友達
[登場人物]
富野瑛亮(19)
小和瀬薫(20)
新居に慣れ始めたのは、生活を始めて一週間ほど経ったころだった。すっかり気温は上がり、また夏の嫌な暑さがやってくる。今年も体調を崩すのかと不安になっている自分を、葛西は物悲しげに見ていた。誕生日が近づくたび、悲しくて苦しいのは、何も言わず置いていかれたこっちのほうだ、と言い返してやりたいのを堪える。葛西のことを何も知らないのに、自分が何かを言える立場ではない。そもそも、葛西の選んだことは、自分のせいかもしれない。今の自分に降りかかる苦しみはすべて、自分に非があることだ。
夏が来ても、ほとんど毎日同じような生活を送った。暑い日差しの下、わざわざ出かける理由も無く、休日もほとんど家にいる。心が退屈を感じても、嫌なひとと顔を合わせる日々よりは耐えられる。その日は、仕事の昼休憩に、薫から連絡が来ていることに気づいた。
「今日って夜、予定ある?」
飽き飽きしていた日常に、突如訪れた転機。欲していた言葉は、一瞬にして心の隙間を埋めた。飛びつくような気分で、すぐに「何もない」と返信する。夕方、仕事が終わってから指定した最寄り駅へ向かい、改札口前の壁際の隅で、薫が来るのを待つ。ここに居れば、薫の姿を見逃すことは無いはずだった。
「瑛亮。久しぶり。」
改札と反対側、すぐそばから薫の声が聞こえて、驚き振り返る。そこに居た薫は、最後に会った卒業式の日から、ずいぶんと雰囲気が変わっていた。明るい茶色の髪は肩の上くらいまで伸びて、微笑む表情も明るく見える。Tシャツに細身のジーンズ姿という、あからさまに女性らしい服装ではないのに、纏う雰囲気は明らかに、持って生まれた性別を逸脱していた。
「か、薫……?」
「うん。さっき目の前の改札出てきたのに、分かんなかったでしょ?」
「あ……ごめん。」
「ま!無理もないよねー。僕、随分変わったし。ね、早く家連れてってよ。」
「あ、うん。」
無邪気に笑う薫の姿は、自分の知っている薫と何も変わらない。それなのに、どうしても真っ直ぐに視線を合わせられなかった。
「あ、そうだ。途中で買い出ししてから行こ?タコパしようと思ってさ、途中でこれ、買ってきたの!」
「え?」
薫が手に持った黄色いビニール袋から、箱に入った新品のたこ焼き器を取り出す。その箱を持つ薫の手元、鮮やかなピンク色のマニキュアが施された指先ばかりに、視線がいった。
「僕ね、何回かタコパしたことあるの。結構うまく作れるよ。」
「へぇ。」
「瑛亮ってさ、家で料理する?」
「いや、しない。」
「だと思ったー。やっぱこれ買ってきて正解だね。調理器具とかなくても、これだけあれば成立するもん。あ、今日は僕の奢りね。引っ越し祝いってことにして。」
スーパーへ寄って、食材をカゴに入れながら話す薫に、ただ相槌を打つ。話半分にしか聞けない代わりに、二年前の卒業式のあと、公園で聞いた薫の話を思い出していた。今まさに薫は、自分のやりたいことをして、誰にも文句を言われない、自由な生活をしている。久々に会った薫は、自分の人生を楽しんでいるように見えた。
「おじゃましまーす。えー、部屋いい感じじゃん!」
新居に入った薫は、楽しそうに小さな部屋を見回す。
「そう?」
「自分だけの城だね。快適でしょ?」
「うん、まぁ。」
狭いキッチンで薫が下準備をして、部屋の中央に置いた折りたたみテーブルの上に、たこ焼き器をセットする。両側に二人分の皿を置くと、それだけで机上はいっぱいになって、少しだけ不便だった。二人で向かい合って座り、薫が手際よくたこ焼きを焼く。自分はその手元ばかりを見ていた。
「ねぇ。瑛亮ってさ、こんなに僕と目合わなかったっけ?」
「えっ。いや、どうだっけ。分かんない……。」
自覚していた弱点を突かれ、内心ドキッとした。どこから湧いてくるのかも分からない恥ずかしさで、体温は顔を覆うように熱くなる。
「無理、笑える。友達相手に童貞みたいな反応やめて。」
「薫の雰囲気変わったから、慣れなくて……。あ、でも、変わったっていうか、えっと。」
「何?今の僕って瑛亮の辞書に載ってない状態ってこと?」
「いや、そうじゃないけど。」
言葉を交わしている相手は、自分もよく知っている薫なのに、どうしてもまじまじと顔を見られない。いちいち反応がまごつくのは、自分でも気持ち悪かった。
「じゃあ、僕が可愛いってことでいい?」
「……うん。」
「ありがと。」
「薫が、好きなことできててよかったって、思ってる。」
「え、ありがと!好きな格好できるってだけで、本当に毎日楽しいよ!」
「よかった。」
薫は綺麗に丸く焼けたたこ焼きを、ピックで器用に刺して持ち上げ、こちらの皿の上に置いた。
「はい、熱いから気をつけて。たこ焼きソースそこね。」
「あ、ありがとう。」
置いてくれたたこ焼きにソースを掛け、冷ましながら一口食べる。できたてを食べるのは初めてで、その美味しさに思わず感動した。
「……おいしい。」
「だよね!はい、こっち明太チーズ。」
「え、何それ。」
「タコ以外の食材入れるのはタコパの醍醐味でしょ。その組み合わせ、前やったとき超おいしかったから!」
「そうなんだ。」
冷ましながら一口食べると、なぜか口の中に甘さが広がる。想像していた味と全く違って、つい顔をしかめた。
「え、まずい?」
「いや……なんか甘い。」
薫はたこ焼き器のプレートを覗き込んで、笑いながら顔を上げる。
「あ、ごめん。それ板チョコだった。え、意外と美味しくない?甘じょっぱてきな。」
「あ、チョコか。うん……。でもなんか、ねぎが邪魔?」
「あーやば!全部にねぎ入れちゃったんだ。」
薫は笑って、たこ焼きを一つピックで取り、冷ましながら一口食べる。再び笑いながら、薫は口元を押さえた。
「ねーやばい、まじねぎ要らない!ほんとに邪魔してるかも!」
「だよね?」
ひとしきりそれで笑い合い、二人でひたすら、たこ焼きを焼いては食べる。夕方、久々に顔を合わせたときから比べれば、自分もだいぶ今の薫に慣れてきた。変わったところも、変わらないところも、全部含めて友達の薫だと、自分の頭と体にやっと馴染んだ感覚だった。もうこれ以上は食べきれない、というくらいの量を二人で平らげ、ひと息ついたとき、薫は「あのさ」と話を切り出す。
「実はさ、僕。家無くなっちゃったんだよね。」
「えっ?」
[次回更新]4月17日 金曜日 23時予定




