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大切にしてほしいの


シャルロットがこの家に来てから、もうかなりの時間が経っていた。

最初は廊下を歩くだけで息を切らしていたのに、今では街へ買い物にも行けるし、家事も手伝える。

オーウェンからも「もうすっかりお転婆娘だな」と言われるほどだった。

そして何より、シャルロットはすっかりこの生活に馴染んでいた。

朝はオーウェンの薬草仕事を手伝い、昼は街へ出かけ、夜は三人で食卓を囲む。

穏やかで、平和で、幸せな毎日だった。



そんなある日の夕方だった。

玄関の扉が開く。


「ただいま」


クルルの声。

いつもなら笑顔で出迎えるところだったが、シャルロットは振り返った瞬間に眉をひそめた。


「クルル!」


服の袖が破れている。

腕には擦り傷。

頬にも小さな切り傷。

よく見ると手の甲も赤く腫れていた。

クルルは気にした様子もない。


「ん?」

「その怪我!」

「ああ」


軽い返事だった。

その軽い調子は、シャルロットには軽すぎた。


「大丈夫なの!?」

「大丈夫」

「全然大丈夫に見えないわ!」


クルルは笑う。

本当に何でもないという顔で。


「仕事中に転んだだけだよ」

「転んだだけでそんな怪我になるの!?」

「なる時はなる」


そう言いながら椅子へ腰掛ける。

シャルロットは呆れた。

この男は本当に自分のことを大事にしない。

言いようのない苛立ちだけがシャルロットの心に募っていた。




夕食の後。

オーウェンが診療室へ戻ると、居間にはシャルロットとクルルだけが残っていた。

シャルロットは腕を組んでいる。

明らかに不機嫌な様子だ。

クルルはそれに気付いていたが、知らないふりをしていた。


「……何」


恐る恐るシャルロットに話しかける。


「何じゃないわ」


来た。

そんな顔をする。


「怪我しているじゃない」

「だから?」

「だからじゃないの」


シャルロットは立ち上がった。


「もっと気を付けてほしいのよ」

「気を付けてるよ」

「気を付けていてそれなら問題だわ」

「厳しいなあ」


クルルは苦笑する。

だが、シャルロットは笑わなかった。


「笑い事じゃないわ」


その声にクルルは少しだけ驚く。

真剣な声だった。


「クルル」

「うん」

「あなた、自分のことを大事にしていないでしょう」


クルルは瞬きをした。

何を言われるかと思ったら。


「別にそんなことないよ」

「あるわ」


即答だった。


「だって怪我をして帰ってきても平気な顔をしてるもの」

「仕事だから」

「だから何なの?」


シャルロットの声が少し強くなる。


「怪我をしていい理由にはならないでしょう」

「それはそうだけど」

「痛いんでしょう?」

「まあ」

「ならもっと心配しなさいよ」


クルルは困った顔になる。

話がよく分からない。


「心配って、自分で?」

「そうよ!」


とうとうシャルロットが声を上げた。


「自分の身体なんだから!」


シャルロットは強く言った。


「もっと大切にしなさいよ!」


その言葉にクルルは目を瞬く。

そして苦笑した。

シャルロットは知らない。

かつてのシャルロット自身が、誰よりも自分自身を大切にできなかったことを。

家のために、婚約者のために、誰かの命令のために。

心も身体も削り続けたことを。

記憶を失った今のシャルロットは知らない。

だからこそ、その言葉は真っ直ぐだった。

居間が静かになる。

クルルはしばらく黙っていた。

それから肩をすくめる。


「大げさだなあ」


その一言だった。

だって、少し前のシャルロットはもっと酷い怪我でも耐えていたから。

シャルロットの顔色が変わる。


「大げさ?」

「これくらい普通だって」

「普通じゃないわ!」

「普通だよ」

「普通じゃない!」

「普通だって!」


ついに言い返してしまった。

二人とも黙る。

しばらく睨み合う。

最初に口を開いたのはシャルロットだった。


「……嫌い」

「えっ」

「そういうところ嫌いよ」


クルルが固まった。


「そこまで言う?」

「言うわ」


ぷいっと顔を背ける。

完全に怒っている。

クルルは頭を掻いた。

困った。

本当に困った。

何がそんなに怒らせたのか分からない。

怪我くらい、昔からよくしていた。

それなのに、シャルロットは唇を噛んでいる。

少しだけ、悲しそうだった。


「……」


クルルはそこでようやく気付く。

怒っているのではない。

自分が怪我をしたことを、心配しているのだ。

クルルが怪我をしたことがが嫌だったのだ。

言葉にできなくて怒っているだけで。

クルルは小さく息を吐いた。


「ごめん」


シャルロットは振り向かない。


「心配してくれてたんだな」

「……別に」

「別にじゃないだろ」

「別によ」


明らかに別に、という表情ではなかった。

クルルは苦笑する。


「分かった」

「何が?」

「もう少し気を付ける」


シャルロットはちらりと振り向いた。

疑いの目。


「本当に?」

「本当に」

「嘘だったら怒るわよ」

「怖いな」

「怒るんだから」


クルルは笑った。

ようやく、シャルロットも少しだけ頬を緩める。

夕暮れの光が窓から差し込んでいた。



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