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  作者: 木々


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新生活

[登場人物]

富野瑛亮(19)

卒業式のあと、薫は車で迎えに来た彼と、さっさと帰ってしまった。これで最後になると思うと、少し寂しかったが、逆にこれくらいあっさりした別れのほうが、自分は前向きに進める気がする。

四月、今までアルバイトを続けてきた工場で、正式に社員として入社した。とは言っても、去年一年間で慣れた仕事をこれからも続けるだけで、勤務時間も中身も、特に変わることはない。仕事以外で変わったことと言えば、レポートの提出に追われなくなったことと、日曜日に学校へ行かないということ。土曜日も日曜日も、何もすることがなく、毎週二日連続で図書館へ行って、去年一年のあいだに気になっていた本をやっと読む。そのなかで発見があると、葛西のことを考えながらノートに書き出した。

読書に飽きたときは、今まで書いてきたものを初めから読み直して、当時の浅はかな回答を葛西と心の中で笑ったりする。日々、頭の片隅にやらなければいけないと気にしていたレポートの存在が無くなり、心は軽くなったものの、同時に生活のメリハリも無くなってしまった。充実していると思っていた休日は、大型連休に入れば一気に退屈なものへと変化する。

家にいる時間を短くしたいのが理由で図書館へ来ていたのに、本を選ばないまま館内を一周した。もう、どうにも逃げ場がない。それなら早く、一人暮らしができる部屋を探さなければ。焦らないで決めようとしたせいで、卒業してから一度も、探していなかった。

館内の隅の椅子で、薫に教えてもらった部屋探しのアプリを起動する。勤務する工場の周辺、家賃の低い順に物件を見ながら、いいと思ったところをチェックしていく。このときの「いい」の基準は、葛西が教えてくれる。家賃の安さだけに目が行きがちな自分に葛西は、暮らしてからの居心地の良さ、という点を指摘する。風呂とトイレは家の中で完結することが必須条件で、敷金や礼金の負担が少ないところ、そして、築年数があまりにも長いところは避けるように言ってくれる。葛西の教えてくれた基準を満たした物件を、三件くらいに絞り、あとは今月の給料を見てから考えようと思った。

自立への道のりは、着実に進む。正社員になってから、初めての給料を確認した次の日には、絞っておいた候補の中で、最も気に入っていた部屋の内見を申し込んだ。不動産屋へ行くのも、これから暮らすかもしれない小さな部屋を内見するのも、初めてのことだらけで不安だったけれど、退屈だった土日に、こうしてやることができた充実感はあった。部屋の相談に乗ってくれる不動産屋のひとはとても親身で、同じエリアに家賃が同程度の違う物件があることを教えてくれたり、部屋はいくつか内見してから決めるほうがいいとアドバイスをしてくれた。その助言通り、毎週のように内見をして、実際に見た部屋の中から、そのうちのひとつに決める。葛西も「これなら」と納得してくれた部屋だった。審査は通るか不安だったが、数日後には電話があって、無事に一人で新居を手に入れることができた。

電話をもらった直後、今までにない達成感から、その日はふとした瞬間にもつい笑みがこぼれて、何度も葛西に笑われた。アプリを教えてくれた薫にも報告をして、薫からは引っ越し祝いを持って遊びに行く、と返事がすぐにくる。卒業以来、久々に連絡を取ったのに、薫の返信の早さはあのころと変わらなかった。このころには、少しだけ夏の気配がしていた。

部屋を借りれても、すぐにはそこで暮らさなかった。というのも、家には引っ越しというほど移動させる荷物は無いが、必要最低限の生活用品を新居に買い揃えなければならない。そのため、次の休みの間に家電や日用品を揃え、その次の休みには、必要最低限の洋服を新居に運び入れた。日曜の夜、もう今日からでもそこで暮らせる状態になってから、母にだけは改めて、一人暮らしをすることを、初めて伝える。母はとても驚き、自分が自立することを喜んでくれた。

月曜日の朝。机の引き出しの中にしまっていたものを全て持って、いつもより早く家を出る。引き出しの鍵はもう必要ないけれど、どうしても置いていくことができず、一緒に持ってきた。紛れもなく、この形と重さは、自分を支えてくれた存在だった。それらを、新居の押入れに丁寧にしまい、初めて新居から職場の工場へ向かう。夕方に仕事を終え、その日からは新居へ帰る。道中のスーパーで適当に夕食を買い、自分しかいない小さな部屋で食事をして、風呂に入る。誰にも邪魔されず、会いたくないひとにも会わないで済む生活が始まった。それでもやっぱり、特にやることはなく退屈で、それでも不思議と充実した、不思議な気分を味わう。まだ、この空間が自分の、自分一人の家であることに慣れず、夜はなかなか寝付けなかった。押入れから、葛西のことを綴ったノートを取り出してきて、また初めから読み返す。読んでいるうちに、なぜか自然と涙があふれ出て、気づけば部屋の電気を付けたまま、眠っていた。

[次回更新]4月14日 火曜日 23時予定

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