に入れた、ささやかで――でもとても大切な変化。

その事実に、自然と口元がほころんだ。



だが、穏やかな気持ちとは裏腹に、頭の中は全く別の場所にあった。

PC画面を見つめても、浮かんでくるのは昨夜のフィリップの笑顔と、あのグレーの瞳。


メールを打とうとしても、指が勝手に止まり、彼の唇の感触を思い出してしまう。

会議中も、上の空。


(今日のボス、なんだか少しぼーっとしている……?)

部下たちがそう思っていたことにも、私は全く気づかなかった。


それでも、長年のキャリアで染みついたプロの能力は健在だった。

半ば無意識のうちに、フィリップから指示されたローンチパーティーの企画について的確に指示を出し、ブレインストーミングを開始させる。

その他の山積みタスクも、まるで自動操縦のように――しかし完璧に処理していった。


気づけば、あっという間に終業のベル。


「私、今日、一体、何をしていたのかしら……」

一日の記憶が、妙に曖昧だった。



これ以上ここにいても、まともな仕事はできそうにない。

私は珍しく定時で帰ることに決めた。


「お先に失礼するわ」

「お疲れ様でした!」


部下たちの明るい声に、また少し心が救われた。



家に帰ると、昨日のフィッシュ・アンド・チップスの匂いがまだ残っていた。

一人、深くため息をつく。


仕事の疲れと心の混乱を洗い流すため、バスタブに熱いお湯を張り、お気に入りのバスオイルを数滴垂らす。


温かいお湯に身を沈め、ようやく思考の渦と向き合う。


(あのキスは、一体何だったの?)

興味がある、と彼は言っていた。

でも、だからといって、あんなことをする?


ただの気まぐれ?

それとも……。


彼のことを考えると、心臓がまたうるさく鳴り始める。


(それに、土曜日はハリーとのランチ……)

頭の痛い問題がもう一つ。


きっぱり断るべきだったのに、今さら何と言って断ればいい?

というか、既婚者の彼が一体何の用事で私を?



過去の男と、現在の謎の男。

ロマンティックだったはずの元カレと、悪魔のようだったはずの新しいビジネスパートナー。


ああ、もう!

私はお湯をバシャリと叩いた。


「忙しすぎるわ、私の頭の中!」


仕事のプレッシャーと、二人の男に振り回される複雑な感情。

キャリアウーマンの現実は、ドラマみたいにキラキラしているばかりじゃない。


答えの出ない問題だらけの中で、大きくため息をつく。


でも、その「忙しさ」を――ほんの少しだけ悪くないと思っている自分もいることに、私はもう気づき始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ