一途
[登場人物]
富野瑛亮(19)
小和瀬薫(20)
薫との生活は、二週間くらい続いた。朝出掛けて夕方に帰る自分と、夕方に出掛けて早朝に帰る薫の生活は意外にも、程よく噛み合う。互いに相手が仕事で居ない間に自分の時間を取りながら、朝夕ほぼ毎日の食事は共にする。薫には余計な気遣いをすることも無く、すっかり自分はこの暮らしに慣れ始めていた。
「瑛亮はさ、僕に出てけって言わないの?」
いつもとなんら変わりないと思っていたその日、夕食の途中で薫は唐突にそう言った。
「えっ、なんで?」
「だって。いつまでいるか分からない友達がずっと自分の家に居座ってるのって、やっぱり嫌じゃない?」
「別に嫌じゃないよ。」
「なんで?」
「え……薫とは、一緒に居ても嫌じゃないから。」
「嫌じゃないの?僕と一緒に住んでることが?」
薫はテーブルに箸を置く。なんとなく、怒っているような感じがした。けれど、薫が不安げな表情を浮かべたのを気がかりに思う。
「うん。嫌じゃないよ?」
「瑛亮は、変だよね。」
薫は顔を両手で覆って、動かなくなってしまった。何と声をかけようか迷っている間に、薫は顔を上げ、居場所を無くして床に置かれたティッシュ箱から一枚取り、涙を拭う。
「あ……え、ごめん、なんか変なこと言った?」
「ううん。違う。瑛亮のせいじゃない、別に謝らなくていい。僕がうまくやれなかっただけだし。」
「薫、何かあった?」
薫は小さく息を吐き、狭いテーブルの上にスマホを置いた。画面には、誰かとのトーク履歴。薫が一つ返信するたび、相手からは五、六通のメッセージが来ているようだった。
「元彼なんだけど。無視しても何回もメッセージ来て、昨日は店にも来た。もう一緒に住めないって、何度も言ってるのに、彼は帰ってきてしか言わない。それで昨日はお店にも迷惑掛けちゃって。」
「……そうだったんだ。」
「彼、一緒に住んでたときは喧嘩するたびに出てけって言ってきたのに。僕が帰らなくなった今は、真逆のこと言ってる。もう僕、疲れちゃってさ。今日も店に来たらどうしようって、考えるだけで憂鬱。」
「今日、一緒に行こうか?俺が力になれるかは、分かんないけど。」
「え、いいよ。瑛亮は巻き込みたくないし、明日も仕事でしょ?そういうふうに言ってくれただけで、僕は今けっこう救われたよ。」
「それなら、いいけど。」
薫の気持ちは、少しだけ分かる気がした。一度あった嫌な出来事が、明日もまた起こるかもしれない、それだけじゃなく、今後もずっと付き纏うかもしれないと思うと、他に何も考えられないくらい心が苦しくなる。薫は今、まさにその状態なのだろう。
「なんか……こういうことされるとさ、いい思い出まで汚れてくみたいで嫌なんだ。彼のことはもうとっくに冷めてるけど、今はそれ通り越して嫌いになってくっていうか。僕だって、嫌いになんかなりたくなかったのにさ。なんかそういう執着とか、僕を取り戻すための必死さを、目の前で見せられると正直キモって思っちゃって。」
「……うん。」
薫が話しているのは元恋人の話なのに、自分が葛西を思い続けている状況と重なって、聞いているのが気まずくなる。自分は次第に、表情が強ばっていった。
「あ……あの、違うよ?彼が歳上だったからさ、余計に思ったっていうかね?三十にもなって未練がましいのって、正直見てられなくて。」
十年後、自分はその歳になってもまだ、葛西のことを考え続けているだろうか。それとも、もうとっくに誰か違うひとを。そんなの、考えるだけで嫌気が差した。葛西を忘れて、他の誰かを好きになる自分がいるかと思うと、気持ち悪くて嫌悪する。自分は葛西にどう思われようと、やっぱりこのままでいい。
「大丈夫。俺は、誰にも迷惑掛けてないし。」
強いて言えば、これで迷惑するのは葛西くらいだろう、と心の中で付け足した。
「瑛亮が思い続けてるのは、未練なんかじゃなくて一途な愛だよ。」
「うん……。」
自分が許せないから葛西を思い続けている。こんな状態は、愛というより贖罪と言ったほうがしっくり来る。これは本当に葛西への一途な愛なのだろうか。葛西からすれば、とっくに自分のことなど冷めていたかもしれない。あの夏の日の、次の日にはもう、自分のことなどどうでもよかったのかもしれない。だから、何も言わずに居なくなった。自分に関係ないひとのことなんか、考えなくて当たり前だ。それなら、葛西が死を選んだのはどうして。自分が関係ないのだとしたら、今も続けている贖罪は何のため。葛西を思うことで紛らわし、薫といることで打ち消してきた孤独という寂しさが、スッと心に沁み入るようで冷たかった。
「あ……ごめんね。瑛亮に愚痴っちゃって。そうそう、昨日の昼間にさ、やっと希望通りの物件見つけて内見予約したから。明日行ってみてくるね。いつまでも瑛亮の家でお世話になるわけにはいかないもんね。」
「あ、そうなの?……いい部屋だといいね。」
「うん!」
自分が向けた見た目だけの微笑みに対し、薫の前向きな笑顔はとても眩しかった。心に浸透した寂しさが、さらにかさを増して冷たくなっていく。薫がこの部屋から居なくなって、また一人の、孤独な空間に戻るのが少し怖かった。一度知って慣れ始めた反動なのか、それは余計に寂しく感じた。
[次回更新]4月24日 金曜日 23時予定




