第93話 悠真、最後の文化祭で紗月をダンスに誘う
閉会の放送が流れたとき、紗月はまだテントの外を見ていた。
「もう終わり? 早くない?」
「午後、あっという間だったな」
俺は洗い終えたへらを、返却用の箱へ入れた。
さっきまで容器が並んでいた机も、すっかり空になっている。
「水野、その箱、こっちでいい?」
「ああ。松井、そっち持ってくれ」
二人で箱を運ぶ間に、紗月と相原さんが机を拭く。
あちこちのテントから、椅子を重ねる音が聞こえていた。
「この看板、どうするんだっけ?」
相原さんが外した焼うどんの看板を持ち上げると、紗月がそちらへ寄った。
「教室に持っていこ! まだ捨てたくない」
「じゃあ、そっち持って。曲がりそう」
「うん!」
看板を二人で挟むように持って歩いていく。
俺と松井も、残りの荷物を取りに戻った。
片付けが終わって、教室でエプロンを鞄にしまう。
椅子へ座った途端、足がだるいことに気づいた。
あー。ずっと立ってたもんな。
「悠真、行こ!」
紗月はもう教室の出口にいた。
「ちょっと座らせてくれよ」
「後夜祭、始まっちゃうよ?」
「まだ間に合うだろ。お前、足疲れてねえの?」
「疲れた! でも、行きたい!」
そう言われると、まあ、俺もそうなんだよな。
よしっと気合を入れて立ち上がる。
「宮田は?」
「会計の片付け。終わったら来るって!」
「じゃあ、先に行くか」
教室の後ろに立てかけた看板を、紗月が一度振り返った。
俺もつられて見る。
明日は、もう焼うどんは作らねぇんだよな。
廊下へ出ると、グラウンドのほうからギターの音が聞こえてきた。
◇
グラウンドでは、軽音部の演奏が始まっていた。
俺と紗月は端の椅子の前に立って手を叩く。
隣の紗月は口ずさみながら、肩まで揺れている。
「紗月、この曲、知ってんの?」
「うん。この曲、好き! 特に、ここ!」
サビに入ると、紗月の声が少し大きくなった。
俺も聞いたことあるな、ここ。
「悠真も知ってる?」
「ここだけ。次は知らん」
「私も、この先ちょっとあやしい!」
「そんな堂々と歌ってんのにかよ」
紗月が笑って、またステージを向く。
歌詞のわからないところまで、楽しそうに声を出していた。
「踊る前から元気だな」
紗月がこっちを向いた。
「悠真も踊る気で来てるんだ?」
「……そりゃ、踊るだろ」
「えへへ。うん!」
嬉しそうに腕を絡めてくる。
聞かれると、ちょっと照れるな。
曲が終わり、俺たちも拍手した。
「おう。いたいた」
矢野の声がして振り向くと、宮田も一緒だった。
「片付いたか?」
「ああ。こっちは早めに終わって、宮田待ってた」
「ごめんね。お金は適当に箱に入れて終わりにできないから」
「俺だって適当には片付けてねえよ。急かしてないだろ?」
「うん。あと何分って聞いてきたけどね」
「それは聞くわ。待ってる間、どこにいればいいかわかんねえし」
宮田が笑いながら、紗月の隣に立った。
矢野もその隣に自然と移動していた。
「玲奈、お疲れ!」
「そっちも。紗月、ずっと楽しそうだね」
「楽しいもん! まだ踊れるし!」
「あたしも、座ったら立ちたくなくなりそう」
そう言って、宮田はステージのほうを向いた。
ちょうどそのタイミングでマイクを持った実行委員が、ステージへ出てくる。
「次はフォークダンスです。踊りたいペアは、中央へ集まってください!」
キャンプファイヤーに火がついた。
まだ少し明るい空の下で、炎が高くなっていく。
集まっていく連中を見てから、俺は紗月へ手を出した。
「紗月。行こうぜ」
「うん!」
すぐに手が重なった。
去年もここで踊ったのに、誘うのは、なんか緊張した。
紗月と歩き出したところで、矢野が宮田を呼んだ。
「宮田。俺らも行くか」
「……あんた、こういうのは見てるほうかと思った」
「俺も、そう思ってた」
「じゃあ、なんで?」
「せっかく、お前いるし」
宮田が一度口を閉じた。
「……そ。じゃ、行こ」
宮田が矢野の手を取った。
矢野は一度その手を見てから、グラウンドの中央へ顔を向ける。
矢野が歩き出すと、宮田が笑って隣へ並んだ。
俺も紗月を見る。
もう、早く踊りたくて仕方なさそうな顔をしていた。
曲が流れ始める。
手をつないで向かい合ったところで、俺はようやく思い出した。
去年も、最初の足がわかんなかったんだよな。
「こっち?」
「うん、こっち!」
紗月の足を見て動いたら、思ったより顔が近くなった。
「近えって」
「悠真が来たんだよ?」
「……そうだった」
紗月が吹き出した。
俺も笑いながら、一歩ぶん戻る。
手をつないだまま横へ動いて、回る。
「悠真、下ばっかり見てる」
「踏みそうなんだよ」
「まだ踏んでないよ。私、悠真の顔見たいんだけど」
顔を上げる。
紗月の髪が、火の光に照らされていた。
「……これでいいか」
「うん。そのほうがいい! せっかく一緒に踊ってるんだもん」
そんなに嬉しそうにするなよ。
今度は、そっちばっかり見そうになるだろ。
紗月が曲に合わせて、小さく数えている。
俺も声を合わせたら、途中から二人で違う数字になった。
「お前、今、一個飛ばしただろ。俺、まだ三だったぞ」
「悠真が遅れたんじゃない? 私、ちゃんと曲に合わせてたよ?」
「え、俺?」
聞いたところで、どっちも次がわからなくなった。
紗月が肩を揺らして笑う。
「もう、数えられない! 悠真、今いくつ?」
「俺に聞くなよ。お前に合わせてたんだから」
「じゃあ、二人とも一緒だね!」
「わかんなくなったところだけな!」
それでも、曲は進んでいる。
つないだ手を少し持ち上げて、紗月と一緒に回った。
横を向いた拍子に、少し離れた矢野たちが見えた。
宮田が何か言い、矢野が首を振る。すぐに宮田も笑って、二人でまた動き始めた。
あいつも、普通に楽しそうじゃん。
「悠真!」
紗月に呼ばれて、向き直る。
「今、回るとこ!」
「わかった、わかった」
他人見てる場合じゃなかった。
俺が手を引くと、紗月も同じほうへ足を出した。
曲が終わって、あちこちで拍手が起きた。
俺たちも手を離して叩く。
「楽しいね!」
「ああ。結構、足に来るな」
「悠真、休む?」
マイクから、次が最後の曲だという案内が聞こえた。
紗月がそちらを見る。
もう最後か。
もうちょっと、こいつと踊ってたいな。
「いや。次も踊ろうぜ」
もう一度手を出すと、紗月はそれを取って、少し近くへ来た。
「私も、そのつもりだった! 悠真が座るなら、私だけ隣で踊ろうかと思った」
「それ、俺がすげえ落ち着かねえだろ」
「だから、一緒に踊って?」
「誘ってんだよ、こっちから」
紗月が笑った。
俺も笑いながら、その手を持ち直す。
ゆっくりした曲が始まった。
さっきほど忙しく動かなくてもいい。
紗月の歩幅に合わせて、俺も足を運ぶ。
手の位置が少し下がって、さっきより顔が近くなった。
「去年も、ここで踊ったね」
「覚えてる」
「今年も一緒に回れたね。約束どおり!」
「ああ」
去年、帰り道で聞かれたんだった。
来年も一緒に回ってくれるか、って。
「どうだった? 今日」
「楽しかったよ」
言ってから、ちょっと笑ってしまった。
「まだ終わってねえけど」
「うん。まだ!」
今度は下を見なくても、ぶつからなかった。
紗月が笑うたびに、俺まで口元が緩む。
最後の音が長く伸びて、消えた。
紗月の足が止まる。
俺も止まったまま、少しだけその顔を見ていた。
「……終わっちゃった」
「だな」
手を離すと、間に風が通った。
周りからの拍手に、俺たちも加わる。
今年度の文化祭はこれで終了です、とマイクの声が響いた。
来年もあるだろ、とは言えねえんだよな。
俺たち、三年だし。
紗月がまだ中央のほうを見ている。
俺も急かさず、その隣に立っていた。
実行委員が片付けを案内し始めると、紗月がようやくこっちを向いた。
「鞄、取りに行こっか」
「おう」
教室へ戻ると、宮田の鞄はもうなかった。
自分の鞄を肩に掛け、紗月を待つ。
紗月は鞄を持ってから、空いた手を俺に差し出した。
「帰るときもね」
俺はその手を取った。
「わかってるよ」
つないだ手を引かれ、二人で校門へ向かった。
◇
悠真とつないだ手が、歩くたびに揺れる。
もう音楽は聞こえないのに、まださっきの曲が頭の中にあった。
「……もう一曲くらい、踊りたかったな」
「俺も。足は疲れたけど」
「明日、歩ける?」
「そこまでじゃねえよ」
悠真が笑った。
私も笑って、隣にくっつく。
楽しかったな。
悠真から手を出してくれたのも。顔を見て踊れたのも。
でも、明日はもう、あのテントに行っても誰も並んでない。
「ねえ。あのおばあちゃん、匂いで来たって言ってたね」
「ああ。結構遠くからだったよな」
「嬉しかった。私たちがおいしい匂いだなって思ってるの、あっちの人にも届いてたんだね」
私がお腹すいてるって言ったら、おばあちゃんも、柊さんの友達も笑ってくれた。
お店の子に伝えたら、その子も笑って。
また思い出して、ちょっと笑っちゃう。
「みんなで作るのも、食べてもらうのも、楽しかったな」
「忙しかったけどな」
「うん。それも! 知らない人なのに、いっぱい話しちゃった。文化祭じゃなくても、ああいうの、またやりたいな」
「みんなで作って売るのか?」
「売るかは、わかんない。作って、一緒に食べるのもいいし。途中でまた作ってもいいし!」
「食いながら、次の飯作るのかよ」
「だって、食べたら、次に食べたいのも出てくるじゃん」
口にしたら、なんだかまたお腹がすいてきた。
でも、今は焼うどんの匂いがしない。
「ねえ、悠真。柊さんも、ご飯食べてるときに、妹さんの話聞いてて手が止まっちゃうんだって」
「お前と一緒じゃん」
「そうなの! さっきも、そういう話になってね」
悠真のほうへ寄った。
まだ話したいことが、いっぱいある。
◇
先輩たちも帰ったグラウンドの端で、ゴミ袋の口を結んだ。
さっきまで火のあった場所では、先生と実行委員が後始末をしている。
集めた袋を指定の場所へ運び、担当の人へ声をかけた。
今日の私の仕事は、これで終わり。
手を洗って戻ると、奈々が椅子のそばで待っていた。
私の鞄と、小さな犬のぬいぐるみを持っている。
「お待たせ。預かってくれて、ありがとう」
「お疲れ。この子、ずっとこっち見てたよ」
「奈々が、そっち向きに持ってるからでしょ」
「それ言っちゃう?」
差し出された犬を受け取った。
輪投げで取った、片耳の折れた犬。指で耳を起こしてみても、すぐに戻る。
うん。やっぱり、かわいい。
「ひより、その子見つけてから、ずっと欲しそうだったもんね」
「奈々も、ペンギン見てたでしょ」
「……そこは言わないでよ~」
奈々が笑い、私の鞄を渡してくれた。
犬をしまおうとしたけれど、もう少し持っていたくて、片腕に抱える。
校門へ向かう人たちの声が聞こえる。
奈々と並んで、私もそちらへ歩き始めた。
「奈々。さっきの学校のこと、帰ったら少し見てみる」
「保育士とかの?」
「うん。先生になる学校も。何を勉強するのか、気になるから」
昼に一緒に食べた男の子は、箸でキャベツが取れただけで嬉しそうだった。
こはるが小さい頃にも、似たようなことがあった。
保育士や先生は、そういうとき、どんなふうに関わるんだろう。
まだ作れない料理の話をする先輩は、楽しそうだった。
鞄の肩紐がずれて、掛け直した。
奈々が歩く速さを少し落とす。
「犬、しまえば?」
「……もうちょっと、このまま」
「はいはい」
奈々は私の腕の中を見て、ちょっと笑った。
犬の折れた耳を指で押さえながら、一緒に校門を出た。
帰って学校のことを調べるのが、少し楽しみになっていた。




