不慣れ
[登場人物]
富野瑛亮(19)
小和瀬薫(20)
薫の衝撃的な報告は、続ける言葉を失うほどだった。空気を察した薫は、場を和ませるように笑ってみせる。
「いや、厳密に言えば、まだあるんだけど。彼氏と喧嘩して、昨日別れちゃったからさ。言ってなかったんだけど、年明けくらいから僕、ずっと家出気味で。ほぼ彼の家に住んでたの。」
「そうだったんだ。」
「卒業したら新居見つけて、すぐ出て行くつもりだったんだけど、審査全然通らなくてさ。彼も、ずっと一緒にいれるからこのままのがいいって言ってくれてて、その言葉に甘えて同棲してた。けどさ、最近は顔合わせるたびに喧嘩ばっかしちゃって、ついに昨日の夜で別れちゃった。今さらこんな格好で実家には帰れないし、いや帰りたくもないから、家無くなった、って感じ。」
「そっか。大変だったんだね。」
薫は淡々と話しながらも、どこか不安げな表情を浮かべる。無理もない。今まで生活を共にするほど、信頼を寄せていたひととの関係が終わるのは、想像しただけで苦しかった。
「まぁね。今夜はさすがに会いたくないし、ネカフェにでも泊まろうと思ってる。まだ彼の家に荷物置いたままで、鍵も返してないから、どっかのタイミングでまた会うことにはなるけど。早いとこ部屋探さなきゃね。」
起きてしまった出来事から、次の行動へ前向きにすぐ移れるのは薫の強さだ。それは認めていても、目の前で困っている友達に、手を差し伸べずにはいられなかった。
「……泊まる?うちでよければ、だけど。」
薫は大きな瞳を見開いて、静かに驚いた。
「え、いいよ。だってせっかく瑛亮は一人暮らし始めたのに。僕なんか居たら邪魔でしょ?」
「薫ならいいよ。」
「ほんと……瑛亮は、お人好しだよね。」
薫は呆れた様子で溜め息をつく。薫にどう思われたとしても、自分はそれでよかった。
「うん。」
「なんかもっと、他に言いたいことないの?一人暮らしする!ってあんなに息巻いてたくせに、とか。家あるなら余計な意地張ってないで帰れば?とかさぁ。」
「いや、顔を合わせたくないひとがいる場所に、わざわざ帰らなくていいと思う。全部、薫が決めることだよ。俺はそれに何か言える立場でもないから。」
「なんか……。瑛亮、知らない間に大人になった?」
「え……。」
顔が引きつる。その顔を見て、薫は心配そうに笑った。
「なんでちょっと嫌そうなの?笑える。」
「……なんでだろうね。」
薫の言葉は、自分だけが葛西を置いて、大人になっていく事実を突きつけられるみたいだった。ふと、ずっとそばにいたはずの葛西が、何も言わなくなったことに気づく。きっと、置いていかれるのは葛西も嫌なのだろう。
その夜から、狭い部屋で薫との生活が始まった。朝起きると、薫は昨日の残りで朝食を作ってくれていた。昨晩と同じように、折りたたみテーブルを二人で囲み、朝食を食べる。この部屋に自分以外のひとがいることが、まだ慣れなかった。
「そろそろ行くね。鍵って、置いてったほうがいい?」
「あー、そうだね。買い出しもしておきたいし。今日さぁ、夜何食べたい?」
「ん?」
「泊まらせてもらってるし、お礼っていうか宿代っていうか。僕、これでも少しくらい料理できるからね?」
「……食べたいもの、か。」
食べるもののことなど、毎日ちゃんと考えたことが無かった。スーパーへ行って、目の前に食べ物を見ればなんとなくで選べるのに、それが無いだけでとたんに難しい問いに変わる。
「今食べたばっかで思いつかないか。適当に買っておくけどいい?」
「うん。薫に任せる。」
「分かった!じゃあ、仕事頑張って。いってらっしゃい。」
「あ、ありがとう。いってきます。」
玄関先で誰かに見送ってもらうのは、変な感じがした。仕事を終えた夕方、いつもの調子で家の鍵を出そうとして、手を止める。家の鍵が開いているか分からず、インターホンを押すと、すぐに扉が開いた。
「おかえり。」
「た、ただいま……。」
こんなふうにやり取りをするのは、少し恥ずかしくて、一瞬だけ合った目を、すぐに逸してしまった。
「夕飯すぐ食べる?」
「え、あ、うん。」
「分かったー。すぐ用意しちゃうね。」
薫は狭いキッチンに立ち、手慣れた様子で料理をする。一時間もしないうちに、小さな折りたたみテーブルの上には、生姜焼きとサラダ、白米、味噌汁が並ぶ。その中には、買った覚えのない食器に盛り付けられた料理もあった。
「炊飯器無かったからご飯はレンチンのやつで、お味噌汁も即席のだけど。あ、その辺は買い置きもしといたから、また好きなタイミングで食べて。」
あれもこれも薫にやってもらってばかりで、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「こんな……いいの?これ、食器とかも。結構したんじゃない?」
「えー心配しなくても、ちゃんと稼ぎあるから!今日だって、これ食べたら仕事行くし。また朝方ここ帰ってきちゃうけどね。いただきまーす。」
「薫は、何の仕事してるんだっけ?」
そう訊いてから、手を合わせて小さく「いただきます」と言い、料理を一口食べる。脳を刺激するような美味しさだった。最近はスーパーの惣菜や弁当ばかりで、誰かの手料理食べるのは久々だ。
「バーで働いてる。そうだ、今度瑛亮もおいでよ。ゲイバーってイメージ派手な感じだけど、うちは結構落ち着いてるし、初心者でも来やすいよ?」
「いや俺はいいよ。」
「あれ?瑛亮ってまだ未成年だっけ?じゃあ、二十歳になったらおいで。誕生日いつ?」
「誕生日は……来月だけど。」
「夏生まれなんだ!なんか意外。欲しい物とかないの?せっかく二十歳なんだし。お祝いするよ。」
このまま生きていたら、自分も二十歳を迎えてしまうのか、と嫌気が差す。口に入れた料理も、すっと味が消えていくようだった。
「べつに無いよ。自分の誕生日、嫌いだから。」
「そうなの?なんで?」
「毎年体調崩すし、いい思い出も無い。」
食事をする手を止め、現実から目を背けるように、想像の中に生かした葛西のことを考える。自分だけが食事をして働いて、二十歳まで生きてしまうことに、やるせなさを感じた。
「えー、そうなの?でも一人暮らしで体調崩すのしんどいよね。もしそうなったら、僕のこと遠慮なく頼ってね。食べ物とか、必要なものあったらなんでも届けるから。」
「え……ありがとう。」
「瑛亮は僕が困ってるときに助けてくれたから。逆のときは任せてよ。」
思えば、薫はいつもそうやって、自分を現実に繋ぎとめてくれた。こんなにも出来た薫でさえ、人間関係がうまくいかないときがある。だとすれば、自分が葛西と真正面から向き合えなかったのは、当然の結果なのかもしれない。
[次回更新]4月21日 火曜日 23時予定




