第88話 悠真、文化祭の試作で「幸せもん」と言われる
誕生日から数日後の放課後、家庭科室でクラスメイトの松井がうどんの袋を持ち上げた。
「これ、ほぐしとけばいい? 俺やるよ」
「頼む。まずそっちの半分な」
「全部じゃなくて?」
俺は持ち込んだ材料を、調理台の上で二つに分けた。
「一回食ってから、もう一回作りたい。味、変えたくなるかもしれねえし」
「なるほどな」
俺たち三年B組の文化祭の模擬店は、焼うどんに決まった。
調理を希望した俺と紗月、松井、相原さんの四人で、使用許可を取った家庭科室へ試作に来ている。
ゆでうどん、豚肉、キャベツ、にんじん。
残り半分の豚肉は、使うまで冷蔵庫に入れておく。
「本番もこれくらいのフライパン?」
キャベツを袋から出しながら、相原さんがガス台を見た。
「当日は鉄板だって。外のテントと一緒に、学校で用意してくれるやつ」
「じゃあ、もっといっぱい焼けるね!」
紗月が大きめのフライパンを覗く。
俺も鉄板で焼いてみてえけど、まずは食ってみないとな。
「私、ソースのとこやりたい。入れて混ぜるの!」
「じゃあ、野菜は私切るね」
相原さんがまな板へキャベツを置き、紗月は買ってきたソースを出した。
俺も豚肉を切るため、別のまな板を用意する。
松井は袋の上から麺をほぐすと、ボウルに出して持ち上げた。
その横で、相原さんの包丁がとん、と鳴る。
俺も切った肉を皿に移した。
油を引いたフライパンへ入れると、じゅっと音がした。
「あ、もういいにおい」
「相原さん、まだお肉だけだよ?」
「わかってるけど。おなかすいてきた」
紗月が笑ったところへ、松井が麺の入ったボウルを持ってくる。
「俺、来る前からすいてる」
「俺もだよ。もうちょい待て」
生肉に使った菜箸を流しへ置き、きれいなへらで肉を広げて焼く。
赤いところが残っていないのを確かめると、相原さんが野菜のボウルを持ってきた。
「入れるね」
「頼む」
にんじんとキャベツを混ぜ、しんなりしてきたところで松井に場所を空けた。
「麺、いけるぞ」
「よし。これ、混ぜるのもやっていい?」
「いいぞ。下から返す感じでな」
松井が麺を入れ、へらを受け取る。
差し込んだ途端、麺とキャベツが山になった。
「……これ、下の肉、どこ行った?」
「下だろ」
「それはわかる。上に来ない」
松井はへらで山の横をつついている。
「底からすくってみ」
「こう?」
「そう、そのまま」
豚肉が出てきたと思ったら、麺ごとへらからずるずる滑った。
「おお、来た。戻った」
「持ち上げすぎだって」
「肉見つけたから、つい」
隣で紗月が笑い、俺もつられた。
そこまで高く掲げなくても見えるだろ。
全体が混ざったところで俺が代わり、麺を少し広げて焼いた。
焼ける匂いがしてきて、ますます腹が減る。
「悠真、ソースこれでいい?」
紗月が量ったソースを見せてくる。
「おう。それ入れたら、混ぜてくれ」
「はーい!」
フライパンの前を譲ると、紗月がソースを回しかけた。
湯気と一緒に甘辛い匂いが上がる。
「うわ、これ! これのにおい!」
松井が声を上げた。
俺も言いたい。これなんだよ、焼うどんって。
「まだ白いとこあるよ、橘さん」
手を拭いて戻ってきた相原さんが、フライパンの端を指した。
「ほんとだ。こっちも……あ、落ちた!」
すくい上げた麺がへらから滑って、フライパンへ戻った。
松井が隣でうなずく。
「それ、さっき俺もやった」
「ひっくり返す前に落ちちゃうね!」
紗月がへらを持ち直して、端の麺をすくう。
今度は高く持ち上げずに返して、白かったところにもソースを絡めた。
「どう? もう白いとこない?」
「ああ。いい感じだな」
「じゃあ、食べよ!」
紗月が火を止める間に、相原さんが大皿を持ってきた。
俺がフライパンを傾け、紗月がへらで焼うどんを送り出す。
うまそうだな。
四人で分けると少なくなるのが、ちょっと惜しい。
松井が出してくれた取り皿へ分け、ガス台から離れた調理台を囲んだ。
「いただきます!」
紗月が真っ先に手を合わせる。
持ち上げた麺には、何度も息を吹きかけていた。
「悠真も、早く!」
「食うって。箸、取ってるだろ」
「うん。食べて!」
はいはい。
一口食べると、ソースの絡んだ麺がもちっとした。
キャベツも甘い。
「うまいな、これ」
「ほんと?」
「ああ。紗月も食ってみ」
紗月は麺を持ち上げたまま、にこっと笑った。
「よかった! 私、混ぜてるときから悠真に食べてほしかったの」
箸を持つ手が、少し止まる。
……あのな、文化祭の準備だろ、これ。
「……まだあるから、ちゃんと食うよ」
「うん!」
紗月もようやく麺を口に入れた。
噛んでいるうちに目が丸くなって、こっちへうなずく。
「ん、おいしい!」
「だろ」
「もうちょっとよそっていい? 今のうちに冷ましておきたい」
取り分け用の箸を持ち、俺は紗月の皿に少し足した。
向かいの松井と相原さんが目を丸くしてる。
なんだ……?
「どうした?」
二人は顔を見合わせて、ちょっと苦笑いしてこっちを見た。
「いや~、すごいラブラブだなと」
「すごいね、橘さん……そんなに甘えちゃうんだ……」
ぐっ、なんか普段通りにふるまったけど、慣れすぎててそんな感覚なくなってたわ……。
「? いつも通りだよ?」
お前はお前で火に油を注ぐな。
相原さんは目をキラキラさせて紗月の方を見ている。
松井はうらやましそうにそれを見ている。
「水野~、お前幸せもんだなぁ」
「……ほっとけ。それより、どうだった、それ」
目線で松井の皿を指す。
「露骨に話逸らすよな……ああ、うまかったな。けど、少ねぇな」
「四人で食ってるからな」
「それもわかるんだけどさ。もうなくなる」
ほんとにな。
俺の皿も、もう半分も残ってない。
「私、ここのちょっと焼けたとこ好きだなぁ」
相原さんが麺の端を箸で持ち上げた。
「どれ?」
「ここ。茶色くなってるところ」
紗月に見せてから、相原さんが食べる。
俺も自分の皿で探して、一口噛んだ。
ああ、ここか。
少し硬くなったところが、香ばしい。
「焼くと増やせるの? この部分」
「広げて、あんまり動かさなければな」
「じゃあ、残りのやつ、私が焼いてみたいな」
相原さんは、取り分けておいた残りの麺へ目を向けた。
「もうちょっと食べたいかな。こういうの」
「俺も食いたいし、やるか」
「じゃ、皿まだ使うな」
松井は流しへ運びかけた自分の皿を、調理台へ戻した。
準備早えな。
「フライパン、洗っとくわ」
松井がフライパンを洗う間に、俺は冷蔵庫から残りの豚肉を出した。
戻ってきたフライパンで焼き始める。
きれいなへらに替えて火を通し、松井が渡してくれた野菜を合わせた。
相原さんはうどんの袋を開けて、もう隣で待っている。
「麺、入れていい?」
「いいぞ」
場所とへらを譲ると、相原さんが残りの麺を入れた。
肉と野菜を端へ寄せ、空いたところへ麺を広げていく。
「このくらい広がれば焼ける?」
「ああ。底に当たってるところが焼けるから」
「じゃあ、ここも……」
重なった麺が気になって、俺は手を出しかけた。
けど、相原さんがへらの先でその麺を動かしている。
そうだ。自分で焼きたいんだったな。
俺は手を引っ込め、横で見ることにした。
「どのくらい待つ?」
「ちょっと焼けた匂いがしてくるまで」
「……肉の匂いと、違う?」
麺の上で、相原さんのへらが止まった。
あ。
そっか、そっちもあるのか。
「えっと、麺が焼けてくると……」
「今の匂いじゃ、まだわかんないな。下を見たらわかる?」
「俺は色も見てる。茶色くなったところが出てくるから」
言い直している間も、フライパンはじりじり鳴っている。
自分ならとっくに持ち上げてるところなのに、説明が間に合わねえ。
相原さんが端の麺を少しめくった。
「あ、これだ。さっき食べたやつ」
見えたところは、最初の皿より濃く色づいていた。
もうこんなに焼けてたのか。
「もう返すね。ここ、十分おいしそうだし」
相原さんがへらを差し込み、麺をひっくり返した。
茶色い筋がいくつも出てくる。
「おお、いい感じじゃん」
松井が横から覗き込む。
俺もちょっと、早く食ってみたくなった。
「橘さん、ソース取ってくれる?」
「はい! さっきと同じくらいにする?」
「うん。ソースは変えずに食べてみたい」
紗月が量って渡したソースを、相原さんがかけた。
麺をほぐしながら、端へ寄せた肉と野菜も混ぜ込んでいく。
「ここ、固まってる……あ、取れた」
相原さんはへらの向きを変えて麺の塊をほどき、全体をもう一度返した。
「できた。お皿お願い」
松井が空いた大皿を置く。
相原さんは火を止め、フライパンから焼うどんを盛った。
「こっちからも取ってみて。焼けたとこ、いっぱいあるよ」
大皿を囲んで、また四人分を取り分ける。
さっき食べたばっかりなのに、また腹が減った。
一口噛むと、焼けた麺の香りが強い。
お、いいな。
「うん、これ!」
相原さんが皿を持ったまま笑った。
「さっきの、ここだけもっと食べたかったのよね」
「ちゃんと増やせたね!」
紗月も冷ました麺を食べ、次の一口を皿の端へ寄せる。
松井は肉と麺を一緒に食べてから、大皿へ箸を伸ばした。
「でも、最初のやつのほうがソースまとまってた気もする」
「あ、そうかも。こっちは麺の味が先に来るね」
相原さんがもう一口食べる。
俺もキャベツを一緒に口へ入れると、さっきよりソースが濃く感じた。
「場所によって結構違うな」
「でも、この焼けたとこは残したいぜ」
松井が言うと、相原さんは大きくうなずいた。
「でしょ。次は、こんがりしたところをもっと増やしたいな」
「さっきより増えたのに、まだ足りないのかよ」
「だって、おいしいところから食べちゃうんだもん」
紗月が吹き出した。
俺も笑いながら、残っていた麺を取る。
わかる。
俺もさっきから、焼き目のついた麺を探してた。
結局、二皿目もきれいになくなった。
松井が皿を集め、相原さんは残っていた道具を流しへ運ぶ。
俺はフライパンを洗いながら、麺の上で止まっていた相原さんのへらを思い出した。
どこまで焼けたら麺を返すのか、次はちゃんと確かめたいな。
文化祭の焼うどん用に、さっきうまく言えなかった目安を紙に書けるようにしておくか。
「水野、これも頼む」
「おう」
松井から皿を受け取ると、紗月が拭くための布を広げた。
相原さんは空の大皿を見て、笑っている。
「食べて、おいしいって思って、すぐ作れるのがいいよね」
「二回分、取っといてよかったな」
「うん。こんがりしたところ、ちゃんと増やせたし」
相原さんが大皿を流しへ置いた。
松井はその横で、袖をまくり直す。
「次は俺も焼く。肉を探すだけで終わらないようにするぜ!」
相原さんが松井のほうを向いた。
「こんがりしたところ、私の分も残しといてね」
「作る前から予約されるんだ」
「私も食べる!」
紗月まで加わって、松井が俺を見る。
「水野、次、麺ちょっと多くてもよくない?」
俺は笑って頷きながら、洗い終えた皿を紗月へ渡した。
さっき食ったばっかりなのに。
次の焼うどんも、もう楽しみだ。




