第一節 巨砲の復権-06
「距離三万七千っ。」
測的所から発せられたその数値は最大射程四万四千メートルを誇る世界屈指のロングランスたる[九四式二号]四十六センチ砲を携えた【大和】にとって完全に有効射程圏内であった。そして帝國海軍の至宝たる熟練兵員達の手によって彼女達の筒先は確実に目標を捉え、戦姫を操る将兵達の熱気は最大に達しようとしていた。北海は自らの手袋を握り締めながら裂帛の気迫で命じた。
「一戦隊、右砲戦開始。目標、敵戦艦!」
「主砲撃ち方始め。目標変わらず、敵一番艦! 」
【大和】艦長である田所恒治大佐が反射的に吠え、命令は瞬時に射撃指揮所へ伝達された。既に【大和】が持つ十五メートル測定儀や方位盤といったあらゆる砲撃に必要な装置から出力された射撃諸元を飲み込んだ射撃盤なる歯車の化物によって統制された彼女が携える巨砲は接敵当初から敵艦に対し照準を続けていた砲術の神様――村田元輝特務少尉の手中にあった。
「主砲射撃開始っ。目標変わらず。敵一番艦、サウスダコタ級!! 撃ち方よーい!!」
伝令管越しに田所の命令を復唱した遠野砲術長が吠え、主砲射撃を警告するブザーを村田が鳴らす。そして寸刻を経て明治三十四年生まれの国宝級熟練射手は静かにトリガーを引いた。コンマ数秒後、発砲電路に電流が駆け巡り各砲身に装填されていた装薬が砲塔の発砲遅延装置により〇・三秒程の違いで点火され、紅色の発砲炎と共に三発の徹甲弾が放たれた。各々の砲塔ではすぐに装填のプロセスが開始される。続く彼女の妹らも姉に倣い咆哮をあげた。なお彼女達の標的は各々の同順位にあたる敵艦である。
飛翔を開始した三発の[一式徹甲弾]――件のスプラトリー諸島沖海戦で初陣を飾り、水中弾効果を重視するあまり敵戦艦に突き刺さった三割の砲弾がそのまま永遠の眠りについた[九一式徹甲弾]の被帽や弾体強度、そして信管を改設計した改良型徹甲弾は秒速八二〇メートルまで加速。雨露によって湿った大気を切り裂きながら目標たる敵一番艦へ殺到していく。
その徹甲弾が目指す淀んだ水平線のいたる所で反撃の雷が煌めいた。北海達は当然のことだが相対する【サウスダコタ級】が向けるビックガンの正確な仕様を知らない。しかし彼女達が持つ火砲に最も類似する帝國海軍の[三年式二号]四十一センチ砲の最大射程が四万メートル程度であることから砲術畑出身者がほとんどの一F幕僚にとって米艦隊の反撃は織り込み済みであった。そして何よりも砲術の常識として初弾は命中しない。それ故、反撃の射弾が滑空している間も【大和】戦闘艦橋はタイムウォッチの値を朗読する時計員の声が響くのみであった。
「ダンチャークっ、今!!」
彼方の戦船を囲むように一・四トンの飛翔体が海面に突入、盛大な水柱を立ち並ばせる。その光景は立ち並ぶ水柱が着色されているという違いはあれ続く敵二番艦以下の周囲にも再現されていた。いずれも命中弾はない。なお【大和】が発した[一式徹甲弾]には着弾観測のための染料は同包されていないが、次女【武蔵】には赤、三女【信濃】には黄、四女【甲斐】には青の染料が砲弾に充填されていた。
「近、遠、遠……。」
高嶋が観測結果を口にしたその時であった。鋼鉄が空を切り裂く声が聞こえたかと思うと【大和】の周囲五百メートルから六百メートルにかけて多数の水柱が乱立した。数は八。彼のバトルシップが一隻につき四基の砲塔を持っていることから考えるに、どうやらキンメル提督は二隻をもって【大和】を仕留めるつもりらしい。加えて【武蔵】の周囲にも八つの水柱が立ち並んでいる。
「敵弾、本艦より五百から六百に着弾。遠弾二、近弾六っ。」
「第二射、撃てっ!!」
報告が交差すると寸刻をおいて再び全ての音源を淘汰する砲声が戦闘艦橋を駆け抜けた。北海達は硝煙の香りを満喫しながら第二射の弾着まで雑談に興じた。戦闘がひとたび始まれば司令官や参謀といった人間がすべきことは少ない。
「敵味方とも夾叉していませんが、相手は遠近六百。一方、こちらは遠近三百。そして散布界も悪く無い。」
高嶋は文字通り上機嫌な口調でそう言いながら戦況を見つめた。北海は同意を示しながらこのフネの主をチラリと見ると彼と視線が合わさった。そこには野獣のような笑みを上官に向ける歴戦の砲術士官の姿があった。彼は艦隊決戦というこの戦争の趨勢を決めかねない状況を楽しんでいる人物の一人だった。
また遠くで複数の輝きと遠雷のような重低音――敵艦隊の第二射を気にすることなく北海は自らの腕時計の秒針を見ながら時計員の声に耳を傾けた。
「ダンチャークっ、今!!」
時計員の報告と共に距離三万六千強に近づいた敵一番艦が白き瀑布に包み隠された。手持ちの双眼鏡を覗く北海にも第一射よりも散布界が絞られていることが容易に視認できた。戦闘艦橋直上に位置する射撃指揮所の彼らは確実に新大陸の戦姫をその手中に絡め取ろうとしていた。一方で【大和】の第二射と空中ですれ違った八発の米国製徹甲弾は【大和】の右舷四百メートル前後に落下し、そのまま果てていた。その光景を目撃した田所は先程より邪悪といっても差し支えがない程に口元を引きつらせていた。彼には察しがついていた。米艦隊は【大和】の大きさに測的距離を見積もり損ねているのだ。
「第三射、撃て!」
また聴覚を麻痺させる轟音が響き、紅蓮の発砲炎と共に徹甲弾が亜成層圏へ向け上昇を開始していく。その三万六千メートル彼方でも同じ光景が繰り広げられていた。次々と眩い光が水平線のいたるところで煌めき、そして装薬のエネルギーの一部分が轟音となって三万六千メートル彼方の北海の鼓膜に伝わる。驟雨と荒波の中で繰り広げられる日米の戦乙女達を見つめる北海は完全に砲撃戦という興奮の渦中にあった。
一・四トンの鋼鉄が音速の二倍を軽く超越する速度で海域に居合わせた全ての戦士を包む雨雲を切り裂き、降下しながら自重により弾頭を赤く熱しながら加速していく。天空から降り注ぐ日本製の凶器は再び厚い乱雲に突入、雨雫に打たれながら水面を進む星条旗を掲げた艨艟の周囲に約四十度前後の角度で突入した。それは惜しくも夾叉を成し遂げることはできなかったものの、炸薬が水中で起爆した衝撃の大きさが確実に近づいていることを新大陸生まれの彼女達に知らしめた。
米艦隊の第三射も【大和】とその妹達に降り注いでいた。こちらも夾叉していないとはいえ確実に精度は上がっていた。【大和】の前方二百メートル弱に無色の水柱が織り成され、それが前進してきた彼女に崩れ落ちながら飛沫を浴びせていく。
「アメさんもやってくれますねぇ……。」
彼我の砲術精度を見比べた高嶋が拍子抜けするような声音で呟いた。
荒天下における戦闘の射撃精度はひとえに船体規模が大きなファクターとなる。それ故、パナマ運河通行というアキレスの健を抱えた米国艦よりも何一つ制約がない帝國戦艦が安定性では優位に立つ。実際の所、推定排水量四万五千トンかつ最大幅三十三メートル程の【サウスダコタ級】よりも排水量六万四千トン、最大幅三十八・九メートルの【大和型】では安定度という観点において【大和型】は完全に【サウスダコタ級】を優越しているはずだった。そして、当然のことながら安定度は射撃精度に直結する。
それは北海の眼前で繰り広げられる砲撃戦にも現れていた。豊満な体つきの【大和型】が放つ射撃は細身であることを強制された米艦隊よりも精度で上回っている。しかしながら、その新大陸生まれの彼女達の射撃精度も【大和型】に追随することは事実だった。練度という観点で論じれば双方とも極めて高い状態で伯仲していた。
ただ、正確に言及するなら米海軍が砲弾に染料を同封するという文化を持たないまま【大和】を複数隻で砲撃していたから、かえって米艦側の諸元修正に影響を及ぼしているようだが。
――やっぱりアメリカはすごい。ラバウルに攻め入ったどこかの植民地国家とは違う。これが米艦隊の砲火の中で生まれた北海の素直な感想であった。先程の言葉から察するに高嶋も同様の境地に至っているようだ。
「あぁ、さすがエリート・シップだ。強い。」
北海はそう言うと口元を楽しげに歪ませながら続けた。
「でも、このフネなら――」
北海の声をかき消すように砲声がまた全ての音源を支配する。相対距離は三万五千メートルになろうとしていた。
恐らく次か、その次の射撃で夾叉できるだろう。そして、それは多かれ少なかれ敵も同じ。北海はそう考えていた。そして砲撃戦において両者が夾叉を成し得た後に残るものは硝煙にまみれた確率論の世界、その状況で優位なのは隻数・砲門数で優位な米艦隊であることを彼は知っていた。
だが北海はそれでも全く憂慮していなかった。彼は信じていた。厳しい訓練を成し遂げてきた全ての将兵を、そして彼が司る戦乙女達のことを。
戦争初戦の行く末を決める決戦が水上砲戦に帰するという非現実的な現実に感謝しながら、水上打撃艦隊を統べる者でしか味わえない愉悦を身に纏い、北海は戦場に身を任せた。
先頭を進む【サウスダコダ級】へ帝國最大質量なる異名を持つ質量兵器が投射されていく。そして、放たれた徹甲弾は西太平洋を我がものとした鋼鉄の女神であり、かつての古馴染みを夾叉するコースを辿った。
ご愛読ありがとうございます。
一身上の都合により2016年1月の更新を見送らせていただきます。次回の更新は2016年2月20日頃を予定しています。2ヶ月ほど更新がない状態となりますが、執筆は確実に続けていきますのでご容赦ください。
これからも本シリーズをよろしくお願いします。




