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  作者: 木々


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58/60

侵食

[登場人物]

富野瑛亮(22)

折橋愛花(21)

次の日になれば解放されるだろうという期待は、簡単に打ち砕かれる。折橋さんは昼休憩に入る三十分前くらいから、こちらを見張るようにずっと観察していて、自分は逃げる間もなく捕まった。

「富野さん、お昼一緒にいいですか。」

「え……。」

断る言葉はすぐに思いつかなかった。断りたい理由はたくさんあるのに、そのすべてが自分の都合で、自分のため。社会で生きていく術を、自分のところで帳尻を合わせることしか知らないせいで、個人的な理由で断る方法が分からなかった。次の言葉が出てこないで固まっていると、折橋さんはさらに続ける。

「いつもお昼ってどこに行くんですか?休憩室には居ないですよね。」

「あ……コンビニです。」

こんな些細な情報さえ、本当は渡したくなかった。工場の休憩室は、事務員のひとたちがいつも楽しそうに談笑していて、とても自分の居場所はない。他の社員さんたちは近くの定食屋に行くことが多いが、自分はその家庭的な雰囲気へ入る勇気が出なかった。一番近くのコンビニも、油断すれば誰かと会ってしまう可能性がある。だからいつも、絶対に一人になれる少し離れたコンビニまで行っていた。そこには狭いイートインスペースがあり、昼間でもあまり利用しているひとがおらず、休憩中に誰とも顔を合わせたくない自分には最適な場所。それほどまでして避けてきたところへ、折橋さんは何の躊躇いもなく踏み込んで来る。

「じゃあついて行っていいですか?」

悪気なくそう言ってしまえる彼女に、自分は圧倒されていた。人間関係は、自分が嫌でも周りがそうじゃなければ、少しくらい我慢をすることで案外、上手く回る。今回のこともそれと同じだった。

「はい……。」

コンビニへ行く間も、折橋さんは一方的に何か話をしていた。少しずつ、でも着実に自分の空間が侵食されていることに戦慄する。自分はただ相槌を打つだけでいっぱいいっぱいだった。彼女は、そんな自分の聞いているか聞いていないかの反応でも満足そうで、スラスラと話を続ける。まるで、話したいことをただ羅列して、聞いてもらえるなら誰でもいい、といった感じに思えた。

「お昼代、私が払います。」

「えっ。」

「お礼です。」

「いやいいですよ。」

レジの会計で隣に立った折橋さんは、鞄から財布を出し、自分がお金を出すよりも先に、直接レジの店員に渡してしまった。

「あ……ありがとうございます。」

「いえ、お礼ができてよかったです。」

これが初めてだと感じるくらい明確に、感謝の気持ちはこもっていなかった。食事代を払ってもらったのに、心の底からありがたいと思えない自分を、図々しいと非難する。その声は葛西ではなく、自分を罰したい自分だ。それでも過ぎてしまったことは仕方がない。これで折橋さんの気持ちが済むのなら、それでいいと思うようにした。

いつも通りカップ麺にお湯を入れて、イートインスペースへ持っていく間も、折橋さんはずっと自分の行動をくまなく観察し、カウンター席に座れば、すかさず隣に座る。間隔の狭いテーブルでは、隣に座られると距離がとても近く威圧感があった。席に座った彼女は、昼食どころか飲み物さえ買うことはなく、持参した弁当と水筒をそこに広げた。自分はそれがひどく嫌だったが、何がどう嫌かも言葉にできず、見ないふりで飲み込む。食事をするときは、肘が彼女に当たらないようにすることだけに気を張った。気遣いなどではまったくなく、その嫌悪に少しでも触れないようにする防衛でしかない。窮屈な食事は、自分の味覚さえも奪っていた。

「富野さんはいつから今のところで働いてるんですか?」

「……えっと、高校生のころからです。」

「一年生ですか?」

「はい。」

「今って何歳ですか?」

「え……今年、二十二ですけど。」

「へえ! じゃあ一個上だ。結構働いて長いんですね。バイトからそのまま就職したんですか?」

「ええ、まぁ。」

嫌々答えているのが悟られなければいい、と思いながら、どうせそんなことさえ伝わるわけがないと、安心している自分がいた。

「私、来年には就活始めなきゃなんですけど、やりたい仕事全然無くて。富野さんみたいにバイトから就職って方法があるなら、私もそうしようかな。」

「えっ。」

折橋さんの言葉に、この先も一生こんな日々が続くのか、と想像して耐えられなくなる。その選択肢を、どうにか無くしてしまいたくなった。

「せっかく大学まで行ったなら、何か活かしたほうがいいですよ。」

「えー。でも大学も別に行きたかったわけじゃないんですよ。就職するのが嫌だったから先に延ばしただけで。本当はバイトとかもしたくなかったんですけど、さすがにガクチカ何もないのはあれかなと思ったんで始めたんです。」

「そうですか……。」

今まで自分の周りに居たひとたちが、どれだけ凄いひとたちだったのかを改めて痛感する。皆、自分の人生を精一杯生きて、やりたいことを渇望し、掴み取っていった。そんなひとたちに影響された自分でさえ、実家を出るという目標を達成してここにいる。

折橋さんは、自身が恵まれた環境にいることにも気づかず、ただ毎日が過ぎていくのを眺めているだけ。お礼と言って奢られたこの食事も、彼女にとっては降ってくるお金を自身でなく他人に使った、というだけ。恨めしく、羨ましかった。欲しいものを必死になって掴もうとしなくても、快適な生活を送れてしまう。他人の痛みを知って、初めて適切な距離を測れるだとしたら、この人には今自分が感じている不快な感覚など、気づきようがない。自分は、道端に転がった石のようにそこにいた。もし、その石につまづいたおかげで、大きな事故を免れたとしたら、なんでもない石に感謝の気持ちが芽生える。この人はきっと今、それと同じことをしているのだ。

[次回更新]5月5日 火曜日 23時予定

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