失われていくもの
「それでね、ルカス様が“危ないから下がってろ”って……!」
セシリアは頬を赤くしながら話していた。
午後のカフェテラス。
柔らかな日差しの下で、クルルは頬杖をつきながら紅茶を飲む。
子爵家のクルルはセシリアにとっては身分も近く、2人は友人になっていた。
「へぇ」
「もう、本当にびっくりして……!」
セシリアは嬉しそうだった。
恋をしている顔だ、とクルルは思う。
隠す気もないくらい真っ直ぐで、見ているこっちが照れるほど素直。
「クルル様って恋愛経験豊富ですよね?」
突然そう言われ、クルルは紅茶を吹きかけた。
「誰情報?」
「みんな言ってます」
「風評被害だなぁ……」
いや、半分くらい事実かもしれない。
クルルは女性との付き合いに不自由したことがない。
けれど、“本気の恋”をしたことはほとんどなかった。
だからセシリアみたいな恋愛相談は少し不思議だった。
「で、何相談したいの」
セシリアは少し恥ずかしそうに視線を泳がせる。
「その……ルカス様って、私のことどう思ってるんでしょう」
クルルは数秒黙った。
それはもう。
誰が見てもわかるくらい好きだろう。
「あー……かなり好きなんじゃない?」
「っ、本当に!?」
ぱあっと顔が明るくなる。
わかりやすい。
クルルは苦笑した。
「隠せてないよ、あの人」
「えへへ……」
幸せそうだ。
まるで恋愛小説の主人公みたいだった。
クルルはぼんやり考える。
もしシャルロットがこの場にいたら、どんな顔をするだろう。
部外者であるクルルから見ても、ルカスに好かれようと必死だったのにも関わらず、あっさりと10年間の婚約関係を破棄されてしまった彼女は。
少し考えて、
……考えるのをやめた。
一方その頃。
シッティン公爵邸は静まり返っていた。
シャルロットは自室の鏡台の前に座っている。
夕暮れの光が長い金髪へ落ちていた。
まるで金糸だった。
昔から彼女の髪は有名だった。
陽を受ければ蜂蜜のように輝き、丁寧に手入れされた髪は絹より滑らか。
社交界でも誰もが褒めた。
シャルロット自身、それを誇りにしていた。
「……」
けれど今。
鏡台の上に置かれたヘアオイルの瓶は、底が見えている。
シャルロットはそっと瓶を傾けた。
とろり、と少量だけ掌へ落ちる。
以前なら惜しげもなく使っていた高級品。
今は違う。
シッティン家の財政は急激に悪化していた。
ルカスとの婚約破棄。
それは単なる恋愛問題ではない。
ソナライド公爵家という巨大な後ろ盾を失ったということだ。
投資家も、商会も、露骨に態度を変え始めている。
屋敷の使用人はさらに減った。
ドレスの新調も減った。
食卓に並ぶ料理も少しずつ質素になっている。
でも、シャルロットは誰にも気づかれないようにしていた。
「……まだ大丈夫よ」
自分へ言い聞かせるように呟く。
オイルを丁寧に毛先へ馴染ませる。
艶やかな金髪がさらりと流れた。
綺麗だった。
ちゃんと。
まだ。
シャルロットは鏡の中の自分を見る。
――惨めにだけはならない。
その意地だけで立っていた。
侍女が減った今、髪も自分で整えることが増えた。
慣れない作業で腕が疲れる。
でも誰にも頼れない。
「お嬢様、夕食のお時間です」
扉の外から控えめな声。
残ってくれている数少ない侍女の一人だった。
シャルロットはすぐ笑顔を作る。
「ええ、今行くわ」
鏡の中には完璧な公爵令嬢がいた。
泣き跡もない。
弱音もない。
でも、誰もいない部屋で、シャルロットは小さく瓶を抱き締める。
残り少ないヘアオイル。
これがなくなったらどうしよう。
そんなことを考えてしまう自分が、少しだけ怖かった。




