第80話 悠真、面接より紗月の「土曜、おつかれさま!」に不意打ちされる
七月に入って最初の土曜。
俺は制服のまま、電車を乗り継いで、知らない駅に降りた。
改札を出る前に、一回だけスマホを見る。
体育祭のあと、あいつらのことは何回か聞いた。
何度聞いても、返ってくるのは「そのうちな」だけだった。
……くっそー、あれはどう足掻いても出てこねぇな。
ポテチとプラモの餌をぶら下げてもダメだったしな……。
いやいや。
今日はそれどころじゃねえだろ。
現実逃避はここまでにするか……。
ため息をついて、スマホをポケットに戻す。
事前に調べておいた道に沿って歩く。
しばらく歩くと、目当ての建物が見えた。
受付で名前を書いて、控え室に通される。
同じくらいの歳のやつが、ぽつぽつ座っていた。
制服のやつも、私服のやつもいる。
……静かすぎるだろ、ここ。
誰も喋らない。紙をめくる音だけがする。
この空気感、めちゃくちゃ緊張するな……。
俺は一番端の椅子に座って、鞄からルーズリーフを一枚出した。
学校の名前。
エントリーがいつからか。
お金。
料理の専門学校に行きたいって、橘兄に言いに行った日。
なんでこの道に進むのか。
こいつらが、つらつら書いてある。
なんだかんだ、学校を決めるのに、けっこうかかったよな……。
まず、一年かけるか、二年かけるか。
一人前まで十年は見ておけ、って橘兄には言われた。
だったら、その十年に一日でも早く入ったほうがいい。
その思いで一年を選んだ。
次が、家から通えるかどうか。
通えなかったら、そこにもまたお金が乗る。
最後が、入る前に和食だの洋食だのを決めさせられるかどうか。
今の俺には決められないからな……。
……で、残ったのがここだった。
偉そうに言えるほど、大した選び方じゃない。
けど、誰かに選んでもらったわけでもない。
それだけは、自信を持てる。
膝の上で手のひらが湿ってきた。
手汗がやべぇ……。
名前を呼ばれた。
扉を二回叩いて、返事を待ってから開ける。
「失礼します」
中は机が一つと、面接官が一人。
白髪まじりの、スーツの人だった。
扉を閉めて、椅子の横まで行く。
「どうぞ、座ってください」
「……失礼します」
喉がからからだ。
「水野悠真くん。高校三年生ですね」
「はい」
「じゃあ、一つだけ聞かせてください」
一つだけ、って言われるほうが怖いんだが。
「どうして、料理なんですか」
「……はい」
言葉が出てこない。
用意はしてきた。
してきたのに、頭の中は真っ白だった。
「好きだから、って——」
言いかけて、止まる。
……違う。
それ、まだ自分でもわかってないやつだ。
「すいません。今の、なしにしてください」
面接官が、少しだけ眉を上げた。
「どうぞ」
「……作ったあとに、なんでこうなったんだろうって考えるのが、やめられないんです」
声が少し掠れた。かまわず続ける。
「この前、家で野菜炒めを二通り作って、比べました。誰かに出すわけでもなくて、切り方を変えたらどうなるのか知りたかっただけです。そういうのを書いてるノートが、一冊あります」
膝の上で、指を組み直した。
まだある。
うまくいかなかった話だけど。
「あと、知り合いに、菓子で食ってる職人がいて。同じものを三回作って全部量って、それを見た人が同じものを作れる紙にしろって言われました」
一度、息を継ぐ。
「三回ともやりました。数字が全部ばらけて、紙はまだ書けてないです」
「三回で足りると思っていましたか」
「……思ってました」
面接官はペンも動かさない。
「全然、足りなかったです。まだ、わかってないことのほうが多いです」
ここまで言って、やっと最初の言葉に戻る。
「それが好きってことなら、好きです」
言い切ってから、息を吐いた。
ここで黙ればいいのに、もう一つだけ口から出た。
「……あと、入る前に和食か洋食か決めなくていいのも、ここを選んだ理由です。今どっちかに決めろって言われたら、たぶん適当に書くので。……それは、やりたくないんです」
しばらく、間があった。
「わかりました」
それだけだった。
うまくいったのか、そうじゃないのか、顔から何も読めない。
「結果は後日、通知します」
「はい。ありがとうございました」
立ち上がって、頭を下げて、部屋を出た。
外に出たら、日差しが痛いくらいだった。
シャツが背中に貼りついてる。
言いたいことは、たぶん言った。
言えてたかどうかは、別の話だけど。
駅までの道でスマホを見たら、紗月から『どうだった!?』が三件並んでた。
早えよ。
『終わった』とだけ返す。
既読がついて、すぐ下に『えらい!』と出た。
……何が偉いんだよ。まだ何も決まってねえっての。
◇
週が明けると、学校では三者面談が始まった。
午前で授業が終わって、午後はいつもの教室が面談部屋になる。
俺の番は月曜の一番最初だった。
紙に書いたことを確認されて、それだけ。あっという間に終わった。
それから二日後の水曜。
紗月の番は、最後から二番目だった。
「終わるまで待ってて。一緒に帰ろ!」
「おう」
その朝、教室でそう言われて、そう返した。
……っていうか、その前に面接のことをまた質問攻めにされたんだけどな。
土曜の夜に電話でぜんぶ吐かされたのに、それでも足りなかったらしい。
午前で授業が終わると、一度学校を出た。
商店街のコンビニでパンを食って、時間を潰してから戻る。
四階に上がると、廊下は妙に静かだった。
教室の前に椅子が二脚だけ出してあって、次の番の親子がもう座っている。
母親のほうが、手元の紙を何度も折り直していた。
……俺が居座る場所じゃねえな。
廊下を戻って、西階段の踊り場まで下りた。
窓の外でサッカー部が走ってる。
暇だ。
しばらくして、上のほうで扉の開く音がした。
「悠真ー? いないのー?」
……あいつ、声。
階段を上がると、紗月が廊下をきょろきょろしていた。
「あ、悠真! いた!」
「おう」
「待っててくれたの? うれしい!」
「……声でけえよ。次の人いんだから」
「あ」
紗月が両手で口を押さえた。遅えよ。
そのうしろから、お母さんが出てくる。
「あら、水野くん。こんにちは」
「……こんにちは。お母さん」
「紗月。さっき先生に、『考えます』って三回言ったわね」
「うっ」
「あら。お母さん、聞いたことを言っただけよ」
「言い方ー!」
紗月がお母さんの腕をぱたぱた叩く。お母さんは表情も変えずに鞄を持ち直した。
「お母さん、このままお店に戻るから。……水野くん、紗月をよろしくね」
「……はい」
「じゃあね」
階段のほうへ歩いていく。振り返らない。
……この人、いまだに何考えてるかわかんねえ。
「とりあえず、帰るか」
「うん!」
紗月と二人で昇降口を出たら、まだ日が高かった。
校門を抜けて、いつもの道に入る。
紗月が、しばらく喋らなかった。
こいつが黙って歩くのは、珍しい。
「……あのね」
「おう」
「三つ書くとこ、一個も埋まんなかった」
「志望校か?」
「うん」
紗月が、鞄の紐を両手で持ち直した。
「先生が、この辺どう? って三つ言ってくれたの。全部、名前は知ってるとこ」
「書かなかったのか」
「書けなかった」
少し間があった。
「だって、それ、私が選んでないもん」
なんて言えばいいのか、わからん。
……いや。
俺が答えを出したら、それは紗月のじゃなくなる。
なら、俺がどうしたかだけだ。
「……俺は、通えるかどうかで削った」
「え?」
「学校。全部見てたらキリねえから、家から通えるかで先に切った。それだけで、だいぶ減った」
「……そっか。最初から全部決めなくていいんだね」
「俺はそうしたってだけだけどな」
紗月が、歩きながら少し上を向いた。
「じゃあ、私も最初にやることだけ決める」
「おう」
「まず、何があるのか見る」
「何がって、なんだよ」
「大学で何が勉強できるのか、私、ぜんぜん知らないんだよね」
「そういや、俺も知らねぇな」
言われてみれば、大学で何ができるのかなんて、俺にもさっぱりだ。
「だよね! だからまず、何が勉強できるのか、ぜんぶ見るの!」
「全部は多くねえか?」
「多くていいの!」
紗月がこっちを見た。
その顔は、さっきよりも明るい。
「だって私、まだ何にも知らないんだもん。知らないのに、選べないよ!」
……ほんと、こいつらしい。
思わず笑う。
「なんで笑うのー」
「いや、お前らしいなって思ってな」
「なにそれー」
そう言いながら、紗月も笑った。
「頑張れよ。あんま時間はねぇけど」
「う、ぷれっしゃー……」
紗月が口をすぼめる。
しばらく二人で黙って歩いて、いつもの坂の下まで来た。
紗月が、急にこっちを向く。
「悠真」
「ん?」
「土曜、おつかれさま!」
紗月が、まっすぐこっちを見て笑った。
……不意打ち、すんなよ。
顔が熱い。
「……別に、まだ受かってねえよ」
「うん。でも、行くって決めたのも、行ったのも、悠真だもん。そこは、もう終わってるじゃん! だから、おつかれさま!」
うまく返せねえ。
……ほんと、いつもまっすぐ言ってくるよな、こいつ。
「お前も、頑張れよ」
「うん、ありがとう! 家帰ったら調べてみる!」
そう言って、紗月は機嫌よく歩き始めた。
その後ろ姿を見て、ふと口に出た。
「今日は、好きなもん作ってやるよ」
「えっ、やった! じゃあオムライス!」
「またそれかよ」
そう言いながら、頭の中ではもう、卵をどこまで焼くか考え始めていた。




