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囚  作者: 木々


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76/80

決壊

[登場人物]

葛西愁吾(14)中学三年生

葛西鮎子(30)

僕は自室の机に向かい、深い溜め息をついた。机上のノートには書きかけの自叙。八月の最終日、もう何もやることがない僕は、新学期が早く始まってほしいとばかり願っていた。

八月の最終週から、僕はほとんどの時間を自室で過ごし、母が眠る深夜から朝方に、やるべき家事をすべて済ませる。今の僕が母と顔を合わせれば、取り繕った仮面はバラバラと崩れていきそうだった。それくらい、僕のストレスは限界値まで達していた。

しかし、今年の夏休みは無駄に長かった。土日が入るせいで、僕はまだあと二日もこんな窮屈な生活をしなければならない。母の機嫌を損ねないために、僕は外出を制限している。母の今の状態では、僕の言うことをまったく信用しないだろうから。僕も母も、互いに顔を合わせないほうが、本来なら何倍も健康的だと思う。だから僕は、不可抗力である「学校へ行く」という事象を待ち望んでいた。

日付が変わって、やっと新学期が始まるという日に、母は僕の部屋の扉を開けた。僕はその時間も、ノートにこれまでのことを綴り、彼と過ごしたあの日に抱いた本心と、その後の出来事までをようやく書き終えたところだった。

「シュウくん。こんな遅くまで宿題してるの?」

背後から突然聞こえた母の声に、僕は柄にもなく取り乱し、焦ってノートを勢いよく閉じた。

「あ……うん。」

「どうしたの?宿題してたんじゃないの?もしかして……何か、隠し事してるの?」

母の顔つきが変わる。僕は焦りと不安で、ノートの上に置いた手のひらにじわりと汗をかく。ノートに綴った内容は、母にだけは絶対見られたくなかった。

「いや、勉強してたよ。ギリギリになって忘れてた宿題があったのを思い出したんだ。忘れてたのが、ちょっと恥ずかしかっただけ。」

「本当に?」

母は僕を信用しなかった。机に向かう僕に近づき、手を退けようとする。僕は抵抗し、初めて母の手を振りほどいた。

「シュウくん。見せて。そのノートは何?ママに隠し事しないで。それ、内緒で付き合ってる女の子との交換日記じゃないの?」

「違うよ。本当に宿題だから。」

「じゃあどうして隠すの?」

ノートへ手を伸ばす母を押し退け、その勢いで母はベッドの上に尻もちをつく。僕が母を見る顔からは、すでに仮面が跡形もなく剥がれてしまっていた。

「ひどい……。ママはシュウくんをそんな子に育てた覚えないよ?」

「……よく言うよ。元々、要らなかったよね。僕は、望まれて生まれた人間じゃないよね。」

たった一言。そう言ってしまったら、栓を外したみたいに次から次へと、抑圧してきた母への感情があふれて止まらなかった。

「全部全部!お前のせいだよ!お前があの瞬間、誰かに愛されようなんて強欲になったから、お前が誰にも相談しないから、僕はこの世に生まれて来なきゃいけなくなった!」

母驚き、泣き出した。幼い少女のようにわんわんと泣いた。僕は可哀想に思いながらも、それでも不満は止まらない。母は泣きわめきながら怒りに狂い、伸びた爪が僕の額から左瞼を引っ掻く。物理的な痛みを感じる余裕など、このときの僕には無かった。

「僕が生きてんのは、全部お前のせいだよ。」

全部言い切ったとき、僕は肩で息をしていた。心の奥がスッとして、冷静に母の姿を見た。この少女が何も言えない代わりに、僕は心の中で僕に言う。「親に向かってその口の利き方はなんだ」と。僕はもう後には戻れない。僕は母をその場に置き去りにして、部屋を飛び出し

、家の外へ駆け出した。

行くあても無く走るあいだに、僕の頭は冷静に考えを巡らす。誰もこの命に責任を取れないなら、最期まで自分で責任を取るしかない。それが、最も合理的な判断だった。

中学の校門を飛び越え、鍵が壊れた窓から校舎の中へ入る。北階段を上がる途中の踊り場。設置された鏡に僕の姿が映る。額から真っ直ぐ伸びた傷跡を見てから、視線を落とす。鏡の下部に印字された「1997年卒業生 寄贈」という文字を、その場にしゃがんで右手で触れた。この年に卒業した同級生の中に、僕の実の父親がいる。僕はこの鏡を見るたび、言い表せない不穏な気持ちがいつも湧いた。

僕は階段を降り、軋む扉を開けて倉庫の中へ入る。勝手に取り付けた電気を付け、机に向かい、持ってきたノートの表紙を開く。深く溜め息をつき、机の中に入っていた油性ペンで、表紙の裏側に最後の自叙を残す。書いているうちに、両方の瞳から涙が流れてきた。

僕は今、あの日に戻りたかった。とても幸せだった、あの日。好きな人の誕生日を一緒に過ごせたこと、それは僕の人生のピークだった。あれ以上の幸せは、きっともう二度と無い。

僕はノートの表紙に「文芸部 日誌」と記し、机の中にしまった。倉庫を出て、一歩ずつ、僕は階段を上がる。北階段は屋上まで続いていて、そこへ繋がる扉の南京錠は、前にいたずら心で針金を使っていじって開けた。

夏の生温い夜風が僕の体を通り抜ける。心臓は今にも破裂しそうなほど、ばくばくと音を立てていた。呼吸は荒く、背中には流れるほどの汗をかいている。いつか自分で終わらせるつもりだった人生を、今終わらせる。それだけのこと。額から瞼にかかったこの傷は、大事になってはいけない傷だ。なんとしてでも消さなければ。もう僕にしか、母は護れない。

僕はこれで、母が僕を産んだ十五歳になる前に、終わらせられる。ずっと怖かった日は来ない。同性愛者だと軽蔑され、母を落胆させる未来も来ない。好きなひとのことも、たくさん知れた。僕にはそれが救いだった。

「富野くんとの時間は、僕にとって、じゅうぶんすぎる幸せだったよ。」

彼はこの先、僕のことなんか忘れて、真っ当な人生を歩む。そうできるように、僕はあのノートを家ではなく、あの場に置いた。それは、母を悲しませずに済む方法でもある。大丈夫、きっと上手く回ってくれる。そう思うと、自然と恐怖が安心感に変わった。これさえ、乗り越えてしまえば、もう二度と僕は苦しい思いをしない。なんて、簡単なことだったんだろう。僕の体は、ふわりと浮いた。

[次回更新]7月7日 火曜日 23時予定

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