独占
[登場人物]
葛西愁吾(14)中学三年生
富野瑛亮(14)中学三年生
僕はその日、富野くんには会えないと思っていた。それでも僕は少しの望みにかけて、朝、家を出た。自分勝手に期待して、暗くなるまで結局来なくて、惨めな気持ちになったって、僕はそれで満足するはずだった。
しかし、彼は約束を忘れないでここへ来てくれた。学校に関係なく彼と会い、彼の十五歳の誕生日、その数時間を僕はこれから独占できる。今まで生きてきた人生の中で、僕は一番嬉しかった。でも、抱いた感情は彼に悟られたくなくて、僕は仮面を被る。用意したプレゼントを渡したときに見せた笑顔も、自分勝手な彼の頼みごとも、ぜんぶ僕だけが知っている。一度でも優越感に浸ってしまえば、泥濘んだ足元から、ずぶずぶと抜け出せなくなるまで沈み込む。僕はきっとこのとき、完全に後戻りができなくなったと思う。
向かい合って座ったファミレスのテーブル。必死に宿題を写す彼の表情を見て、僕はこれくらいのことなら少し考えれば予想がついたのに、事前に準備しておけばよかった、と後悔していた。
彼のために何でもするようなふうを装って、実際には僕が得をしたいだけ。宿題の提案をこちらからしていれば、立場は逆転して、僕が彼の家まで歩いて行けたかもしれない。あとから考えれば、目の前という特等席で彼を独り占めにしながら、彼がドリンクバーのジュースを混ぜて作ったジュースの味が、美味しかったことまで知れたのに。欲深い僕は、もっと彼のことが知りたいと考えていた。
僕は交換条件なんて言って、彼を外へ連れ出した。僕はただ、デートの続きがしたかった。とはいっても、何をすればいいのか分からないから、前から僕の行ってみたかった場所へ向かった。
そこは近くにあるのに、一度も踏み入れたことがなかった。同級生がよくここで遊んでいるのを、僕が上の道路から見ているだけだったのは、小学校低学年だったころの言いつけを律義に守っていたからだろう。祖母は、川の近くは危ないから遊んではいけない、と言った。真面目にこの歳まで守っていたというよりは、行ってみたいという冒険心が落ち着いていただけだろう。母と祖母が作った美しい世界を捨ててしまった僕は、そんな禁足地へ足を踏み入れた。
僕はどんな場面も、もう二度と見れない景色だと思って目に焼き付ける。彼との時間は、僕にとってかけがえのないものだった。繋いだ手の温もりと湿度に、油断すれば、彼との新しい世界を見たい、などと思ってしまう。夜空に上がった花火の音が遅れて耳に届いて、すぐに夜空へ散っていく。僕たちの関係は、これくらい儚いものなのだろう。寂しさに、胸が苦しくなった。
「エイちゃん。」
彼が嫌がっていた呼び方で、僕はわざと呼んだ。またいつもの通り、彼から厳重注意を受けるのだと思っていた。
「ん?」
彼が振り向いてくれた瞬間が、僕にはスローモーションに見えるほど、嬉しかった。僕は嬉しさのあまり、彼の唇に自分の唇を重ねていた。彼の温度を感じる程度に触れるだけ。自分から誰かにキスをしたのは、これが初めてだった。
次に打ち上がった花火に照らされた、彼の驚き照れた顔を見たとき、僕は吹き出しそうになった。可愛くて、愛おしい、そんな感情が心の中に溢れてきて止まらない。僕は、感情が極限まで達すると、涙になって出てきてしまうことを知った。泣いているのを知られたくなくて、僕は急いで夜空へ顔を逸らした。
「葛西。」
肩を掴まれて振り返る。彼はいつもみたいに、僕に唇を重ねた。舌を絡められたから、僕は泣いていたことが悟られてしまうんじゃないかと動揺していた。冷静に考えられる脳が、まだ残っていたのは自分でも意外だった。さっきのキスをきっかけに、彼から求められたことがこの上なく嬉しかったせいか、ついに僕は、涙を我慢していられなくなる。
「あ。えっ、ごめん。嫌だった?俺、そんなつもりなく、いつもみたいにしちゃった。ごめん、本当。」
心配する彼のことも考えられずに、僕は彼の肩に頭を預けて、子供のように泣きじゃくってしまった。本当は、大丈夫とか、嫌じゃないとか、嬉しかっただけ、と言葉にしたかった。それすらできないほど、僕は感情があふれてくるのが止められなかった。
彼に悪いことをしていると分かっていながら、祖母がいなくなってからの数年間、いや、僕が生まれてから今日まで生きてきたぶんの苦しみが、せき止めていた防波堤を越える。濁流のように押し寄せて、何もかもを飲み込んでいく。その感覚は、あの日画面越しに見た、真っ黒い濁流と重なった。
僕が自制できなかったせいで、彼はこの関係を辞めようと言った。僕は思いつく限りの理由を適当に並べて、提案を拒否してしまった。同意したほうがよかったのかもしれない。そんな後悔を残したまま、僕は自分の荷物と、燃えかすの入ったペットボトルを、僕だけの思い出として抱いた。
「バイバイ、富野くん。」
「おう。」
帰り道の暗い通りを小走りで帰った。こんな時間まで出かけていた言い訳を、ずっと頭の中で考えた。図書館へ行くと言って家を出たのに、とっくに閉館時間を過ぎている。この日ほど、母のいる家へ帰るのが億劫になった日は無かった。
[次回更新]6月29日 火曜日 23時予定




