第87話 悠真、彼女と誕生日の一冊を選ぶ
九月半ばの放課後、紗月と昇降口まで下りてきた。
宮田は矢野を待つと言って教室に残った。
俺が靴を履き替えているあいだに、紗月はもう外へ出ている。
「悠真、行こ!」
「おう。どこ寄るんだ?」
「着いてからのお楽しみ!」
鞄を肩にかけて外へ出ると、紗月が待ちかねたように歩きだした。
隣へ並んだところで、後ろから声がした。
「よお、十八歳」
振り返ると、宮田と並んで昇降口を出てきた矢野が、俺たちに追いついた。
「なんだよ、その呼び方」
「誕生日おめでとうございます。大人の水野さん?」
「急に知らねえ人になるな」
矢野はにやつきながら、正門へ向かう俺たちの横を歩く。
「大人っぽい返し、なんかねえの?」
こいつ、祝うよりそっちを楽しんでるだろ。
「お祝いの言葉、どうもありがとうございます」
「うわ、気持ち悪」
「お前がやらせたんだろ!」
隣で紗月が吹き出した。
宮田も笑ってから、俺を見る。
「今日だったんだ。おめでと、水野」
「ああ、ありがとな」
「十八になっても、矢野の相手してんのね」
言われて矢野を見ると、まだにやにやしていた。
「年齢関係ねえだろ、それは」
「だな。来年もよろしく」
「そこだけ律儀に頼むな」
紗月がまた笑う。
大人扱いは勘弁してほしいけど、俺もちょっと笑っていた。
「私のお祝いは、これからだからね!」
紗月が俺の袖をつまむ。
「このあと、二人で寄り道するの!」
「そ。じゃあ、楽しんできてね」
「うん! 玲奈たちもね!」
正門を出ると、矢野が片手を上げた。
並んで帰っていく二人に手を上げて返し、俺は紗月と駅の方へ歩く。
「そろそろ教えてくれてもいいだろ」
「もうちょっと!」
そんなに楽しそうに隠されると、こっちも気になるんだよな。
今日は紗月についていくか。
◇
商店街まで歩いて、紗月が足を向けたのは本屋だった。
「本屋?」
「そう! こっち!」
紙とインクの匂いがする店内を、紗月について進む。
料理本の棚の前で止まると、見慣れた背表紙が並んでいた。
「ここから、好きなの一冊選んで」
「……誕生日の?」
「うん。悠真が使いたい本、プレゼントしたいの!」
棚へ伸ばしかけた手が止まる。
料理本なら、欲しいものはある。けど。
「こういうの、結構するぞ」
「一冊なら大丈夫だよ。ちゃんと選んで?」
「ちゃんと、って」
紗月が棚を指す。
「値段だけ見て決めるのはなし!」
先に言われた。
まだ裏表紙も見てないのに。
「……わかった。じゃあ、本気で選ぶぞ」
「うん! 本気で選んで!」
まず、手の届くところにある一冊を抜いた。
表紙には、こんがり焼けた肉と、山盛りの付け合わせが載っている。
「あ、これおいしそう!」
紗月が俺の横から本を覗き込んだ。
「中、見てからな」
「中もおいしそうかもしれないじゃん」
「そこだけで決めねえよ」
目次から、肉を焼くページを開く。
紗月も同じページを覗いていたが、めくろうとすると「あっ」と声を上げた。
「ちょっと待って。右のやつ!」
「鶏肉?」
「うん! 上の、たれ?」
指された写真の下には、材料と作り方が続いていた。
「たぶん。読んでみねぇとわからねぇけど」
「私も知りたい。どんな味?」
「だから、今読むんだって」
紗月が口を押さえて笑った。
料理本を見てるだけなのに、やたら腹が減ってくるな。
作り方を読むと、材料は思っていたより少なかった。
これなら、今度作れそうだ。
ただ、ほかも気になる。
いったん棚へ戻して、別の本を取った。
「それも見るの?」
「ああ。こっちは作ってる途中の写真が多い」
「ほんとだ。同じお肉がいっぱい」
ひっくり返す前と後が並んでいて、その下に短い説明があった。
ああ、ここまで焼くのか。
完成した写真だけを見るより、俺にはわかりやすい。
「こっち、いいな」
「お肉、こっちのほうがおいしそう?」
「そうじゃなくて。どこでひっくり返すか、書いてあるから」
紗月も写真の下の説明を覗き込んだ。
「そっか。作るときに見るんだもんね」
「そう。いつも、もういいかってひっくり返してるし」
「待てないの?」
「腹減ってるときはな」
笑った紗月が本を覗き込み、髪が俺の肩に触れた。
見やすいように、本を二人の真ん中へ寄せる。
「これなら見えるか?」
「見える!」
目次へ戻すと、紗月が指を伸ばした。
「あ、卵もあるよ」
「どこだ?」
指されたページを開く。
焼き上がりの違う写真がいくつか載っていた。
ほかのページもめくってから、さっき戻した本の背表紙を見る。
「……迷うな」
「ね!」
「紗月も迷ってんのか」
紗月はさっき戻した本の背表紙を指した。
「だって、さっきの鶏肉、おいしそうだったから」
「食いたいやつは決まってるだろ」
「でも、こっちの卵も食べたい」
食べたいやつ増えてんな。
最初の本も気になるけど、卵のところへもう一度戻った。
混ぜ方も違うのか。
……これ、二つ作って比べてみてえな。
「これにする」
「決まった?」
「ああ。家でも読みたい」
裏表紙の値段を確かめてから、紗月へ見せる。
「これ、いいか?」
「うん!」
紗月は本を受け取ると、嬉しそうに表紙を見た。
二人でレジへ行き、紗月が財布を出す。
横で待っているだけになると、なんか落ち着かない。
さっきまで普通に中を見てたのに。
袋に入るところまで、じっと見てしまった。
「はい。お誕生日おめでとう、悠真!」
紗月が本の入った袋を差し出してくる。
「……ありがとな。ちゃんと使う」
「うん!」
受け取って持ち手を握る。
早く続きを読みたい。さっきの卵のところも、まだ途中だ。
袋を手に持ったまま店を出ると、紗月が隣に並んだ。
「本屋、どうだった?」
「ああ。じっくり選べてよかったな」
「悠真、あの写真のところ、もう一回戻って見てたもんね」
「見てたな」
紗月が笑って、俺の腕に触れた。
「私が先に買っちゃうより、一緒に来てよかった!」
顔が熱い。
……こっちは本を選ぶのに必死だったのにな。
……なんか、めっちゃ嬉しいな、これ。
「付き合ってくれて、ありがとな」
「こちらこそ!」
「プレゼントもらったの、俺だぞ」
紗月は俺の腕を軽く押した。
「私も楽しかったから、いいの!」
まだ明るい商店街を、二人で奥へ向かう。
店の外の風は、学校を出たときより涼しかった。
「ねえ、最初は何作る?」
紗月が袋を覗こうと、首を伸ばした。
「袋見ても、本見えねえだろ」
「さっきの卵かなって思って」
「あれはやってみたいな。焼く前の混ぜ方も違ってたし」
紗月が俺の横へ戻ってくる。
「じゃあ、一緒に食べようね!」
「おう。違い、わかるかな?」
「食べ比べする?」
思わず紗月を見た。
「そんな何個も食うのかよ」
「ちょっとずつにすればいいじゃん!」
「それなら、できるか」
食べるほうのアイデアは、ぽんぽん出てくるな。
紗月らしい。
でも、確かに二つ作って比べるのはやってみたいな。
「ね! ……ふふ、楽しそう」
「まだ何も作ってねえぞ」
「悠真が、だよ」
紗月が俺の顔を覗いてくる。
そんなに顔に出てるか?
「ああ、まぁな。楽しみだよ。本、まだ見てないとこ多いからな」
「春からの学校も?」
「ん?」
紗月は俺と並んで前を向いた。
「料理の学校。行くの、楽しみ?」
「そうだな。今まで適当にやってたとこ、ちゃんと知りたい。なんでうまくいったのか、わかんないときあるし」
「食べて、おいしいってわかってても?」
袋が足に当たりそうになって、少し持ち上げた。
「ああ。次に作ると違ったりするんだよ。なんでだよってなる」
「それ、知れたらうれしいね」
「うれしいと思う。あと、作れるもん増やしたい」
「いいね!」
紗月が弾んだ声で言った。
「悠真の学校の話、聞くの楽しみ。今日作ったのはこれ、って教えてね」
「毎日、飯の話になるぞ」
「今も結構そうだよ?」
……そうだったな。
紗月と顔を見合わせて笑う。
そのまま歩いていると、紗月が鞄の肩紐を握った。
「私も早く、行くところ決めたいな。そこで何するのか、こんなふうに悠真に話したい」
聞きたい、と思った。
紗月が通う大学の話も、そこでやってみたことも。
でも、早くって。
俺が聞いたら、もっと急がせることにならないか。
少し迷ってから、隣を歩く紗月に顔を向けた。
「なあ、紗月」
「ん?」
「焦ってる?」
少しだけ息を詰めて、返事を待った。
紗月は俺を見て、うなずいた。
「……うん。焦ってる」
「……そっか」
「色々見たら、これだって思うのが見つかるかなって。夏から調べて、実際に行ってみて、わかんないことも聞いてみたけど」
紗月は鞄の肩紐を握ったまま、話を続けた。
「お皿作ったの、すっごく楽しかったの。デザインの写真を見るのも好き。もっとやってみたいって、今も思ってる」
「ああ」
「でも、そこに通って、私が何をしたいのかって考えると、まだ言えないんだよね」
紗月が前を向く。
俺も隣を歩きながら、続きを待った。
「私は何がしたいんだろう」
紗月の横顔を見て、俺は小さくうなずいた。
今は、何か言ってこの話を終わらせたくなかった。
本の袋を外側の手へ持ち替える。
空いた手を伸ばして、歩いている紗月の手を取った。
紗月がこっちを見上げ、俺の指を握り返す。
あったかい。
俺も手を握り直して、紗月と並んで商店街の奥へ歩いた。




