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孤独なオタク社会人の出前アプリ、なぜか異世界に繋がっていて、憧れの漫画飯が届く  作者: めるしー


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7/11

異世界出前 魔王城・本日のまかない

 その日は、朝から、ろくでもない一日だった。


 立て続けのトラブル。理不尽な叱責。終わらない残業。久しぶりに、あの“一杯一杯”の感覚が戻ってきていた。


 ……でも、前とはひとつだけ違う。家に帰れば、楽しみが待っている。


 玄関に着くなり、アプリを開いた。今日は何か、温かくて力の出るものがいい。


 店一覧を眺めていると、見慣れない一軒が目に留まった。


『魔王城・本日のまかない(社員食堂)』


「……魔王城の、社食?」


 なんだそれ。魔王城に、社員食堂があるのか。っていうか、魔王城の飯って、どんなだ。気になって、気づけば注文していた。


 ……ふと、思う。これ、誰が届けに来るんだろう。魔王城の社食。配達は、いったいどんなやつが——。


   ◇


 ピンポーン。


 ドアを開けて——俺は、息を呑んだ。


 空気が、変わった。廊下の温度が、すっと下がる。


 立っていたのは、見上げるほどの長身。ねじれた二本の角。床まで届く漆黒のマント。その身から、紫の瘴気が、ゆらりと立ちのぼっている。金色の瞳が暗がりの中で爛々と光り、まっすぐに俺を射抜いた。


 圧倒的な、王の風格。ひと目で分かった。こいつは——格が、違う。


「——我が城の食事を所望したのは。貴様か」


 地の底から響くような、低い声。それだけで、背筋がぞくりと粟立った。


 魔王。本物の、魔王だ。


 やばい。怖い。でも——正直、めちゃくちゃ、かっこいい。子どもの頃に憧れたラスボスが、そのまま目の前に立っている。


「ま、魔王、さま……?」


 魔王は、ふっと口の端を上げた。不敵に。絵に描いたような、覇王の笑みだった。


「いかにも。我が自ら届けに来たことを、光栄に思——」


   ◇


 ——と。


 ぐぅぅぅぅ、と。


 壮大な瘴気の中から、間の抜けた音が、響いた。


 ……魔王の、腹の音だった。


 覇王の笑みが、ぴしり、と固まる。金色の瞳が、ふっと泳いだ。


「……あの、魔王さま。もしかして、お腹……」


 その瞬間だった。


 ぴんと張りつめていた何かが、ぷつりと切れたみたいに。魔王の大きな肩が、がくりと落ちた。立ちのぼっていた瘴気が、しゅるしゅるとしぼんでいく。


 よく見れば、目の下には濃いクマ。マントの裾はほつれ、頬はこけている。覇王の威容の、すぐ下に、ぼろぼろの男がいた。


「……すまぬ」声が、震えていた。「もう何日も、まともに食うておらん。城には、配るだけの食料も、ろくに……」


   ◇


 堰を切ったように、魔王は語り出した。


 城の財政が、もう何年も火の車であること。税は集まらず、兵士の給金も何ヶ月も払えていないこと。皆、食い扶持のために副業に出てしまい、城はがらんどうなこと。


「我が、無能なのだ……! 部下を食わせてやれぬ王に、何の価値がある……! だが、誰にも言えぬ。魔王たる者が、弱音など吐けるか……っ。皆の前では、笑っておらねば……っ」


 ぼろぼろと、魔王は泣いていた。さっきまでの覇王の風格は、どこにもない。世界を滅ぼすはずの存在が、俺の玄関先で、人目もはばからず。


 ……俺は、その姿に、見覚えがありすぎた。


 一杯一杯で、全部を抱え込んで。誰にも頼れなくて。笑った顔の下で、すり減っていく。——少し前の、俺だ。


「……分かります」


 気づけば、そう言っていた。


「俺も、ずっとそんな感じでした。全部、自分でなんとかしなきゃって抱え込んで。気づいたら、独りで、潰れかけてて」


「……人間の、貴様が?」


「はい。だから、なんか……魔王さまも、ちょっと休んだほうがいい気がして。とりあえず、座って、何か食べましょう」


   ◇


 俺は魔王を、玄関の上がり框に座らせた。本物の魔王を、ワンルームの玄関に。我ながら、どうかしてる。


 台所で湯を沸かし、買い置きのカップ麺に注ぐ。三分。割り箸を添えて、差し出した。


「うちの世界の、夜食です。あったかいですよ」


 魔王はおそるおそる、麺をすすった。


 ずず、と。


 固まって。それから、また、ぼろぼろと泣いた。


「……うまい。あったかい……。人の作ったものを食うのが、こんなに久しぶりだとは……」


「……たくさん、食べてください」


 魔王は、ずるずるとすすりながら、泣きながら、笑った。


   ◇


 しばらくして。魔王は汁まで飲み干すと、ふう、と息をついた。落ちていた肩が、少し戻っていた。


「……世話になった。礼を言う、異界の客よ」


 立ち上がり、漆黒のマントをばさりと翻す。その仕草は、また少しだけ、さっきの覇王に戻っていた。でも、もう、無理に張りつめた感じはしない。


「我は、まだ魔王だ。城のことは、我がなんとかせねばならぬ。……だが。たまには誰かに弱音を吐くのも、悪くないと思えた」


「いつでも、どうぞ。カップ麺くらいなら、出します」


「ふっ。……覚えておこう」


 魔王は、夜の廊下へ消えていった。来た時より、ずっと軽い足取りで。


   ◇


 ドアを閉めて、すっかり冷めかけた魔王城の社食を、温め直す。


 蓋を開けて——なんだか、胸がつまった。


 器には、具のごろごろ入ったシチュー。少しごつい、田舎パン。そして、小さめだけど、こんがり焼かれた肉。


 豪華じゃ、ない。野菜は不揃いだし、肉も決して多くはない。財政が苦しいのは、ひと目で分かる。


 でも。


 ひと口、シチューをすする。——……あったかい。


 じんわりと、優しい味だった。限られた材料で、それでも食う者のことを思って、丁寧に煮込まれている。パンはしっかり腹にたまる。肉は、小さくても下ごしらえが丁寧で。


 ……頑張ってるんだな。あの城の厨房も。きっと、魔王も。


 苦しい中で、それでも誰かのために、ちゃんと飯を作っている。その“頑張ってる味”が、今日の、すり減った俺に沁みた。


 ……ふと、思う。


 少し前の俺に、誰かがあったかい飯を出してくれていたら。「分かるよ」って言ってくれる誰かが、いたら。俺はたぶん、あんなに独りじゃ、なかった。


 だから——せめて、俺の玄関に来た誰かには。そうでありたい。


 社食は、不器用で、優しい味がした。今日の俺に、ちょうどよかった。


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