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洋上のストラテジー  作者: 獅子宮タケ
第1章 Z作戦
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第一節 巨砲の復権-09

 午後十二時四十五分 ハワイ北東沖合

 アメリカ太平洋艦隊旗艦 戦艦サウスダコタ


 目の前の海面は戦乙女の血液であったどす黒いオイルに満たされ、所々に人間であったものが浮かんでいた。その中で一段と目を引くのは有機化合物を含んだ紅色塗料を身に纏う大鯨の姿のだった。それは【サウスダコタ級戦艦】二番艦である【インディアナ】の亡骸に他ならない。彼女は全ての義務を果たし、海底への永久の旅路へ旅立とうとしていた。なお、既に三番艦【モンタナ】の姿はない。彼女は別れを告げる間もなく四分五裂の体となって海神に手を引かれていった。だが、いくら水面の上に悲劇の痕跡があったとしても残された姉妹達に涙を流す時間は残されていなかった。

「先頭二隻の砲撃は止まっている。後ろの二隻さえ潰せば、この戦争は勝ちだ。さぁ、やるんだ!!」

 合衆国海軍太平洋艦隊旗艦【サウスダコタ】の中枢たる艦橋。そこで艦隊司令官であるキンメル大将は声を張り上げた。張り上げなければ人間の声など簡単に戦場音楽によって消し飛ばされそうだった。既に艦橋と外界を隔てていた防弾ガラスは大口径砲弾がもたらした衝撃波によって粉砕されており、そのガラス片により軍服を所々、赤く染めた者も少なくない。キンメルもその一人であったが、彼は出血処置の上、艦橋で指揮を続けていた。

「不沈艦は存在しないっ。撃ち続けろ!!」

 キンメルは己を鼓舞するためにも叫んだ。戦況は不利だった。日本艦隊の先頭二隻が沈黙しているのも目標変更に伴う諸元計算のための一時的なものに過ぎないはずだった。何よりも味方は二隻沈んでいるのに敵艦隊に沈没艦はない。とはいえ、キンメルは勝機が全くない訳ではないと思っていた。沈没艦はないとはいえ確実にダメージを与えていることは東洋の美的感覚を漂わせる日本製の船体各所から上がる黒煙と射撃弾数及び射撃間隔の低下により明らかだった。また不発弾が少なからず存在していたことも幸運だった。キンメルは【サウスダコタ】の舷側装甲を貫通した全ての大口径徹甲弾が所定の機能を果たしていれば彼と彼のフネがこの世にいなかったであろうことを艦長を通して知らされていた。合衆国の世間でよく言われる日本製品の信頼性のなさは一撃必殺であるはずの徹甲弾にも例外なく当てはまるらしい。

「ファイヤっ!!」

 切羽詰まった砲術長の裂帛の叫びが伝令管越しに聞こえると共に十二門の砲口から迸る炎がキンメルの網膜を一瞬だが支配する。キンメルは天上の神に感謝した。【サウスダコダ】は幾重の被弾により副砲のほとんどと高角砲の全てを鉄屑に変えられていたが主砲の全門は未だ健在だった。砲声は続く。【サウスダコダ】の後方に続く三隻――【ノースカロライナ】・【アイオワ】・【マサチューセッツ】も各々の目標に砲弾を送り込んでいく。なお、【アイオワ】・【マサチューセッツ】の二人は日本艦隊が先頭から順に各艦が射撃目標を定めていった結果として未だ無傷であった。

「スプラッシュっ!!」

 観測員の叫び声と共に日本艦隊三番艦の周囲に幾重にも水柱が形成され、その中に微かな光が生じる。それは【サウスダコダ】が放った砲弾が直撃を果たした後に起爆したことを示していた。続けて【ノースカロライナ】の砲弾が着弾、再び日本戦艦の艦上に一瞬の煌きが見えた。ちなみにこの時点で【ノースカロライナ】は日本艦隊四番艦からの砲撃により一番砲塔が、また四番砲塔中砲が発火不良のため、それぞれ射撃不能に陥っている。

「着弾確認っ。命中弾、二!!」

 艦橋に歓声が満ちた。双眼鏡を覗けば遠方の麗しきシルエットから大きな黒煙が吹き出していることが容易に識別できた。あの日本戦艦が重大な損傷を被っていることは明白だった。さして間をおかず【アイオワ】・【マサチューセッツ】の砲弾も日本艦隊四番艦を包み込み、その一弾が日本戦艦を切り刻んでいく。再び艦橋に歓喜を示すどよめきが溢れた。しかし遠方で鉄槌が射出されたことを示す煌きがそれを強制的に停止させる。永遠のような長さの二十秒弱の後におぞましい滑空音が聞こえたと思うと徹甲弾の群れが【サウスダコダ】と【ノースカロライナ】の行く手を遮るように水柱を形成していく。キンメルにとって幸いにも【サウスダコダ】を狙ったであろう砲弾は見当違いの海面に落下していたが、【ノースカロライナ】を狙った日本戦艦の射撃は見事に的確だった。瞬く間に彼女の姿が海水のカーテンの中に消える。艦橋に一変して焦燥した空気が満ち溢れたが、重力に引かれてゆっくりと海面に戻っていく水飛沫の中から見慣れた艦首に誰もが胸を撫で下ろした。

「艦長、あと三斉射したら本艦の目標を敵四番艦に変更してくれ。」

 キンメルは遠くで朽ち落ちいてく日本製の水柱を指差しながら言った。艦長もすぐさま同意を示す。彼らは日本艦隊第三番艦が射撃システムに重大な損傷を被ったであろうことを察していたのだ。戦力として機能しない目標に構っているほど太平洋艦隊に余裕はなかった。

 ――敵三番艦は死に体だ。敵の先頭二隻が砲撃を再開するまでこのままの勢いで敵四番艦を叩き潰せれば、無傷の【アイオワ】と【マサチューセッツ】で先頭の二隻を……。

 キンメルは勝利への方程式を寸考する。だが、彼が、いや彼を始めとする太平洋艦隊首脳部の誰もが忘れていた事実があった。日本海軍がこの海に持ちうる全てを投じているという可能性を。

 遠雷のような咆哮が海原に響き渡り、【サウスダコダ】を始めとする新大陸の戦姫の煤煙の彼方で数多の大口径徹甲弾が次々に虚空にへ舞った。それらは夾叉こそ成し遂げなかったものの、一方的に砲撃を放っていたはずの【アイオワ】と【マサチューセッツ】の周りへ研ぎ澄ましたように着弾。存在を見せつけるように色鮮やかに着色された水柱を打ち立てていく。

「――まさか……。」

彼の視線はその砲声の持ち主を完全に捉えていた。そこには写真として見慣れたエンペラーの戦船が白波を立てながら接近していた。独特なる日本型塔マストだ。見間違うはずがない。一呼吸遅れてキンメルの耳に見張り員の絶望的な叫びが聞こえた。

「後方より敵艦隊!! スルガ・クラス四っ、駆逐艦多数!!」

 スルガ・クラス。それは合衆国海軍において既に認知されている日本海軍の主力戦艦だ。十六インチ砲三連装砲を四基、防御力もそれに準ずるものと推定。予想される最大速力は二十六から二十七ノット。――間違いなく【サウスダコダ】の脚では振りきれない。

 そうか、つまり日本海軍は全てをここに投じていたのか。奴らが求めた確実なる包囲殲滅のために。キンメルはその職務から当然のように合衆国海軍及び同盟国たる大英帝国が極東に展開している洋上戦力を把握していたからそれが破滅的敗北をもたらす可能性を持つ方策であることは容易に想像がついた。当の日本海軍もそれを承知しているだろう。キンメルは辛い笑みを一瞬浮かべた後に小さく溜息をついた。なんて大胆な作戦なんだ。きっとこの作戦を立案した奴は阿呆かギャンブラーだろう、とも思う。

 そんな馬鹿ばかしい想像をする間にも再び【アイオワ】と【マサチューセッツ】の周りに大口径徹甲弾が降り注ぎ、至近弾として弾片が彼女らの船体に微弱なるダメージを負わせていく。対して星条旗をあげる妹達の咆哮は止んでいた。おそらく指揮系統に混乱が発生しているのだろう。

 今まで砲火を交えていた日本艦隊にも大きな変化が見られた。単縦陣を維持したまま砲戦を行っていた四隻の東洋の彼女達は一斉に船足を早めていた。おそらく二十五ノット程度だ。魂胆としては見え透いている。海軍戦術としてのセオリーたるT字を描くつもりなのだろう。そして悲惨なことに、こちらが対抗して変針したとしても背面の敵艦隊にT字を描かれるだけだろう。

 せめて半年前に奴らが行動していればどうとでもできたのに……。キンメルはできない相談を心中で呟いた。一九四一年の五月から六月にかけて太平洋艦隊はその戦力の半数以上を大西洋艦隊に拠出していた。大西洋方面におけるドイツ海軍の対英通商破壊戦の成功、つまりUボートの活動が活発化したことに対する処置だった。その異動で太平洋艦隊は日本の高速戦艦に対抗できる有力かつ船足が速いフネのほとんどをパナマ運河の向こう側に送り出している。

「司令官、いかがなさいますか。」

 それまで沈黙を守っていた作戦参謀のチャールズ・マクモリス大佐が口を開いた。万事冷静な彼でもさすがに焦燥の表情を露わにしている。キンメルの心は既に諦観の域に達していたが、彼は自らの下に幾万もの将兵の命がかかっていることを再確認しながら、とるべき命令を下した。

「側面の敵艦隊に攻撃を集中。機会があり次第この海域から撤退する。護衛群にも支援するように連絡してくれ。」

 この荒れ模様だ。駆逐艦にできることは少ない。自らの力で血路を開くしかなかった。キンメルは静かに命令を下すと参謀達が司令官の意志を具現化するために行動を開始していく。

 その動きを横目で見ながら応急措置の怒号が飛び交う艦橋でキンメルは双眼鏡越しに黒煙を吐きながらも未だ水面に浮かぶ日本艦隊三番艦の姿をぼんやりと見つめるのだった。


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