第一節 巨砲の復権-10
午後十二時五十分 ハワイ北東沖合
第一艦隊旗艦 大和
「えぇぃ、まだ射撃できんのか!!」
戦闘と応急処置のための怒号が飛び交う戦闘艦橋。その中で【大和】艦長である田所大佐がついに声を荒げた。怒りの矛先は艦橋トップの主砲射撃指揮所、より厳格にいえば主砲方位盤だった。
今はなき敵二番艦が散り際に放った猛射により射撃に必要不可欠な方位盤を衝撃及び弾片により損傷させられた【大和】は第十四射を敵艦に放って以来、沈黙を続けていた。本来なら主砲射撃盤が機能を喪失することは想定範囲内だった。帝國海軍ではバックアップとして主砲予備方位盤を設置すると共に副砲及び高角砲方位盤に限定的ながらも主砲管制機能を付与していたし、当然ながら主砲塔に測距儀を設置し、砲塔独立射撃も可能としている。今回も主砲方位盤が故障した後に予備主砲方位盤が既に機能不全に陥っていたため副砲方位盤に管制を切り替えようとした。しかし、回路に何かしらの不具合が発生しているらしく、うまく主砲射撃盤と副砲方位盤が連携できていないらしい。砲塔独立撃ち方に変えようにも各主砲塔の測距儀は弾片により切り刻まれ使用できない。以上のような理由から【大和】は沈黙を余儀なくされていた。当初は「どうにかしろ」としか言わなかった田所も僚艦【武蔵】が敵四番艦に射撃を始めたことから我慢ならなくなったらしい。
「終わり……かな。」
それまで何も言わずに戦闘を見守っていた北海は高嶋参謀長に呼びかけた。それまで一心に彼の手元にある手帳に何かを――おそらく戦闘の推移を速記していた高嶋は北海の問いかけに筆を収めると安堵を匂わせる声音で言った。
「ええ。大勢は決しました。」
北太平洋の冷酷な海水に揉まれる新大陸の戦乙女たちは海面をのたうちながら辛うじて戦闘を続けていた。彼女たちから二万五千メートル離れている【大和】でも新大陸の浮城に煤け千切れながらも星条旗が翻っていること、つまり戦闘の意志を持ち続けていることは彼女達が残された火砲を帝國艦隊に向け、最後の抵抗を見せていることから明確に理解できた。とはいえ、彼女達は文字通り満身創痍の体であった。敵一番艦および二番艦の喪失により艦隊先頭に躍り出た敵三番艦に限って艦上構造物のほとんどを半壊させていたとはいえ、全主砲が駆動していたものの、それまで撃ち合っていた【甲斐】に加えて【武蔵】からも射撃を受けることになった敵四番艦は船体の何処から濛々と黒煙を吐き出しながら戦列から逸脱、円を描くような航跡を描いていた。おそらく推進機構に重大な損傷が発生したに違いなかった。彼女は円を描くことしかできなくなった後も尚【甲斐】を射界に捉えていた主砲で砲撃を続けていたが、今のところ水柱を並べるのみに終わっている。敵五番艦・六番艦についてはもっと悲惨であった。背面から突入した【駿河】以下第二戦隊の各艦によるつるべ撃ちに晒された彼女達は約八十秒おきに飛来する四十一センチ砲弾四十八発の雨あられに次々と絡みとられていた。甲板上に存在するあらゆる構造物がスクラップに処されていき、フネ全体を舐めるように業火が広がる。船脚も十数ノットまで落ちていた。撃沈は時間の問題だろう。
そんな劇的な光景を背景に高嶋は思い出したように続けた。
「あとは敵水雷戦隊ですが、あっちは大丈夫でしょう。最上と熊野なら撃ち負けることはないでしょうから。」
日米の巨艦が壮絶なる砲戦を繰り広げていた海域から数海里。そこには両陣営の水雷戦隊が自らに相応する相手を求めて邂逅を果たしていた。北海は麾下である第一水雷戦隊の大森仙太郎少将に荒天と戦力差を鑑み、こちらから無理に戦闘を仕掛けてはならないと下令し、当初は米艦隊側も遠巻きに様子を伺うのみだったが、戦艦同士による砲戦で不利を悟ったのか米水雷戦隊が強引にも突破を試みたことから戦闘が既に開始されていた。
一水戦の旗艦【最上】は前大戦に多々登場した偵察巡洋艦の流れをくむ二等巡洋艦――いわゆる乙巡だったが、基準排水量一万二千トンかつ十五・五センチ砲十五門を揃えた「超乙巡」であり、場合によっては手数の多さで下手な甲巡さえ圧倒できるとも謳われた精強なフネだ。そこらの駆逐艦なら瞬時に浮かべる鉄屑にできる実力は有している。とはいえ、北海は高嶋の言葉に同意を示しながら油断ならないとも思う。米軍も同種のフネを手に入れていた。それも当の【最上】を仮想敵として建造されたらしい。新大陸の超乙巡は雷装を断念する代わりに装甲を強化しているという話だが、水雷戦隊旗艦として駆逐艦と共に魚雷を抱えて突撃する東洋の超乙巡との設計思想の違いはこの戦いでどう現れるのだろうか。第二艦隊主力に随伴している第二水雷戦隊の旗艦【熊野】――神戸生まれの【最上】の妹が合流しているだろうから撃ち負けることはないと信じたいが。
応急措置の怒号の中に佇む艦隊幕僚の背後で艦隊無線電話機が鳴り響いたのは北海と高嶋が雑談を交わしてから暫くしてからだった。着信を示すブザーがなり、すぐに艦橋付きの電話員が応対を開始する。その光景はありふれたものだった。実際、被害報告の伝達や艦隊の増速及び進路変更の指示でも艦隊無線電話は重宝している。だが、応対した電話員が少し緊張した様子で艦隊司令官がいる方向を向いた時、当の北海は受話器の向こう側にいるだろう人物が【大和】と無線電話で交信できる範囲内にいる唯一上官であることを察したのだった。電話員は言った。長官、艦隊統括司令長官からお電話です。
「北海君、待たせたね。」
受話器の向こう側から聞こえる声は明らかに変質していたが、その声の主は北太平洋上にいる帝國海軍軍人の誰よりも権限を持っている人物であることに疑いようがなかった。北海のことを『北海君』と呼ぶような海軍大将は一人しかいない。
「いえ。お手数かけます。小林長官。」
GFによって立案された米太平洋艦隊の撃滅を目指すZ作戦。皇の艨艟を惜しみなく投じた文字通り帝國海軍にとって正気を疑う程の最大規模の作戦であったが、当のGF司令部はトラック諸島にある強固な半地下式司令部施設から一歩も動こうとはしなかった。これはハワイだけで戦争をやっている訳ではない(規模は小さいとはいえ南方作戦も同時平行で進行)というもっともな理由だったが、複数艦隊が同時展開するZ作戦を誰が統括するのかという問題からは逃れられなかった。当初は現地に展開する艦隊司令官の誰かに指揮を一任すればよいという場当たり的な声が主流だったが、使い潰される可能性が高い水上打撃部隊の指揮官達が口を揃えてその大役にあろうことか北海を指名したのだ。北海の功績を評価したとも作戦の無謀さから責任者になることを最後輩の中将になすりつけたとも思える現場指揮官達の声にGFは待ったをかけた。一説には北海がこれ以上派手に戦果をあげることを山本GF司令が好ましく思わなかったとも言われているが、それはともかくとして、GFは新たに艦隊統括司令長官なるポジションを創造することにより、それ相応の――つまり年功序列的に公正な人物へ指揮を任せるべきと判断したのだった。
これが小林宗之助大将が【駿河】に将旗を掲げた所以であった。直接の上官となるGF司令長官である海兵第三十二期の山本大将より後輩で、なおかつ一航艦司令の海兵第三十六期である南雲中将より先輩である……。そんな全く硬直した条件から選ばれた海兵第三十五期生の小林であったが、この決定は奇跡的に最高の人事であった。何人かの候補者の内、英国への長距離航海の指揮経験もあることから遠隔地における作戦指揮に精通しているとして司令長官に指名された小林であったが、その航海こそが一九三六年のキングジョージ六世戴冠記念観艦式への道のりであり、その時に彼が将旗を上げていたのが『飢えた狼』こと甲巡【足柄】、つまりかつての北海が艦長を務めたフネだったのだ。長き航海の中で徐々に互いの人間性を知った二人の間には確実に上下関係以上の信頼関係があった。
「問題ない。いや、感謝を言うべきは私の方だ。こちらの出番を残してくれて。まったく……、船団護送とか後方残置なぞ全く私の性に合わないね。」
受話器の向こう側で小林が笑うと北海もつられて笑った。だが北海の表情に何か後ろめたいものが見え隠れしていた。北海は知っていた。小林の直属である第二戦隊が後方に予備として残置されていた本当の理由を。だが北海は敢えてそれを思考の枠外へ追い出した。
「ええ。先駆けの名誉は何よりであります。まぁ、真打ちは最後に来るものと思いますが。」
「真打ち? 前衛の君が全部喰っちまう勢いじゃないか。食べ過ぎだよ。」
「確かに。食べ過ぎかもしれませんね。」
――食べ過ぎてお腹を下してしまいました。被害報告の暫定集計が北海の脳裏を掠めた。どのフネも大口径弾を少なくとも十発以上は被弾している。特に敵三番艦との砲戦が長引いた【信濃】の被害は甚大であった。副砲は根本から吹き飛んでいたし、煙突と後部檣楼があった場所には瓦礫の山が築かれている。何人の戦死者が出ているか考えたくもなかった。
「そこで長官、お願いがあります。」
遠くで敵五番艦の側面に次々に白い水柱が立つと同時に新大陸生まれの彼女が大きく身体をよじらせたのが見えた。水中弾だった。第二戦隊は既にかなり距離を詰めているらしい。いよいよ米太平洋艦隊も終わりだ。決着が着いているならもう戦う必要はない。
「これ以上フネが傷つくのを見たくありません。例え掲げる旗が違えど。それにもう満腹です。降伏を勧告したいと思います。」
「あぁ、好きにしたまえ。」
小林は納得したようで投げやりな口調でそう言った。じゃあ、また内地で会おう。そう言った小林に北海は失礼しますと返し受話器を置いた。
「やっぱり司令は物好きですね。」
北海の会話に聞き耳を立てていた高嶋がそう言った。口調は呆れていたが、その表情は朗らかだった。一方、射撃再開が間に合わなかった田所はどこか不服そうだったが。
「奴らのアイスクリーム美味しいんだぞ。」
北海がそう呟くと艦橋は笑いに包まれた。戦いを生き残ったという安堵が混ざったその感情は誰もが共有できた。将校の中には日米が平和だった頃に米国産のアイスクリームやコーラーといった魅惑品の軍門に下った者も少なくはない。あのもう戻れない数年前が異様に懐かしかった。
――射撃中断命令が出されてたのはそれからすぐのことだった。
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