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孤独なオタク社会人の出前アプリ、なぜか異世界に繋がっていて、憧れの漫画飯が届く  作者: めるしー


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8/11

異世界出前 精霊カフェ・花の蜜茶

 最近、会社での俺は、少しだけ変わったらしい。


 前は誰とも目を合わせず、息を殺すように働いていた。それが今は、自分から挨拶くらいは、できるようになった。たぶん、あの出前のおかげだ。腹が満ちて、よく眠れて、心に少し、余裕ができた。


 その余裕で、俺は初めて、ある人のことを、ちゃんと見るようになった。


 先輩——ここでは、高木さん、としておこう。


 高木さんは、いわゆる人格者だった。誰に対しても態度を変えない。後輩のミスは、さりげなくフォローする。俺が仕事に潰れかけていた頃、何も言わずに仕事を何件か引き取ってくれていたのも、後から知った。それでいて、恩着せがましいところが、まるでない。


 あんな人になりたいな。そう、思っていた。


   ◇


 ある日の、残業帰り。給湯室で、ひとり洗い物をしている高木さんが、小さく鼻歌を歌っていた。


 ……あれ。このメロディ。


 俺の足が、止まった。それは、子どもの頃から何百回も観た、あの冒険アニメの主題歌だった。


「……高木さん。それ、もしかして」


 高木さんは、びくっと肩を跳ねさせ、振り返った。その顔が、みるみる赤くなる。


「……き、聞いてた? いや、その、これは、忘れてくれ……」


「俺も、好きです。そのアニメ」


 高木さんの目が、丸くなった。それから——いつも穏やかなその顔が、少年みたいに、ぱっと輝いた。


「……マジで!?」


   ◇


 それから少し、立ち話をした。高木さんは、根っからのアニメ好きだった。あの落ち着いた顔の下に、こんな熱量を隠していたのか。


 そして高木さんが、ふと遠い目をして、言った。


「……俺さ、昔から夢だったんだよ。アニメに出てくる、あの飯。あれを一回でいいから、本物で食ってみたくてさ。……バカみたいだろ」


 ……その気持ちなら、痛いほど分かる。だって俺も、ずっとそうだったから。


 そして——今の俺には、それを叶えてやれる手段が、ある。あの、出前アプリ。


 言えば、いいんだ。「実は、本物が頼めるんですよ」と。きっと、高木さんは泣いて喜ぶ。


 でも——言えなかった。あまりに突拍子もないし、信じてもらえなかったら、できかけたこの関係が、壊れてしまう気がして。


 結局、その日は、何も言えなかった。


   ◇


 家に帰っても、高木さんの、あの夢を語る顔が、頭から離れなかった。


 ……いつか、ちゃんと伝えたい。あの人に、本物を食べさせてあげたい。でも、どう切り出せばいい。順番が、説明が、肝心だ。


 ……そうだ。練習、しよう。


 俺はアプリを開いた。たしか、メニューに——あった。『精霊カフェ・花の蜜茶』。お茶なら軽い。ちょうどいい。注文ボタンを押した。


 ほどなく、ピンポーン。ドアを開けると、手のひらに乗るくらいの小さな精霊が、ふわふわと浮いていた。その手には、湯気の立つ、小さなカップ。


「……お届け、です」


 鈴を転がすような声。受け取ると、精霊はぺこりとお辞儀して、ふわりと消えた。可愛い。今までで、いちばん平和な配達だった。


   ◇


 カップからは、花畑みたいな甘い香り。ひと口含むと——ふわっと、肩の力が抜けた。優しい。これは、いい。高木さんも、きっと気に入る。


 よし。シミュレーションだ。


 俺は、向かいの、誰も座っていない椅子に、高木さんがいるつもりで、話しかけてみた。


「……高木さん。実は、俺の出前アプリ、異世界に繋がってて……」


 ……いや。怪しい。出だしで、もう怪しい。


「えっと、信じられないと思うんですけど、配達員が、オークとか、エルフで……」


 ……ダメだ。完全に、やばい奴だ。


 ひとりの部屋で、誰もいない椅子に向かって、ぶつぶつ。客観的に見たら、こっちのほうが、よっぽどやばい。


「……はは」


 つい、笑ってしまった。でも、不思議と、惨めじゃ、なかった。


 そもそも、いきなり異世界の話は、ハードルが高すぎる。まずは普通に、お茶にでも誘って、少しずつ慣れてもらってから——。


(……いや。男二人で、お茶って、どうなんだ。誘ったら、変に思われないか。「お茶しませんか」って、なんか……)


 また、ぐるぐる、し始める。


 ……ダメだな、俺。考えすぎて、いつも、動けない。


   ◇


 でも。


 花の蜜茶を、もう一口。あたたかさが、また、すうっと染みていく。


 ……このお茶を、いつか、高木さんと二人で飲めたら。


 誰もいない椅子の向かいに、いつか本当にあの人が座って。「うまいな、これ」って、笑ってくれたら。


 それはきっと、今より、ずっとうまい。


 今夜は、まだ、ひとり。でも、もう、ただのひとりじゃない。“いつか”を待てる、ひとりだ。


 俺は、冷めないうちにと、残りの蜜茶を、ゆっくり飲み干した。


 練習は、まだ、続く。


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