第99話 悠真、紗月とケーキを作ったら、クリスマスが待ち遠しくなる
昇降口で靴を履き替えていると、矢野が俺の横へ来た。
開けた靴箱の扉越しに、宮田の声がする。
「紗月、おめでとう。よかったね」
「ありがとう! ね、柊さんにも連絡したんだ。おめでとうって返してくれた!」
「あのカフェのこと、教えてくれたんだっけ」
「うん。受かったの、早く言いたくて!」
合格が出た日に、二人にも送ったらしい。
紗月が靴箱を閉めると、宮田がその腕に軽く触れた。
「ほんと、嬉しそうだね」
「嬉しいよ!」
俺も上履きへ足を入れた。
隣で矢野が、かかとを直しながらこっちを向く。
「悠真、クリスマスどうすんの?」
「紗月んちで飯。去年も作ったし」
「今年もチキンがいい! あの、皮がぱりってなったやつ!」
紗月が俺のほうへ顔を出した。
「ああ、あれうまかったよな。あと、ケーキも焼いてみようかと思ってんだけど」
「ケーキも!?」
「スポンジからやってみたくて。いちごとクリーム挟んでさ」
「私も作りたい! いつやる?」
「本番の前に、休みの日に一回試すつもり」
「じゃ、そのときから!」
「おう。一緒にやるか」
せっかく焼くなら、味見だけじゃなくて二人でしっかり食いたい。
小さすぎないケーキにしよう。
「お前らは?」
俺が聞くと、矢野は宮田を見た。
「映画行こうかって話してる」
「あんたが見たいって言ったの、結構長いんだよね」
「だから先に飯にしようぜ。途中で腹減る」
「あたし、終わってからゆっくり食べたいんだけど」
「……じゃ、ポップコーン」
「全部一人で食べないでよ」
「分けるって」
「今、覚えたからね」
宮田が笑って、階段のほうへ歩き出した。
矢野は俺の肩を軽く叩くと、自分の教室へ向かっていく。
紗月は俺と並び、鞄の持ち手を握り直した。
「ケーキ、いちごのせるのもやりたい!」
「おう、頼む。まず材料、調べるぞ」
「うん!」
◇
休みの日の午後、紗月んちの台所には甘い匂いが残っていた。
今日はお母さんが料亭の用事で出ていて、紗月の父親も留守だった。
俺が買ってきた材料で、昼から二人でケーキを作っている。
焼き上がったスポンジが、ようやく冷めたところだ。
待っている間に、使ったボウルや泡立て器は洗っておいた。
スポンジの底から紙をはがすと、紗月が皿を差し出した。
「このお皿でいい?」
「ああ、ありがと」
皿に移したスポンジを、上下二枚に切り分ける。
「ね、グラタンも作る?」
紗月が切り口をのぞき込んだ。
「クリスマス? 作るつもりだけど」
「あの白いソース、今年は私も混ぜたい。去年、悠真がずっとやってたでしょ」
「じゃ、一緒にやるか。底のほうも混ぜねえと焦げるから」
「うん。今日は、こっち!」
紗月が指したのは、いちごの隣に置いた絞り袋だった。
先に金具をつけて、コップに立ててある。
「これで、上にクリームのせたい!」
「ちょっと待って。今、泡立てる」
冷やしておいた生クリームをボウルに注ぎ、砂糖を加える。
ボウルの底を氷水に当て、泡立て器を動かした。
しばらくすると、とろみがついて、混ぜた跡が残るようになってきた。
泡立て器を持ち上げてレシピの写真と見比べ、少しだけ皿に取った。
スプーンの背で伸ばすと、するっと広がる。
「塗るのは、これくらいでよさそうなんだけどな」
「絞ってみていい?」
「おう。まず皿でやってみるか」
少しだけ袋へ入れて渡すと、紗月は口をねじって持った。
白いクリームが皿に出る。
紗月が袋を持ち上げると、先が細く長く伸びた。
できた山も、ゆっくり低くなっていく。
「あれ。お花みたいになると思ったのに」
「……もうちょい混ぜるのか?」
レシピには、クリームを塗るところも絞るところも載っている。
けど、さっきのクリームの固さのままでいいのかは、写真を見ても分からなかった。
「全部固くしたら、塗りにくくなんねえのかな」
「分ける?」
「たぶん。……橘さんに聞いてみるか」
今、仕事中かもしれない。まずはメッセージだけ送っておこう。
俺は手を洗って拭き、スマホを取った。
レシピの画面と、生クリームのパック、それから皿に絞ったクリームの写真を送る。
塗る分と絞る分の固さを聞きたいと書き、手が空いたら少し話せるか尋ねた。
返事を待つ間、ボウルと絞り袋は冷蔵庫へ入れておく。
紗月と、試し絞りに使った皿やスプーンを洗っていると、スマホが鳴った。
「もしもし。ありがとうございます。今、大丈夫ですか?」
『ああ。写真は見た。絞ったのは、塗るのと同じクリームだな』
「はい。あと、紗月も一緒に作ってて。スピーカーにしていいですか?」
『構わん』
濡れていない作業台の端へスマホを置くと、紗月も隣へ来た。
「お兄ちゃん、私が絞ったんだけど、丸くなっちゃった」
『絞る分だけ別にして、もう少し泡立てろ。表面に塗る分は、今の固さでいい』
「全部じゃなくていいんですね」
『全部固くすると、塗るときに伸びにくい』
ああ、やっぱ別でいいのか。
俺は冷蔵庫からボウルを出し、絞る分だけ小さいボウルへ移した。
残りは冷蔵庫へ戻して、小さいボウルの底を氷水に当てる。
「どれくらいまで泡立てればいいですか?」
『少し泡立てたら、持ち上げて確かめろ。すくったクリームがすぐに落ちず、先だけ少し曲がるくらいだ。やりすぎるな』
「……先だけ」
俺は泡立て器を何度か動かしてから、持ち上げた。
ついてきたクリームが、すぐには落ちずに残る。
紗月も隣からのぞき込んだ。
「悠真、先っぽ曲がってる!」
「これくらいでいいんですかね」
『水野。上げたところを撮って送れ』
「俺、今これ持ってて——」
「私撮る!」
紗月がスマホを手に取った。
泡立て器を構えたまま待つの、なんか変な感じだ。
「……腕、下ろしていいか?」
「もうちょっと。ピントが悠真の手になっちゃう」
「クリーム撮ってくれよ」
「撮りたいんだってば!」
ようやく送れたらしく、紗月がスマホを作業台へ戻した。
『そこで止めろ。絞って確かめろ』
「はい。あ、もう一つ。袋を離すとき、上が長く伸びたんですけど」
『押すのをやめてから離せ。出しながら持ち上げるな』
「あ、私、ずっと押してた!」
『なら、そこも変わる』
紗月が空の手で、袋を握る動きをした。
「止めてから、上。……うん、やってみる!」
『残りは冷やしておけ』
「ありがとうございます。……橘さんって、仕事でずっと作ったあと、家でも作るんですか?」
『今日は冷凍してある飯を温める。卵を焼けば済む』
「お兄ちゃんも卵焼くんだ」
『焼くぞ』
そりゃ、焼くだろ。
でも、俺もなんか意外だった。家でも、もっと手の込んだものを作ってるのかと思ってた。
「……それなら、仕事で疲れて帰ってきた日も作れそうですね」
『毎日手の込んだものを作るわけじゃない』
「そういうのも、覚えときます」
『水野。今はケーキの続きだ』
「はい。仕上げます」
紗月が俺の隣で笑った。
『紗月』
「なあに?」
『送ってくれた大学の、コミュニティ福祉だったな。合格、おめでとう』
「うん! ありがとう。あそこでね、学生さんたちと一緒に活動を考えてみたいんだ!」
『そうか。楽しみだな』
「うん!」
『ではな』
通話が切れても、紗月はスマホのほうを見て笑っていた。
俺が冷蔵庫のボウルを取り出すと、隣へ戻ってくる。
「悠真。続き、やろ!」
「おう。俺、間にいちご挟むから。上、頼む」
「任せて!」
固さを見てもらったクリームを袋へ詰め直し、紗月に渡す。
俺が塗って重ねたスポンジに、紗月がクリームを絞った。
今度は山が残る。袋を離すたびに、紗月の口元が上がった。
いちごを並べ終えたら、もう待てなかった。
切り分けたケーキをテーブルへ運び、二人でフォークを取る。
「いただきます!」
俺はクリームとスポンジを一緒に口へ入れた。
ふわっとしたところに、甘いクリームが乗る。いちごも続けて食べると、酸っぱさがちょうどよかった。
「……うまい」
「ね! 悠真、上のも食べて!」
「今食ってる」
「こっち。私が絞ったとこ!」
紗月が俺の皿を指す。
俺はその白い山を、下のスポンジごとすくった。
「ああ。こっちも、うまい」
「えへへ。私も!」
紗月が自分のケーキへフォークを入れた。
「クリスマスも、上は私がやるね!」
「おう。頼む」
紗月が笑って、クリームを口に運ぶ。
俺も、残っていた白い山をスポンジごとすくった。
まだ食い終わってもいないのに、もう次に作るのが楽しみだった。




