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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー
第二部

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第73話 悠真、進路は未定でも紗月に作るオムライスは決めてくる

 机の端に置いた紙を、もう一回だけ手に取った。


 二つ折りのまま、しわを伸ばす。それだけだ。


 家で相談してこい、とは言われた。


 ……相談で埋まる欄なのか、これ。


 紙を持って部屋を出て、階段を下りる。


 紗月んちで飯を食って、帰って、風呂も済ませたあとだ。この時間なら、親父ももう帰ってる。


 リビングでは親父がテレビの前で、母さんは台所で洗い物を終えたところだった。


「なあ」


「なに?」


 母さんが手を拭きながら振り向く。テーブルに紙を広げた。


「これ。学校で配られた」


「あら。なにこれ」


「進路希望調査。第三希望まであるんだよな」


 母さんが紙を覗き込む。


「三つも?」


「三つも」


「多くない?」


「多いんだよ」


 一個も浮かばねぇのに三つだぞ。


「で、書けたの」


「一文字も」


「へえ」


 ……なんだよ、その反応。


「いつまでに出すの、これ?」


「今度の金曜」


「あら。もうすぐじゃない」


「そうだよ」


 親父はテレビを見たままだ。画面では、知らないおっさんが川で魚を釣ってる。


「親父。聞いてる?」


「聞いてる」


 振り向きもしねぇ。


 母さんが急須を出しながら言った。


「お母さんのときも、そういう紙あった気がするわねぇ」


「なんて書いたんだよ」


「……覚えてないわ」


「役に立たねぇ!」


「昔の話よ。三十年近く前でしょ」


 三十年後には忘れてんのか、これ。


「で、どうするの?」


「わかんねぇ」


「ふーん、そう」


 母さんは湯呑みを二つ出して、それ以上は聞かなかった。

 だからその反応困るんだけどな……。


 テーブルの上の紙は、配られたときと同じで、まだ真っ白だ。


「悠真」


 親父が、テレビのほうを向いたまま言った。


「なんだよ」


「……金曜って言ったか、今」


「言った」


「そうか」


 全部聞こえてんじゃねぇか。

 っていうか、親父も母さんと同じような反応すんなよな……。


 結局、答えは出なかった。


 紙をまた二つ折りにして、部屋に戻った。



 金曜になった。


 毎晩紗月んちで飯は作って、紙の話もした。

 けど、決まったのは献立だけだ。


 放課後。

 職員室の前の廊下に、クラスごとの提出箱が並んでいる。


 鞄から紙を出す。月曜の夜から、一文字も増えてない。


 ……ここで書くしかねぇよな。


 シャーペンを引っぱり出して、箱の前で紙を広げた。


 いちばん下に、小さい字で断りがある。


『この調査は暫定のもので、後日変更できます。』


 つまり、それっぽい名前を書いて出して、あとで直せばいい。

 今日を越えるだけなら、それで済む。


 済むんだけど……。


 迷いながら、シャーペンの先を、第一希望の欄に置く。


 ……いや。


 一度だけ迷って、それから一気に書いた。


 第一希望 未定

 第二希望 未定

 第三希望 未定


 三つ並べて書くと、なかなかの眺めだ。


 次は、理由・備考の欄。

 ここが本番だ。


『まだ決まっていません。

 適当に書けば埋まりますが、それは俺の答えじゃないので、決まってから書き直します。』


 書き始めたら、意外とスラスラと書けた。


「悠真、書けた?」


「うお、びっくりした……なんだ、紗月か」


 いつの間にかいた紗月が、横から覗き込んでくる。


「……見んなよ」


「えー。私の見せるからいいじゃん」


 紗月が自分の用紙をばっと広げてきた。


 第一希望のところに「大学」。

 学部の欄は月曜のまま空いてて、備考には、あの一行。


『ごはんがおいしいところ』


「一文字も変わってねぇのかよ」


「うん! 変わってない!」


「堂々としすぎだろ」


「だって、書けないことは書けないもん」


 ……それは、まぁ、そうだな。


「で、悠真のは?」


「……未定」


「うん、それは昨日も聞いた」


「三つとも未定」


「三つとも!?」


 紗月が俺の紙を覗き込んで、目を丸くする。


「……ほんとに、書いてある」


「書かねぇと出せねぇだろ」


「ううん」


 紗月が首を振る。

 声のトーンがすこし下がった、気がした。


「……ちゃんと、悠真の字だ」


 なんだよ、それ。


「じゃあ、せーので入れよ!」


「なんでだよ」


「二人で一緒がいいじゃん!」


 せーの、で二枚まとめて箱に落ちた。

 ぱさ、と軽い音がして、終わりだった。


 あんなに書けなかったのに、出すのは一瞬だったな……。



 土日をはさんで、学校は月曜と火曜の二日だけ。

 水曜からゴールデンウィークに入った。


 連休の二日目、夕方。

 紗月んちの台所に、スーパーの袋を下ろす。


「今日はなに作るの?」


「オムライス」


「え! なんで!」


「なんでって、なんだよ」


 紗月が袋を覗き込んで、目を輝かせる。


「頼んでないのに!」


「まぁ頼まれてはねぇな」


 卵の日は、こいつの皿がいちばん早くきれいになる。

 ケチャップも好きだ。


 だから今日は卵とケチャップを両方やる。

 それだけの話だ。


 昨日、家で一回試しに作ってみた。

 一回目は卵が破れた。だから今日は火を弱めにしなきゃな……。


「ねぇ、もしかして、こないだのやつ?」


「なんの話だよ」


「私の好きなの、ぜんぶノートに書いてあるやつでしょ!」


「……書いてねぇよ」


「見たもん!」


 鞄から料理ノートを出して、台所の隅に開いて置く。


「あ、それ!」


「見んな」


「……あ、ここにも私の名前ある」


「気のせいだろ」


「『さつき、玉ねぎでかいと残す』って書いてある!」


「見んなっつってんだろ!」


 ノートを取り上げて、ページを閉じた。


「なんで名前まで書くのー?」


「……書かねぇと忘れるだろ」


「えへへ」


「なに笑ってんだよ」


「べつにー」


 絶対べつにじゃねぇだろ、その顔は。


「ねぇ、私は何すればいい?」


「冷やごはん出しとけ。あと玉ねぎ」


「玉ねぎ!」


 紗月がまな板の前に立って、袖をまくった。


「切るのは私がやる!」


「みじん切りな。細かいほうがいい」


「まかせて! もう泣かないから!」


 そう張り切ってたが、切り始めてすぐ泣いてた。


「泣いてんだろ」


「泣いてない! これは玉ねぎのせい!」


「そう言ってんだろ……」


 目を擦ろうとした手を、横から止める。


「やめろ。しみるぞ」


「わっ、ほんとだ! 悠真、目、目!」


「だから言っただろ」


 水を流してやって、そのあいだに玉ねぎを引き取った。


 刻んでるあいだ、紗月は横で「細かい」「細かすぎない?」とずっと言ってくる。

 うるせえ。


「じゃあ卵は私が割る!」


「……両手でいけって」


「こないだ、ちょっとできたもん!」


 こないだは殻ごと落ちただろ。


 紗月が卵を片手で持って、ボウルの縁にこつんと当てる。

 ぱか、と割れて、殻が一個だけ落ちた。


「入った!」


「入れんなよ」


「でも前より小さいでしょ!?」


「……たしかに小さい」


「上達だ!」


「上達なのか、これ」


 紗月が二個目の卵に手を伸ばす。


「次は片手で二個いける気がする!」


「やめとけ」


 まぁ、上達なんだろうな。前は中身が半分こぼれてた。


 殻をすくいながら、ちょっと笑った。


 鶏肉と玉ねぎを炒めて、米を入れて、ケチャップを回す。

 フライパンの中がぶわっとオレンジになって、紗月が「おおー」と声を出した。


「なんで感心してんだよ」


「だって、色が変わるとこ好きなんだもん。……私も混ぜたい!」


「跳ねるから、そっとやれよ」


 紗月にヘラを渡して、火を弱める。


「まかせて!」


 さっきも聞いたな、それ。


 案の定、二回目で勢いがついた。


「あ」


「あ、じゃねぇよ」


 紗月のエプロンに、赤い点が三つ増えている。

 あーあ……。


「セーフ! エプロンだからセーフ!」


「そのエプロン、誰が洗うと思ってんだよ」


「……お母さん?」


「自分で洗え」


「はーい」


 卵を溶いて、フライパンに流す。

 じゅっと広がって、いいにおいがしてきた。


「私も巻きたい!」


「破れるからやめとけ。……皿持て。乗せる係な」


「重要な係だ!」


 卵は昨日より弱い火で焼いた。

 ふちが固まってきたところで、ゆっくり寄せる。

 今日はちゃんと巻けた。


 紗月の構えた皿に、そっと滑らせる。


「巻けた!」


「俺が巻いたんだよ」


「見てたもん。一緒に巻いたようなものだよ」


「どういう理屈だよ」


 紗月が皿を持ったまま、鍋のほうを見た。


「スープもあるの?」


「玉ねぎ余ったからな」


「余りもの!」


「言い方な」


 もう二皿ぶん焼いて、ケチャップを渡す。


「わたし書く!」


「いいけど、こぼすなよ」


 紗月が真剣な顔でケチャップを構えて、三皿ぶん、何かを描いた。

 原形をとどめないものが三つできた。


「これは?」


「ハートだよ!」


 ……全部ハートかよ。


「あと、悠真のにはもう一個描いた」


「なにを」


「みけ」


「なんでだよ」


 皿を持ってダイニングに運ぶ。

 廊下のほうから足音がして、紗月のお母さんが顔を出した。


「あら。いいにおいがすると思ったら」


「お母さん! 悠真がオムライス作ってくれたの。見て、これ私が描いたの」


「あら。……これは、なにかしら」


「ハート!」


 紗月のお母さんがにこやかに笑う。


「あら、うれしい。……水野くん、いつもごめんなさいね」


「いや、好きでやってるだけなんで」


 お母さんが、テーブルの皿と、台所に置きっぱなしになってる俺のノートを、順番に見た。


「ねぇ、水野くん。今日のオムライス、紗月に頼まれたの?」


「いえ。……別に、頼まれてはないですけど」


「そう」


 お母さんは、皿の上のハートらしきものを見ながら、いつもの声のまま言った。


「今日は、来る前にもう決めてきたのね。前は、来てから冷蔵庫を開けて決めてたでしょう」


 思わず手が止まった。


 ……えっと。


「あら。お母さん、見たままを言っただけよ」


「……はあ」


 紗月が椅子に座って、スプーンを取りながら乗ってくる。


「でしょ? 悠真のノートすごいんだよ!」


「ばらすなっての」


「だって、ほんとだもん!」


 お母さんはそれ以上は何も言わず、「お茶にしましょうか」と台所へ行った。

 ついでみたいに、鍋の蓋を開けて中を覗く。


「あら、スープ。……これ、お父さんにも取っておきましょうか。連休は帰りが遅いから」


「うん、そうしよ!」


「あ、はい。多めに作ったんで」


 お母さんは鍋の蓋を閉めて、湯呑みを三つ並べた。


 紗月がスプーンを口に運んで、目を丸くする。


「……おいしい! 悠真、これお店のやつじゃない?」


「言いすぎだろ」


「言いすぎじゃないもん! ね、お母さん」


 お母さんも一口食べて、答える。


「ええ。おいしいわ」


「ほら、ね!」


「ほらじゃねぇよ」


 紗月が自分の皿と俺の皿を見比べる。


「悠真のハート、私のより大きいね」


「同じ量だろ」


「気持ちが大きいの!」


「気持ちは食えねぇんだよ」


 紗月が笑って、次の一口を大きくすくった。

 ほっぺたが膨らんで、ふにゃっとした顔になる。


「ねぇ悠真。今度は私が作るね」


「……お前が?」


「私だって、オムライスくらい作れるもん!」


 スプーンを握ったまま、紗月が胸を張る。


「さっき玉ねぎで泣いてただろ」


「泣いてない! あれは玉ねぎが強かっただけ!」


「玉ねぎに強い弱いはねぇだろ」


「あるの!」


 無茶苦茶な理論だな……。


 まぁ、卵は割れるようになったし、少しくらいならいけるかな。


「……巻くとこだけな。教えるから」


「やった!」


 さっき紗月のお母さんに言われたことをふと思い出す。


 ……頼まれてない、か。


 言われてみりゃ、そうだな。


 まぁ、けど、紗月がうまいって言ってるからいいか。



 同じ日の夜。


 家に帰って、風呂に入って、部屋に戻る。


 鞄から料理ノートを出して、今日のところに書き足した。


 卵、多め。

 玉ねぎは細かく。

 ケチャップは描かせると洗い物が増える。


 ……なんの記録だよ、これ。


 ぱらぱらと前のページをめくると、けっこうな量になってた。

 表紙の角も、めくれてきてる。


 いつの間に、こんなに書いたんだ。


 ノートを閉じて、机の端に置く。


 ……このへんに、こないだまで、あの紙が置いてあったな。


 いや、関係ないだろ……。


 紙はもう出した。三つとも未定で、それで終わりだ。


 スマホが鳴った。紗月だ。


『今日のオムライス、まだ口の中にいるよ!』


「いねぇよ」


 声に出してツッコんだところで、続けて通知が来る。


『明日はなに作るの?』


 ……明日か。


 まだ決めてねぇ、と打ちかけて、指が止まった。


 打ち直す。


『明日は、聞いてから決める』


 送ってから、自分がちょっと笑ってるのに気づいた。


 ……なんも決まってねぇのにな、俺は。

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