差し出された手
王城の一室は静まり返っていた。
窓から差し込む光すら冷たい。
シャルロットは一人、皇太子の前へ跪いていた。
「顔を上げろ、シャルロット・シッティン」
低い声。
逆らえない声音だった。
シャルロットはゆっくり顔を上げる。
皇太子は彼女を眺めた。
ゆっくりと、品定めするように。
「……噂以上に美しいな」
不快だった。
視線が、声が。
けれどシャルロットは表情を変えない。
皇太子は微笑んでいる。
穏やかな笑み。
なのに、どうしてこんなにも息苦しいのだろう。
「最近、シッティン家は苦しいようだな」
「……」
図星だった。
シャルロットは答えない。
皇太子は気にした様子もなく続ける。
「使用人も減ったそうじゃないか。融資の話も断られ続けているとか」
指先がぴくりと震える。
調べられている。
全部。
「……それが、何か」
なんとか声を絞り出す。
皇太子は楽しそうに目を細めた。
「別に責めているわけではない。むしろ助けたいと思っている」
その言葉に、シャルロットは眉を寄せた。
助ける?
誰が?
どうして?
皇太子は椅子へ深く腰掛けながら言う。
「シッティン家へ支援を出そう」
シャルロットの瞳が揺れた。
「……条件は」
即座にそう聞けるあたり、彼女ももう甘くない。
皇太子は笑った。
「賢いな」
その瞬間、シャルロットの背筋に寒気が走る。
「簡単なことだ。ルカス・ソナライドについて、知っていることを教えろ」
静寂。
部屋の空気がぴんと張る。
シャルロットは息を呑んだ。
「……ルカス様を?」
「元婚約者だろう。知っていることも多いはずだ」
皇太子は紅茶を傾けながら、軽い調子で続ける。
「最近の動向でもいい。セシリア嬢についてでもいい」
シャルロットは黙り込む。
危険だ、と本能が警鐘を鳴らしていた。
皇太子はソナライド公爵家を警戒している。
そんなこと、貴族なら誰でも知っている。
ここで情報を渡せば何が起きるかわからない。
でも、
「……」
シッティン家は限界だった。
父は日に日に疲弊している。
残った使用人たちも不安を隠せていない。
このままでは、本当に終わる。
シャルロットはゆっくり唇を噛んだ。
――情報くらいなら。
それだけで家が助かるなら。
何より、まだ少しだけ、ルカスを知っていたかった。
セシリアといる彼を、自分の知らない彼を。
皇太子はそんな彼女を静かに見つめている。
まるで答えを知っているみたいに。
「……本当に、支援してくださるのですね」
掠れた声。
皇太子は微笑んだ。
「ああ」
その笑みが、妙に恐ろしかった。
「君は家族思いだな、シャルロット」
シャルロットは俯く。
褒められているはずなのに、少しも嬉しくなかった。
数日後の舞踏会の夜。
煌びやかなシャンデリアの下で、シャルロットは一人グラスを持って立っていた。
完璧な笑み。
完璧な立ち姿。
でもその内側では、ずっと神経が張り詰めている。
「あ……シャルロット様」
声を掛けてきたのはセシリアだった。
淡いピンクのドレスを着た彼女は、今日も愛らしい。
シャルロットは一瞬だけ目を細めた。
「ごきげんよう」
冷たい声。
セシリアは少し緊張したように笑う。
以前の一件以来、シャルロットが自分を嫌っていることくらい理解していた。
それでも
「お話ししてもいいですか?」
ルカスから、2人の婚約は円満に解消されたと聞かされていたけれど、シャルロットからルカスを奪ったのは事実だったから。
シャルロットは答えない。
それを肯定と受け取ったのか、セシリアは隣へ立つ。
会話が途切れ、シャルロットは扇子を開いた。
セシリアを見ると、自分がどれだけ惨めか思い知らされる。
ルカスに愛されている少女。
自分にはなれなかった存在。
「ルカス様、最近はお元気なの?」
気づけば聞いていた。
セシリアがぱちりと目を瞬く。
「え?」
「別に。ただ聞いただけよ」
シャルロットは視線を逸らす。
セシリアは少し迷ってから、小さく笑った。
「はい。最近はお仕事で忙しそうですけど……でも、この前、一緒にお花を見に行っ
て」
その瞬間、胸が痛む。
シャルロットは笑みを崩さない。
いや、崩せない。
「そう」
「……」
セシリアはそんな彼女を見つめた。
冷たい言葉。
棘のある態度。
でもその奥にある感情を、なんとなく理解してしまう。
――シャルロット様は、まだルカス様が好きなんだ。
未練。
そう呼ぶにはあまりにも苦しそうだった。
シャルロットは気づいていない。
自分がルカスの話をする時だけ、ほんの少し声が揺れることに。
「シャルロット様」
「何?」
セシリアは少し躊躇ってから言った。
「ルカス様は、優しい方です」
その言葉に、シャルロットの心が大きく揺れる。
優しい。
その言葉を、自分は知らない。
「そう」
短く返す。
セシリアはシャルロットを見つめた。
綺麗な人だった。
でもどこか痛々しい。
まるで必死に何かへ縋っているみたいに見えた。
「シャルロット様は……」
セシリアが小さく言う。
「まだルカス様のこと、好きなんですね」
シャルロットの指先が止まる。
否定できなかった。
好きだった。
今でも。
冷たくされても、捨てられても、心のどこかで願っている。
――いつか彼が振り向いてくれるかもしれない。
――いつか救ってくれるかもしれない。
そんな馬鹿みたいな期待を、まだ捨てきれない。
シャルロットは笑った。
酷く綺麗な笑みだった。
「……未練がましい女でしょう?」
セシリアは何も言えなかった。
その笑顔が、あまりにも悲しかったから。




