第二節 夜間強襲攻撃-02
十二月八日 午後六時 オアフ島北方海上
戦艦常陸
曇天の日暮れの海に鋼鉄の浮城がゆったりとした足並みで現れた。彼女達から僅か九千メートル彼方には黒々とした影を映すオアフ島の姿が見えていた。闇が次第に濃くなっていく空を背景に出現した彼女達は日中の間に駆逐隊が安全確認と測量を済ませて割り出した航路に従って三ノットという船の動揺を最小限に押える速度で進んでいた。上空からは微かに零式水上偵察機から発せられる[金星]発動機の嘶きが聞こえた。
時刻は一八〇〇ちょうど。南方の空に一筋の閃光が生まれ、そして待ちわびたように彼女らは一斉に砲火を上げた。放たれた零式通常弾は約二万五千メートル離れたオアフ島中部のショフィールド駐屯地に向かって飛翔し、兵舎の一部と駐屯地近くの民家を盛大に吹き飛ばした。同様に射撃を開始した各艦の副砲はオアフ島北岸のハレイワ・ワイアルアといった沿岸部の市井に向けて鉄の雨あられを浴びせていた。
何かが燃えているのか南の空が明るくなっていく情景を【駿河型戦艦】の次女である【常陸】の航海艦橋で猿の腰掛けと渾名される艦長用の座席に座りながらぼんやりと池添仁史大佐は眺めていた。彼は【常陸】の艦長であったが、航路や目標が前もって定められている今回のような作戦において彼の役割は限られている。それ故、この光景をただ眺め、またに舞い込む報告に耳を傾けるだけであった。
「沿岸部の町には軍事施設はないと聞いておりましたが。」
池添の隣で流暢だが何処か異国情緒漂う日本語が聞こえた。首から下こそ帝國海軍の第一種軍装に酷似した軍服を着ていたが、ただ一人白い軍帽を被る彼の存在感は非常に大きなものであった。襟元には桜ではなく青天白日章が輝いているのも彼だけであった。
「何か意見かね。周上尉(じょうい/大尉に相当)。」
「いえ。大陸ではしょっちゅうでしたから。」
池添の言葉に平然と答えた彼は周振宇という中華民国連邦海軍から派遣された観戦武官だった。
欧米はその存在を日本の傀儡政権と見なしている中華民国連邦政府だったが、その実情は少々異なるものであった。その国家運営は日本の指導下にある被保護国的立場であったものの、全くの操り人形というわけでもなかった。これは連邦政権を樹立させた後にインドシナ・ソビエト共和国に対する仏印進駐といった幾つかの紛争の後処理に追われ、日本に強く干渉できる外交的余力が残されていなかった現れでもあった。
中華民国の正統後継者として総統の椅子に座らされた蒋介石の遺子である蒋経国はその空白を利用して、帝國政府に対英米戦が生起した場合おける中華民国連邦の局外中立を認めさせていた。彼は帝國政府に対して友好的安全地帯の設定による工業生産力の温存という利益を示し、また中立表明した場合でも自国領域内において日本が使用する兵器類の生産を黙認するという密約を示したことにより、積極的に自ら戦争の深淵に落ち込んでいくこと――日本と共に米英に対して宣戦を余儀なくされることを全力で回避しようとしていた。もちろん、彼は自国領域内に進出する日本資本が工場労働者として積極的に中国人を採用するという甘い蜜を確保することも抜かり無く同時に済ませていたが。
それ故に中華民国連邦軍に籍をおく周のような軍人達は形式上全くの第三国の観戦武官として帝國陸海軍と行動を共にしていた。もちろん、ある程度の発言力確保のためそれなりの軍事力を欲している蒋経国の思惑がその派遣に大いに反映されていた。特に周が帝國海軍主力艦隊へ派遣されたことは、将来的に自力のみで中国沿岸部防衛を完遂したい蒋経国の内心が現れた結果であった。もちろん、帝國政府もそれを理解した上で広く観戦武官を受け入れていた。
池添は【常陸】に乗り込んだ周の経歴に目を通していたが、それは帝國海軍という組織しか知らない池添からすれば小説のような波乱の人生だった。
帝國の租借地である大連で貿易商を営む商人一家に生まれた彼は日本語を父親から仕込まれながら成長し、当時拡大期の最中であった中華民国海軍に士官候補生として入隊。その後、日本語が得意であることから日本への留学が命令され1932年に海軍兵学校第63期生として入学するも日中関係の悪化から卒業を翌年に控えた1935年に中途退学し帰国。暫くは艦艇勤務だったが共産党軍が化学兵器を使用し国民党軍が劣勢となった遵義戦役以降は海軍陸戦隊として動員され共産ゲリラと幾度と無く交戦するも1936年には彼がいた南京にて陸軍首都防衛部隊が共産側に寝返るという事態に巻き込まれ、そのまま紅軍に合流。北京にて新政権の樹立を迎え、後に中華人民解放海軍の軍服に袖を通した。偽名を使いそれまでの経歴を詐称していた彼は書類上の存在でしかなかった海軍艦艇部に配属されていたが、翌1937年の盧溝橋事件を皮切りに遂に侵攻を始めた日本軍に拘束された捕虜となった。彼は一旦捕虜収容施設の世話になるもののその経歴が判明した後に解放され、日本が新たに創設した中華民国連邦海軍に収まるという激動の経歴を持っていたのだ。それ故、彼の言葉には実戦の臭いがこびり付いている。
「事前砲撃は濃厚なのがいい。家に帰れる兵が増えますから。」
周は人間の棲家であった建築物の断末魔を双眼鏡でしげしげと見ながらそういった。榴弾の炸裂により一瞬の閃光とそれに照らされた空中に舞い上がる家屋の破片が闇から浮かび上がり、風光明媚な海辺の町は戦場特有の噴煙に包まれていく。
このオアフ島中部あるいは北岸に対する艦砲射撃は具体化の段階において陸軍の希望が強く反映されていたが、彼らは海軍に対して敵兵が潜伏する可能性がある家屋の全ての破壊をリクエストしていたのである。可能な限り迅速に南岸に達しなければならない上陸部隊にとってそれは不可欠な支援であった。当然ながら自ずと付帯的民間損害を必要とするものであったが、それは海軍も了承するところであった。両軍とも戦場に取り残された弱者の返り血は中国大陸や朝鮮半島で存分に浴びていた。可能な限りその発生を抑制すべきだったが、必要ならば躊躇する理由など存在しない。もちろん、砲撃を行う当の張本人である池添は住民の避難が終わっていることを切に願っていたが。
なお、潜水艦から隠密に上陸を果たすはずの陸軍特戦隊――本隊に先行して上陸地点の確保を行う挺進部隊の上陸に対する陽動としての役割もこの艦砲射撃は担っていた。もちろん、彼らが上陸する地点は砲撃対象から幾分か離れている。
「ただ、こんなに激しいやつは初めて見ましたが。」
周は【常陸】が再び放つ砲火に照らされながらニヤリとした表情を見せた。池添は「まぁな」と適当に相槌を打ちながら答えた。典型的な大砲屋としての経歴を辿った彼だってここまで激しい砲撃は先の米太平洋艦隊との戦闘を除けばその経験は皆無だった。戦域統括指揮官の小林大将がこの戦いで砲身命数を全て使い切るだろうと出撃前に訓示を述べた時は目眩がした程だった。
「我々、帝國軍は兵士の人命を大切に考えている。少なくとも中共軍よりは。」
池添はオアフ島砲撃にあたって海の戦いしか知らない彼を含めた艦長達に砲兵戦術をレクチャーした陸軍重砲兵学校指導員と全く同じフレーズを舌に乗せた。それを聞いた周は破顔した。過去にその中にいた彼はソ連から提供された武装一式を身に纏った数少ない精鋭部隊を除けば人民解放軍部隊の殆どは野盗に近い体裁であることを肌身で知っていた。
「そうでなければ、あの陸軍と共同して対地攻撃の研究なぞできないだろ。」
続けて大袈裟で悪質な冗談を口にした池添に周はとうとう声を上げて笑った。周の反応を見る限り、どこの国でも陸海軍の関係はよくないらしい。
今となっては笑い草だが池添は陸軍と共同して対地支援攻撃の研究を行えと小林大将から命令された時に艦長界隈に流れた微妙な空気の真っ只中にいた人間だった。別のフネの艦長達が真っ向から反論を唱えていたことも直接耳にしている。彼は陸軍に対して特に良くも悪くもイメージを持っていなかった。海の人間である彼にとって陸軍は別の世界の人間だった。反論を唱えた者達は別世界の人間がどかどかと自分の庭に入ってくることが許せなかったのだろうと彼は解釈していた。また陸軍のごく一部の部隊が政権転覆を図った二・二六事件において反乱をいち早く察知した海軍陸戦隊が逆賊を早期に討伐して以来、陸軍上層部の反海軍感情が高まったことも反対派の手助けしていた。もっとも中共と最前線で戦う両軍の将兵にとってはそんなことは関係なかったが。
真っ向から反対した艦長達と陸軍砲兵士官達は結局のところ和解を果たしていた。予想通りの反応を示した艦長達をとある料亭に集めた小林はそこで陸軍重砲兵学校の指導教官――対地攻撃研究の第一人者達と無理やり宴席を設けたのである。両者とも佐官級であり、いきなり胸倉をつかむような乱暴な真似はなかったが座敷には不穏な空気が満ち溢れていた。しかし、泣き上戸であった一人の陸軍将校がひとりでに昔話を披露したことが全てを変えた。彼はソンムの生き残りだった。
再び池添は宴で見せた涙脆い姿を見せたことなど忘れたかのように気持ち高圧的な態度に戻っていた重砲兵学校指導員が言ったフレーズを思い出しながら言葉を続けた。
「貴様ら海軍にとって副砲は豆鉄砲かもしれんが、陸軍にとっては野戦重砲だ。戦況を引っ繰り返す力を持っている。そして、自慢の大口径砲は超々攻城重砲だ。あれは陸軍砲兵の常識を軽く超越している存在と思って欲しい。貴様らに前線の歩兵の命が託されていることを絶対に忘れるな。」
芝居がかった声音でそう言った池添に周は笑顔を浮かべた。
「まぁ、正直言って勉強にはなったなぁ。」
池添のいうように艦長達は海軍の砲術を担う第一人者としての誇りを糧に短い期間で初歩的な砲兵戦術を我が物にしていた。言うまでもなくこの艦砲射撃でもそれは実行されるはずだった。彼らは上陸部隊の進撃に応じて前線に弾幕射撃を行うことになっていた。もっとも、上陸部隊が弾幕に合わせて進撃するという簡易的なものだったが。(通常は部隊の進撃にあわせて弾幕射撃が行われる)
それから暫く二人は雑談に花を咲かせていたが、池添は思い立ったように尋ねた。
「上尉、君は化学戦の経験はあるのか?」
周は平然と何一つ表情を変えないまま答えた。
「ええ、あります。あれは酷いものでしたねぇ。私は難を逃れましたけど。」
「そう……。」
他人事のような口調で言った周に池添は素っ気ない返事をし、やるせない溜息をついた。
「まさか米軍が毒ガスを使うとお考えで?」
周は不思議そうな表情を浮かべながら池添に尋ねたが、猿の腰掛けに座る彼は「まぁ」とはぐらかした。
「私はないと思いますよ。連中が合衆国民を守るための軍隊なら。」
人民を守るつもりさえなかった軍に籍を置いていた彼は気楽な口調でそう応じた。
池添は何も言わなかったが、彼も守るべき民があるこの島で米軍はその使用が国際条約違反に直結する悪しき兵器を使用するとは思っていなかった。
――そう、少なくとも米軍は。彼は自身のフネの弾薬庫に何が搭載されているか知っていたし、その使用を命じなければならない立場であった。艦隊決戦で多くの戦艦が損傷し、艦砲射撃にあたる隻数が確保できない場合、それは実行されるはずだった。幸いにも艦隊決戦を経た後もほぼ無傷の戦艦を手元に多く有していた彼らにそれを使う理由は無くなったが。
もし、その時が来ていたら彼は我々をどう思っただろうか。池添は砲火に照らされた周の横顔を眺めながらそう思った。
また溜息を吐きながら池添は猿の腰掛けに深くもたれかかった。
「俺はやっぱり陸戦には向いてないや。」
ぼんやりと誰に向かって言ったわけではなくそう呟いた池添は盛大に破壊されていく日常生活の名残をまた見つめるだけだった。




