第79話 悠真、打ち上げを断った矢野と宮田の「映画」で全部察する
その日の夕方、紗月んちの台所で、量りを出した。
二回目だ。
「今日もやるんだ」
「宿題だからな」
紗月はダイニングに宿題を広げたまま、椅子の背もたれ越しにこっちを覗いてくる。
「見ててもいい?」
「いいぞ。けど触んなよ」
「わかってるってばー」
一回目と同じ材料を、同じ順で量って、その日の数字を書き込んでいく。
考えることは何もない。ただの作業だ。
問題は、この前、丸で囲んだところだった。
音が変わったら弱める。
これが書けないと、紙にならない。
だから今日は、タイマーを最初から回すことにした。
音が変わるまでに何分かかるのか。
それが毎回同じなら、そう書けばいい……はずだ。
中火。蓋なし。待つ。
七分。まだだ。
八分。……まだ。
音が変わったのは、九分を過ぎたころだった。
一回目は、七分。
同じ鍋、同じ量、つまみの位置も変えてない。
……時間じゃねえのかよ、これ。
火を弱めて、蓋をずらす。
ペンを持ったけど、丸の横に足せることが、一個もなかった。
「悠真ー、なんか止まってるよ」
「……難しいんだよ」
二十分煮て、火を止めた。箸を刺すと、すっと通る。
「はい、味見!」
「まだ呼んでねえだろ」
紗月はもう横にいた。
じゃがいもをひとつ小皿に取って、息を吹きかける。
「熱いから気をつけろよ」
「だいじょうぶー」
紗月が、待たずに口に入れた。
「……っ、あつっ!」
「だから言ったろ……」
「あつい! あつい!」
しばらくはふはふしてから、やっと、もぐもぐし始めた。
「……おんなじ味」
「この前も言っただろ、それ」
「だって、おんなじなんだもん」
「二回連続で同じって言われても、褒められてる気がしねえんだよな」
「褒めてるの!」
紗月がむっとして、二個目に手を伸ばす。
「味見は一個だろ」
「二回目だから二個」
「なんだその理屈」
紗月が、調理台のノートを覗き込んだ。
「これ、あと一回で終わりなんだよね」
「そうだな」
紗月が、ノートの端を指でつまんだ。
そのまま、少しのあいだ、離さなかった。
「……悠真は、はやいね」
声は、いつもの声だった。
「……そうか?」
「そうだよ」
なんとも言えなかった。
俺が何か言うことじゃない。
言えることがあるとしたら、こっちだ。
「三回目、お前もやるんだからな」
「えっ」
「約束しただろ。三回目は一緒に作るって」
「……あっ。そうだった!」
紗月の顔が、ぱっと切り替わる。
「やる! ぜったいやる! いつ!?」
「いつでもいいだろ、別に」
「よくない! 予定に入れるの!」
紗月がスマホを出して、本気でカレンダーを開き始めた。
……肉じゃがを予定に入れるやつがあるか。
◇
三回目は、その週の土曜になった。
「はい! 私、量る係!」
紗月がルーズリーフとボールペンを両手に持って、宣言してくる。
「……お前が?」
「一緒に作るって言ったじゃん!」
「量るのは作るって言わねえだろ」
「言うの!」
まあ、いいか。
書くのはこいつのほうが字がきれいだしな。
俺の字はなぐり書きに近くて、俺しか読めないかもしれん。
玉ねぎを渡す。
「ねえ、これ、皮むく前? むいたあと?」
「むいたあとだな」
「じゃあ二個で三百二十だよね?」
「……なんで覚えてんだよ」
「だって悠真、あのとき玉ねぎに負けたって言ってたよ」
「言ってねえ」
「言ったよー!」
細かいとこまで覚えすぎだろ。
紗月が量りに玉ねぎを乗せて、数字が止まるのを待つ。
「三百二十六」
「六もそのまま書いといてくれ」
「六いる?」
「いるからやってんだよ」
紗月が読み上げて、紗月が書く。
じゃがいも、にんじん、肉。
俺は切る係になった。神経を使わない分、楽だな。
ってあれ、もしかして……。
「切り方もメモの、必要、あるのか?」
マジか……。
菓子作りにはないよな、切り方……。
すっかり抜けてたぜ。
橘兄が言ってたのはこういうことか……。
「切り方?」
「ああ、すまん。メモ取ってくれるか?」
「いいよ! どうする?」
……絵で描いたほうが早いか?
「切った形、描けるか?」
「まかせて!」
紗月が張り切って描き始める。
字だけじゃなくて絵も上手いなコイツ……。
けど、正直助かった。
自分だけのときはどうするか考えなきゃなぁ。
そんなこんなで、しばらくして下ごしらえが終わった。
切った具材を鍋に入れ、水を注いで、火にかける。
紗月がタイマーに手を伸ばした。
「時間も測るけど、頼るのは音なんだよな」
「音?」
「一回目が七分で、二回目が九分だった。同じようにやったのにな」
「えっ、なんで?」
「それがわかんねえから、三回目だ」
紗月がルーズリーフの端に、音、と書き足した。
「じゃあ私、音の係もやる」
「大丈夫か?」
「一緒に作るんだもん」
「……わーったよ」
紗月が鍋の近くに耳を寄せて、真剣な顔になった。
「……わかんない」
「まだだな」
しばらく待つ。
最初は、ぱちぱち細かい音だった。
それが途中から、ぼこ、ぼこ、って重い音に変わる。
「あっ。今の?」
「そうだ」
一回で当てたな。
「火、弱めるやつだよね。私がやっていい?」
紗月がつまみに手をかけて、こっちを見る。
「おう」
紗月がつまみを回して、火が小さくなる。
そのままタイマーを覗き込む。
「八分半!」
「……また違うのかよ」
メッチャぶれんな。
もしかして、具材の切り方とか入れ方も関係あんのか……?
「できた!」
「まだ二十分あるぞ」
「えー!」
二十分後、火を止めた。
これで完成だ。
今日は色々気づきが多かったな……。
でも、まだわかんねぇことだらけだ。
「橘さんに見せるのは、まだだな」
「えー! 三回やったのに!」
「……まぁな」
紗月が、自分で書いたメモを持って、電気にすかしてる。
「私、三回目のがいちばん好き」
「同じ味だろ」
「味じゃないもん」
……そう、だな。
「……俺も」
「え! 悠真も!? やったー!」
笑って、ぴょんぴょん跳ねる紗月。
それを見て、俺も笑った。
◇
六月の終わり。高三最後の体育祭だった。
朝からグラウンドは砂っぽくて、俺は三年B組のテントの端で鉢巻を結び直していた。
「紗月、鉢巻ゆるい」
「えっ、ほんと?」
「後ろ向いて」
宮田が紗月の後ろに回って、結び目を締め直す。
「痛い痛い痛い」
「動くからでしょ」
「悠真」
別クラスの矢野が、何も気にしない顔で普通に入ってきた。
ポテチの袋を持ってる。
おい……。
「体育祭に持ち込むもんじゃねえだろ、それ」
「エネルギーだろ」
矢野が袋を振ってから、一枚つまんだ。
「お前、なんに出んの」
「リレー」
「あー。あと、橘が借り物な」
「なんで知ってんだよ」
「プログラム見たからな」
矢野がポテチを噛んで、半眼になって俺を見る。
「なんだよ」
「いや。……まあ、頑張れよ」
「なにが」
矢野は袋に手を突っ込んだまま、答えなかった。
◇
昼過ぎ、借り物競争の準備が始まった。
「行ってきまーす!」
「紗月、ケガに気をつけなよ」
「はーい!」
宮田が言い終わると同時に、紗月はもうテントから飛び出していた。
スタートの音が鳴って、六人が一斉に走って、真ん中に置かれた紙を取る。
紗月が紙を開いた。
開いて、止まった。
……で、こっち見た。
おい、まさか……。
紗月がトラックを横切って、まっすぐこっちに走ってくる。
応援席が、うわっと沸いた。
「悠真!」
よく通る紗月の声。
クラス席の前で、大きな声で呼ばれた。
「……ここだぞ」
席を立つ。
「きてー!」
なんだかこの流れ前もあった気がする……。
ため息をついて紗月の近くに行く。
と同時に手を掴まれて、紗月が走り出した。
「って、おい!」
「はやくはやく!」
なんか、この感じ、懐かしいけど、相変わらず足はえーよ!!
足がもつれそうになりながらも、手をつないだまま二人でゴールテープを切る。
息が、キツイ……。
俺とは違ってケロッとしてる紗月が、係に紙を渡している。
「三年B組、橘さん。お題は——好きな人」
係のやつがスピーカーでそう読み上げた。
ってまたこの流れかよ!
グラウンドが、笑いと悲鳴の中間みたいな音になった。
「えへへ」
「お前、また引いたのかよ!」
「ぶい!」
「はぁ~……まぁいいけどよ」
「悠真! 大好き!」
「おい、やめろ、ここで抱きつくな!」
さらに歓声がデカくなる。
「俺は戻るぞ!」
「え〜」
「え〜、じゃ、ない!」
紗月と無理やり分かれてトラックの外に出る。
ダッシュでクラスのテントのほうへ戻った。
テントでは宮田が水筒を飲みながら、あきれたように俺を見てた。
「……水野、耳まで赤いよ」
「……走ったからだろ」
「去年と同じだな、ウケる」
その隣で矢野がまだポテチを食ってる。
ウケる、じゃねーよ!
しばらくして競技が終わり、紗月が帰ってきた。
「あー、楽しかった!」
そうかい。
「あ、ねえねえ! このあと打ち上げしよ! 四人で!」
紗月が両手を上げた。
「今日は無理」
「悪い、俺も」
矢野と宮田の二人が、同時に言った。
……ん?
妙に息が合ってたような……。
「えっ。なんで二人とも?」
「映画」
「六時半のやつな」
宮田がさらっと言って、矢野がさらっと足した。
紗月が、口を開けたまま止まった。
「…………えええーっ!?」
「うるさい」
「うるさいじゃないよー! 玲奈、それ! 矢野くんと!?」
「そうだけど」
「そうだけどじゃないよー!」
「言ってなかったか?」
矢野が、ポテチの袋の底を覗きながら聞いてくる。
「おい、聞いてねえぞ」
「悠真のは、聞いてねえのに全部入ってきたけどな」
矢野が半目でポテチを噛んだ。
「それは関係ねぇだろ!」
「だって、聞かれてないでしょ?」
宮田が水筒の蓋を閉めた。
「いつから!?」
「……いつだろうね」
「知ーらね」
「知らないことある!?」
紗月が、宮田の腕を掴んで揺らし始めた。
「玲奈! この前あんなこと言ってたのに!」
「あれとこれ、なんの関係があるの」
「あるよー! 人の進路、あんなに掘っといて!」
「掘ってないでしょ。聞いただけ」
「聞いただけの顔じゃなかったもん!」
……まぁ、確かに。
「あれは、あれ。今でも同じこと聞くよ」
「うっ」
「っていうか、マジで付き合ってんのかよ、矢野」
このポテチ食ってるプラモ魔人が、彼女持ちだと……!
しかも宮田かよ!!
「どうだろな? ……うそうそ、付き合ってるよ」
宮田が一瞬睨んで、矢野はお手上げのポーズをしていた。
そのタイミングで放送が、次の競技を呼んだ。
クラス対抗リレーだ。
「ぐっ……後で聞かせろよ!!」
「気が向いたらな?」
ひらひらと手をふる矢野。
「あ、悠真がんばってね!」
「ほどほどにね、水野」
二人に応援される。
「おう!」
列に向かって走りだす。
スタート位置に並んでも、頭にあったのは一つだけだった。
——あいつら、いつからだよ!




