異世界出前 ドラゴンステーキ
三品を制覇した翌週。アプリの店一覧は、確かに増えていた。
『精霊カフェ・花の蜜茶』『獣人横丁・炙り肉串』。見ているだけで腹が鳴る、新しい異世界の店たち。否認をやめた俺は、もう素直にわくわくしていた。
そして、その一番上に。でかでかと、新メニューが躍っていた。
『竜亭・炎焼きドラゴンステーキ』
「……ドラゴン、ステーキ」
息を呑んだ。漫画飯の頂点。何百もの作品で、英雄や冒険者が討伐の祝宴で頬張っていた、あの伝説の一皿だ。
迷う余地なんてなかった。気づけば、注文ボタンを押していた。
——押して、三秒後。冷静になった。
(待て。竜亭の、ドラゴンステーキ。……これ、配達に来るの、まさか)
オークが来た。エルフが来た。ドワーフが来た。じゃあ、ドラゴンステーキを運んでくるのは。
ずん。
遠くで、地鳴りがした。
ずん。ずん。一歩ごとに、部屋が揺れる。アパートの廊下を、何かとんでもなく大きいものが、近づいてくる。
「いやいやいやいや」
オークで二メートル、あれでも腰が抜けかけた。ドラゴンって、何メートルだ。火を吐くだろ。ドアの前に、本物のドラゴン? 無理。絶対に、無理。
パニックで、震える指がアプリを滑る。その時、設定の片隅に、見慣れた一行を見つけた。
『お受け取り方法:[対面]/[置き配]』
「これだ……っ!」
俺は祈るような速さで、[置き配]をタップした。
◇
ず……ん。
足音が、ドアのすぐ向こうで止まった。
ドアスコープを、恐る恐る覗く。
……視界が、埋まっていた。赤黒い巨大な鱗。レンズに収まりきらない。廊下いっぱいにとぐろを巻くようにして、それはいた。鱗の一枚が、俺の顔よりでかい。
ドラゴン。本物の。
腰が抜けた。その場にへたり込む。置き配にして、本当によかった。死ぬかと思った。
だが、ドアの向こうの気配は、意外にも丁寧だった。
ことり、と。何か硬いものが、ドアの前にそっと置かれる音。次いで、ごぉっ、と低く短い、炎の音。
(……今の、火?)
そして、ノックが二回。控えめに、こんこん、と。最後に地響きが、ゆっくりと遠ざかっていった。
スマホが、ぴこん、と鳴る。
『置き配が完了しました』
写真が添付されていた。俺の部屋のドアの前。湯気を立てる包み。その上の隅に、にゅっと写り込んだ、巨大なドラゴンの鼻先。
……配達アプリの、置き配写真。律儀すぎる。
◇
気配が完全に消えたのを確認して、俺はそろそろとドアを開けた。
包みは、まだ熱かった。さっきの炎は、冷めかけたステーキを、もう一度焼き直してくれたんだろうか。律儀なドラゴンだ。
部屋に持ち込み、包みを開く。
——う、わ。
巨大な肉の塊だった。表面は香ばしく焦げ、ナイフを入れるまでもなく覗く断面は、宝石みたいな薔薇色。じゅうじゅうと、まだ脂が跳ねている。立ちのぼる煙だけで、もう暴力的にうまい。
……ふと、嫌な予感がよぎった。ドラゴンステーキを、ドラゴンが届けた。まさか、さっきのあいつの。
だが包みの脇には、見覚えのある書式の紙が一枚。
『当店のステーキは討伐された“野生竜”の肉のみを使用しております。配達を担う竜族の方々とは別の生き物です。──竜亭』
……また、これか。律儀な世界だな、本当に。
まあいい。要するに、れっきとしたジビエだ。
ナイフを入れる。すっと沈む。ひと切れ、口へ。
——……ッ。
声も出なかった。
肉の、暴力。噛んだ瞬間、肉汁が口の中で爆発する。炎で封じ込められた旨味が、一気に解き放たれる。脂は重いのに、しつこくない。これがドラゴン。これが、漫画飯の頂点。
夢中で食らいついた。子どもの頃、ページの中で指をくわえて見ていた、あの肉を。今、俺は本当に食べている。
気づけば、また目の奥が、熱くなっていた。
◇
食べ終えて、満腹で、ひっくり返る。
幸せだった。文句なく、幸せだった。
……なのに。
ドアの方を見る。さっき、ドラゴンが律儀に火で温め直して、ノックまでして置いていった、あの場所を。
俺は結局、ひとことも礼を言えなかった。怖くて、隠れて、置き配にして。
(……次は)
ふと、思った。次に何かが来たら、たとえドラゴンでも。ドアくらい開けて、「ありがとう」って、言ってみようか。
ひとりの飯に、慣れすぎていた。でも最近、玄関の向こうから来る連中のことを、もう少し知りたいと思い始めている自分がいた。
スマホには、まだ見ぬ店が、増え続けている。
怖い。でも、もう、楽しみのほうが、ずっと大きい。




