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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー
第二部

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第91話 悠真、紗月の兄におかわりを頼まれる

 文化祭当日の午前、衣装を借りられる教室で、俺と矢野は並んでカーテンを見ていた。


 廊下から呼び込みの声が聞こえる。

 矢野は壁に貼られた衣装の写真を見上げた。


「お前、あの王冠いかねえの?」


「いかねえよ。なんでだよ」


「似合わなそうだから」


「勧める理由になってねえだろ!」


 矢野がにやついたところで、カーテンが開いた。


「お待たせ! 悠真、見て!」


 紗月が淡い青のドレスの裾を、両手で少し持ち上げた。

 腰のところで結ばれたリボンから、ふわっと布が広がっている。


 ……おお。


 制服のときと、全然違うな。

 紗月がこっちへ歩くたび、裾も一緒に揺れる。


「どう? こっちにしたの!」


「ああ。似合ってる」


「ほんと?」


「うん。……かわいい」


 言うと、紗月の顔がぱっと明るくなった。


「えへへ。これにしてよかった!」


 もう一度裾を広げてくれるので、俺も見た。

 いや、見たいけど。そんなにこっちを見ながらやられると、困る。


「紗月、後ろ踏むよ」


 宮田もカーテンから出てきた。


 腰の下まで伸びた黒い上着には、金色のボタンが二列に並んでいる。

 下は細身の黒いパンツで、紗月のドレスとはずいぶん雰囲気が違った。


「これ、裏は赤いんだよ。パンフじゃ見えなかったけど」


 宮田が上着の前を少し開き、矢野へ見せた。


「どう?」


「……いいじゃん」


 へえ。

 今、ちょっと間があったぞ。


「矢野。ほかには?」


「なんで悠真が聞くんだよ」


「いつも、もっと喋るだろ?」


 にやっとして俺は矢野にそう言った。


 矢野は俺を見てから、宮田へ顔を戻した。


「似合ってる。その色も」


「でしょ。あたしも気に入った」


 宮田は上着を戻したが、ボタンのところをもう一度見下ろした。

 口元が少し上がっている。


 ……ああ、こういう顔もすんだな。


「水野、何?」


「いや。別に」


 二人の反応が面白いとか口が裂けても言えねぇ。


「悠真もいつももっと喋るよな?」


 矢野がニヤリとしながら、横から口を挟んだ。


「俺は感想言っただろ」


「足りねぇんじゃねえの? なぁ橘?」


 紗月が俺の腕に手を添えて、顔をのぞいてきた。


「いっぱい見ていいよ!」


 いきなり近すぎだろ!

 普段と違う雰囲気すぎて、なんか慣れねぇ。


「……見てるよ」


「うん!」


 隣で矢野が笑った。

 こいつだけ余裕を取り戻すの、なんか納得いかねえ。


 撮影スペースが空いたので、紗月と宮田が前へ立った。

 俺は紗月から預かったスマホを構える。


「玲奈、こうしよ!」


 紗月が片手で裾を広げ、もう片方の手で宮田の腕を取る。


「あ、それなら背中合わせは? あたし、こっち向くから」


「いいね! じゃあ私、こっち!」


 二人が背中を合わせた。

 紗月の青い裾と、宮田の上着の赤い裏側が画面に入る。


「おお。いいんじゃねえの」


「待って、水野。足まで入ってる?」


「入ってる。撮るぞ」


 何枚か撮ってから見せると、二人とも俺の手元へ寄ってきた。


「あ、これ好き!」


「あたし、こっち。紗月のドレスも広がってる」


「ほんとだ。こっちもいい!」


 紗月が写真を送る間、宮田は矢野の袖を引いた。


「矢野、一緒に撮ろ。上着、返す前に」


「おう」


 今度は宮田のスマホを預かる。

 背景の前で並んだ矢野は、宮田の上着に触れかけて、一度手を下ろした。


「矢野、手、余ってるぞ?」


「見りゃわかるわ」


「肩でいいじゃん」


 宮田が言うと、矢野は一拍置いて、その肩へ手を置いた。


 そこは素直なんだな、お前。

 笑いそうになったけど、今は撮ってやることにした。


 宮田にスマホを返し、今度は俺のを矢野に渡した。


 結局、紗月と並んだ俺も、似たようなことになった。


「悠真、固くね?」


「うるせえ。早く撮れ」


「まだ構えてねえし」


 矢野がさっきの仕返しとばかりにニヤリとする。

 くっそー……。


 紗月が俺の腕へ、自分の腕を絡めてくる。

 ドレスの袖から出た腕が、すぐ横にある。

 普段見慣れない肌の白さに視線が吸い寄せられて、ついそっちを見下ろしたまま固まってしまった。


「悠真、こっちじゃなくて矢野くん見て?」


「……わかってるよ」


「はい、水野さん笑ってくださーい」


 水野さんってなんだよコイツ。

 さっきまで自分も手を余らせてたくせに。


 そう言い返そうとしたら、先に紗月が吹き出した。

 俺もつられて笑ったところで、シャッターの音がした。


◇


 衣装を返して教室を出ると、宮田と矢野とはそこで別れた。

 別の出し物見たいんだと。


 俺と紗月はクレープを買い、模擬店の並びから離れたベンチに座った。


 紗月のいちごには、白いクリームが山になっている。

 俺のチョコも、上から見ただけで甘そうだった。


「いただきます!」


 紗月が一口かじる。

 口を閉じたまま、こっちへ何度もうなずいた。


「おいしい!」


「早いな。俺、まだ紙むいてるんだけど」


「ここ、いちご入ってる。悠真も食べて!」


 差し出されたので受け取ろうとしたら、紗月はクレープを俺の口の高さへ持ち上げた。


 あ。

 昨日の、あれか。


「ここ。今なら、いちごも一緒に食べられるよ!」


 紗月がクレープの向きを変える。

 赤いいちごが、ちょうど端からのぞいていた。


 食いたい。

 けど、ここ普通に人が通ってんだよな。


「ほら、悠真。あーん」


「それ、言わなくていいだろ……」


 紗月はにこにこしたまま待っている。


 ……いいか。一口くらい。


 少し身を寄せて、差し出された端をかじった。

 クリームの甘さのあとに、いちごの酸っぱさが来る。


「どう?」


「うまい」


「でしょ!」


 紗月が嬉しそうに言う。

 俺はなんとなく、持ったままだったチョコのほうを見る。


「紗月。ほら」


 差し出すと、紗月は俺の手と顔を順番に見た。


「食べさせてくれるの?」


「……交換、だろ?」


「うん!」


 紗月は迷わず顔を寄せてきた。

 俺は紙の下を握り直して、動かさないように持つ。


 近いって。

 自分で差し出したけどさ。


 紗月が口を離し、唇についたチョコを舌で取った。


「こっちもおいしい! 悠真、食べてみて!」


「おう、まだ食べてなかったからな」


「あ、ほんとだ!」


 紗月が笑った。

 俺も笑いながら、ようやく自分のクレープを食べる。


 生地が柔らかい。

 チョコのかかってるところは、思ったより濃かった。


「ああ、これ、好きだわ」


「よかったね!」


「いちごもうまかったけどな」


「じゃあ、もう一口いる?」


「……遠慮しとく」


 また顔の前へ来そうになったクレープを見て言うと、紗月は楽しそうに自分でかじった。


◇


 午後一時。

 三年B組のテントへ戻って、俺と紗月は調理の当番に入った。


 交代したクラスメイトが、クリップボードの鉄板の絵を指して、さっき焼いたときの様子を教えてくれた。

 麺を置く前に、焼け方に差が出る場所を絵で確かめておく。


 隣で髪を結んだ紗月も手を洗い、俺と並んだ。

 ソースを混ぜていたところへ、低い声が届いた。


「水野」


 へらを持つ手に力が入った。

 テントの向こうに、橘兄が立っている。


 本当に来た。

 いや、来るって言ってくれただろ。俺が誘ったんだし。


「こ、こんにちは」


「お兄ちゃん! 今、作ってるよ!」


「見えている」


 紗月のへらが大きく動く。

 ソースの絡んだ麺が、鉄板の上で返った。


「紗月、こっちも頼む」


「うん!」


 俺が寄せた分を紗月が混ぜる。

 橘兄が見ているのはわかるけど、今は手元だ。


 焼き上がった分を容器へ盛って、販売担当の女子へ渡した。

 橘兄は会計を済ませ、受け取り口で待っている。


 ……自分で渡したいな。


「やっぱそれ、俺から渡してもいいか?」


「え? あ、橘さんのお兄さんだもんね? うん。いいよ、よろしくね」


「あー、あの兄貴か。水野、橘さん、少し代わるよ」


「え、ありがとう!」


 気を利かせてくれたクラスメイトが調理を代わってくれた。

 っていうか有名な兄貴ってなんだよ……。


 俺は女子が置いた一皿を受け取り、箸を添えた。

 紗月も隣に来る。


「お待たせしました」


「お兄ちゃん、熱いからね!」


「ああ」


 大きな手が、容器を受け取った。

 空いた俺の手が、ちょっと落ち着かない。


 橘兄はテント脇の飲食用の机へ移り、容器を置いて椅子に腰を下ろした。

 受け取り口から少し横へ外れると、食べているところがよく見える。

 鉄板はクラスメイトに任せて、俺と紗月は邪魔にならないテントの端から、並んでその様子をうかがった。


 箸で麺を持ち上げた。

 一口食べて、噛む。


 ……どうなんだ。


 聞きたいけど、今聞いたら食べてる途中だしな。

 紗月まで、俺の隣で黙って真剣に見ていた。


 橘兄が顔を上げる。


「水野」


「はい」


「うまいな。焼けたところが香ばしい」


 あ。


「……ありがとうございます」


 それだけ言ったあとも、口元に力が入っていた。

 笑っていいのか。いや、いいだろ。


 隣を見たら、紗月はとても嬉しそうに笑っていた。


「そこ、みんなでいっぱい試したの!」


「そうか」


「私、今のソース混ぜたんだよ。悠真と一緒に焼いて!」


 橘兄はもう一口食べてから、紗月を見た。


「見ていた。よく作ったな、紗月」


 紗月が俺の腕をつかんだ。


「……だって。悠真!」


「聞こえたよ」


「お兄ちゃん、もう一回言って!」


「聞こえたんだろう」


「聞こえたけど!」


 俺も、もう一回くらい聞きてえけどな。

 紗月があんまり嬉しそうなので、それは黙っておいた。


「前よりできるようになったでしょ?」


「ああ」


「家でも作ってるからね。悠真と、毎日!」


 そこでこっちを見るなよ。

 橘兄の目も俺に来た。


「……はい。作ってます」


「知っている」


 ですよね。

 なんで俺、報告したんだ。


 橘兄から目を離したタイミングで、テントの奥から「パック足りない!」と声が飛んできた。


 俺は受け取り口の脇へ寄り、積んであった容器を補充した。

 紗月も隣で、販売の女子へ箸の束を渡す。


 二人で少し手を動かしてから、また顔を上げた。


 橘兄はまだ食べていた。

 さっきより、だいぶ減っている。


 ……食ってるな。

 俺たちが作ったやつ。


「悠真、顔」


 紗月が横から、小さな声で言った。


「何」


「にやけてる」


「お前もだろ」


「うん!」


 悪びれもせずに言われて、もう表情を戻すのを諦めた。


 二人で作ったやつを、橘兄が黙々と口へ運んでいる。

 それだけで、胸の奥がじんわりと温かかった。


 食べ終えた橘兄が立ち上がった。

 俺は受け取り口のほうへ出て、声をかける。


「来てくれて、ありがとうございます」


「誘ったのはお前だろう」


「そう、なんですけど」


 食べてほしいって言って、本当に来てもらって。

 うまいって言われたのが、今も嬉しい。


「……来てもらって、よかったです」


 橘兄は俺を見て、短くうなずいた。


「俺も、来てよかった」


 紗月が俺の隣へ寄ってくる。


「お兄ちゃん、午後も楽しんでってね!」


「その前に、もう一皿買う」


「えっ! 食べるの?」


「食べるために買うんだろう」


 紗月がぱっと俺を見た。

 俺も笑ってしまった。


 昨日、二皿の話してたよな。

 本当に食うのか、この人。


「じゃあ、もう一皿焼いてきます」


「私も! お兄ちゃん、待っててね!」


 代わってくれたクラスメイトにお礼を言って、紗月と鉄板の前へ戻った。

 もう一度手に取ったへらを軽く握り直し、俺は鉄板の上へ視線を落とした。

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