秘か
[登場人物]
葛西愁吾(14)中学三年生
富野瑛亮(14)中学三年生
吉沢花音(14)中学三年生
富野くんの行動を、僕はなんとなく把握していた。放課後、部活に行くわけでもないのに、彼はすぐに帰宅しない。毎日どこかへふらっと行って、誰かと適当に話をして、部活を終えた友達と帰宅する。それも毎回同じ友達ではなく、その時々で変わる。誰かのためじゃなく、自分のために暇を持て余している。僕は学校の北側に作った自分だけの場所を基地として、彼の行動を探った。
いつも帰宅する二十分くらい前に、彼は自分の鞄を取りに教室へ戻る。僕はそのタイミングを狙った。初めてちゃんと話す富野くんの表情、反応、声を僕は脳裏へ焼き付けた。腕を引いたのは、触れたときの体温を手のひらに残したかったから。僕の目的が普通と違うからかもしれないが、告白するのは案外、緊張しなかった。僕は彼を自分のわがままで利用し、彼を知りたいだけ。わがままでするのだから、気味悪く近づいて、最後まで嫌われるくらいでちょうどいい。毎日のようにこんなことを続けていたら、いずれこちらへなびく日が来るのではないか、という算段だった。
僕の予想を超えて、彼はある事件を起こす。掃除中に友達とふざけて、あろうことか彼の好きな吉沢花音に、バケツの水をぶち撒けたのだ。僕は他のクラスメイトに混じって野次馬をした。皆の注目が彼女に向けられるなか、僕は富野くんの行動を観察した。こんなにもクラスメイトに見られている状況で、彼はすぐ彼女に謝る。僕は思わず、不気味に頬が綻んでいた。周囲を意識し、開き直ってずれたかっこつけをするわけでもなく、彼女に自分のジャージをすぐ貸す、という行動に出る。僕は、彼が今の地位を取り繕うより、心の底にある本来の優しさを優先させたのだと感じた。
僕は野次馬に紛れて教室を出た。離れたところから、着替えてトイレから出てくる吉沢花音を待った。わざとすれ違い、わざとらしく振り返って彼女に声をかける。
「吉沢さん。いい匂いするね。」
彼女は驚いて「えっ」と言って、分かりやすく照れた様子で否定する。素直な反応が咄嗟に取れてしまうから、彼女はいつも癇に障る。僕は仮面の下にまた、怒りをひた隠した。
「そんなことないって!やめてよ、葛西くん。」
「本当だよ。シャンプーの香りかな。何使ってるの?」
「えっ、べつに普通のだよ!ほら、よくある、椿のやつ。」
「そうなんだ。あれ、いい香りなんだね。」
「もう!葛西くん。からかうのいい加減にして!」
彼女は照れて笑いながら、自分の制服を手に持って教室へ戻って行った。
僕はよく、自分でも矛盾していると思いながら、嫌いな彼女の真似をする。彼女の生きている眩しい世界を、少しだけ見てみたかったから。彼女の使っている文房具、リップクリームはもう試した。この日はシャンプーの情報を手に入れた。馬鹿馬鹿しいと思いながら、僕は彼女の世界を体験することを心底楽しんでいた。
僕は富野くんの弱みを手に入れ、彼の心を揺さぶった。彼は僕が考えてたよりも、早くこちらへなびいてくれた。僕はそのときになって初めて、彼の存在に、体温に、緊張し始める。自分以外のひとを、秘密の場所へ入れるのは初めてだった。とっくに覚悟は決まっているはずなのに、密室に入ってから僕は、一歩を踏み出すのを一度躊躇した。ここまで来たら、踏み出さないほうが変なのに。密室の空間で彼を目の前にして、僕の心の独占欲がひたひたと満たされるのを感じる。彼の動揺した表情、瞳の奥には剥き出しの欲望が覗いていた。彼と唇を重ね、彼が離れていかないように、彼がまた僕を思い出すように、僕はリップクリームを勝手に彼の胸ポケットへ入れる。ふいに目が合ったのが恥ずかしくて、でもそれ以上に彼が愛おしくて、僕は自制が効かなくなった。僕は彼に拒否されてやっと、理性を取り戻す。僕が継承した、最も醜い部分が露呈した。
僕は彼と付き合えたわけではないし、彼が僕のものになったわけでもない。それでも僕の心は踊る。僕はこの嬉しさだけで、ずいぶん満たされた。彼はこの場所へ、自ら来てくれるようになった。
「富野くんはさ、ずっとそうやって、何も考えないでいてよ。」
「なんだよ、それ。」
彼にはふざけていると思われていたけれど、それは僕の本音だった。求められるのは僕の唇の感触だけ。僕の避けられない生理反応など、置き去りにしてくれればいい。強がりでもなく、目的が明確であっさりした関係性のほうが、僕は心地よかったから。それに、彼のことを一番に考えているつもりだった。
ことが終わっても、彼はすぐに帰らない。そんな細かいことが、僕はいつも嬉しかった。僕は気にしていないふりで、いつもすぐそばにいる彼の横顔を眺めていた。部活へ戻れなくなった繊細さ、一途に吉沢花音を想っているくせに、こうして僕の誘いにやすやすと乗ってしまう脆さ。そして、あらぬ方向へ飛躍する彼の思考。彼は周りも、自分すら正しく見えていない。とても人間らしくて、とても愛おしかった。
いつからか僕は、彼を隣に独占し、キスを求められるだけでは満足しなくなる。僕は彼のパーソナルな情報を聞き出し、今以上に親密になろうとした。彼に近づけば近づくほど、僕は後戻りできない深いところまで、自分の足で踏み進めている。漠然と、行ってはいけないと直感しながら、僕はその歩みを止められなった。
[次回更新]6月26日 金曜日 23時予定




