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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー
第二部

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第72話 悠真、大学を学食で選ぶ紗月の正論に折れかける

 朝、駅の東口。いつもの交差点で、紗月が信号待ちしてた。


 いや、いるのはいつも通りなんだけどな。


 立ち位置が、微妙に遠い……気がする。


「お、おはよ」


「……おう」


 声も、微妙に小さい。


 まあ、俺も人のこと言えねえけど。


 この前のこと……いや、やめやめ!

 朝から思い出すな、俺!


「……あのね、悠真。こないだの——」


「言うな」


「まだ何も言ってないよ!」


「顔でわかんだよ」


 紗月が、むっとした顔で見上げてくる。


 そのまま、すぐ噴き出した。


「えへへ。悠真、耳あかいよ」


「……朝が寒いんだよ」


 四月の朝に言うことじゃなかった。


 信号が青になって、紗月が、するっと腕を組んでくる。


「行こ!」


 ……いつも通り。いつも通りだ。

 意識すんな、俺!!


 並木道に出ると、制服の列がだんだん増えて、後ろから自転車が抜いていった。


「今日のお昼、屋上でいいよね?」


「ああ、もう暖かいしな」


「矢野くん、またちゃんと来てくれるかな~」


「あいつは変なところ律儀だし、大丈夫だろ」


 校門をくぐるころには、紗月はもう完全にいつもの調子だった。



 朝のホームルームで、担任がプリントの束を抱えて入ってきた。


「進路希望調査、配るぞー。今日書けとは言わん。持って帰っていいから、家で相談してこい。締切は金曜な」


 紙が後ろへ回ってくる。


 進路希望調査票。


 第一希望、第二希望、第三希望。理由を書く欄。備考。


 欄が、やたら多い、な。


 教室のあちこちで紙をめくる音がした。

 もう書き始めてるやつもいれば、見もしないで二つ折りにして鞄へ突っ込んでるやつもいる。


 後ろの席から、背中をつつかれた。

 振り返ると、宮田がこっちを見ていた。


「水野、それ持って帰って、頭抱える派でしょ」


「……なんでわかんだよ」


「顔でわかるよ」


 それだけ言って、宮田は自分の紙に目を落とした。


 二人して、顔、顔って。

 俺の顔、どうなってんだよ。


 紙を二つ折りにして、鞄に入れる。


 薄い紙のはずなのに、入れるとき、なんか重かった。


 ……いや、気のせいだろ。



 昼休み。紗月と宮田と三人で、屋上に上がった。


 いつもの手すりの前に並んで、弁当を広げる。


「矢野くん、おそいね」


「ポテチでも買ってるんじゃねぇの」


 言ってるそばから、扉が開いた。


「おせえ」


「ポテチ補充してた」


 マジで買ってたのかよ。


 矢野はそのままポテチの袋を開けた。

 今日はコンソメらしい。


「なあ悠真。うちのクラス、朝イチでもう三人出したらしいぞ」


「進路か? 早すぎんだろ……」


「な。焦るわ」


「焦ってるやつの顔じゃねえだろ、それ」


「焦ってるって。だから俺も書いた」


 矢野がポケットから四つ折りの紙を出す。


「進路希望。ほら」


 広げられた紙を、三人でのぞき込む。


 第一希望、大学。

 第二希望、大学。

 第三希望、大学。


「……」


「三回書く意味ある?」


 宮田が箸を止めて言った。


「保険だろ、保険」


「一個も保険になってねえだろ」


「学部が違うんだよ、学部が」


 もう一回見た。学部の欄は、三つとも空いてる。

 っていうか、そもそも学校名も書いてねぇだろ。


「空欄でしょ、それ」


「これから決めんだよ」


 矢野は半目のままポテチを食べてた。


 っていうか、本当にただ書いただけだったなコイツ……。


「私も書いたよ!」


 紗月がぱっと顔を上げて、鞄から紙を出す。


「え、紗月もう書けたの?」


「書けるとこは!」


 広げた紙を、こっちに向けてくる。


 第一希望、大学。学部の欄は、空白。


 で。その下の、備考欄。


 『ごはんがおいしいところ』


「……」


 さっきの矢野と同レベルな気がするぞ、おい。


「……なにこれ」


「条件!」


「学食で決めんのかよ」


「だって四年間だよ! 毎日食べるんだよ!」


 宮田が、紙と紗月を見比べた。


「学食で大学選ぶ人、初めて見た」


「玲奈だって、まずいごはんが毎日続くのはやでしょ?」


「……それは、まあ」


「な。それはちょっと正論だわ」


 矢野が真顔でうなずいた。


「矢野が落ちてる」


「落ちてねえ。認めただけだ」


「同じでしょ、それ」


 いやいや、マジでこれで出す気じゃないよな?

 紗月の顔を見ると大まじめだ。


「紗月、これ学校に出す紙だぞ。担任が読むんだぞ」


「だって、大事なことだもん!」


 紗月が胸を張る。


 こいつもマジかよ……。


 ……まあ、昼飯は、毎日食うもんな。

 変な説得力があるのが微妙なところだ……。


「で、悠真は」


 矢野が袋の底を漁りながら聞いてくる。


「……まだ」


「どこまで書いた」


「一文字も」


 矢野は「ふーん」とだけ言って、最後の一枚を口に入れた。


 紗月が俺のほうを見た。


「悠真の、見せて」


「見せねえっての。白紙だっつってんだろ。そもそもここに持ってきてねぇ」


「見たいのー!」


 言ってから俺の顔を見て、紗月がちょっと止まった。


「……私もね、まだおいしいごはん以外は空っぽなんだ」


「……そうなのか」


 っていうか、学食は確定なのか……。


「うん。大学は行くよ! それは決めてるの。でも、そのあと何やるとこかは……えへへ、まだ考え中!」


 いつもの明るいままだった。

 声はいつも通りに、聞こえた。


 宮田が箸を止めたまま、しばらくその紙を見てた。


「……ま、金曜まで時間あるしね」


「玲奈、やさしい!」


「別に。事実だし」


 そういや宮田は英語活かせるところって言ってたっけ……。


 真っ白は、俺だけ、か……。



 放課後。

 校門を出て、いつもの道に入る。


「悠真、今日どうする? うち来る?」


「行く。冷蔵庫、なんか残ってたか」


「んー……たまごと、キャベツ!」


「それだけかよ」


 紗月がえへへと笑う。


 しばらく歩いてから、鞄の中の紙を思い出した。


 言うか、迷う。


 ……いや、黙ってるほうが変だろ。


「あのさ。俺、あれ、ほんとに何も書けてねえんだよ」


「うん。お昼に言ってたね」


「……大学、とか。就職、とか」


「うん」


「そういうの書いときゃ、それで済むんだよな」


 言いながら、自分で情けなくなってくる。


「……でも、それ、俺の答えじゃねえ気がして」


 紗月が、隣で足を止めた。


 俺も止まる。


「……うん」


 それ以上、紗月はなにも言わなかった。


 こうしたら、とか。こうすれば、とか。


 言われると思ってたのに、言われない。


「あ、でもね」


 紗月が、こっちを見上げて言う。


「金曜まで、一緒に考えるのはいいでしょ?」


「考えるって、お前も空欄みたいなもんだろ……」


「うん! だから二人ぶん!」


「二人分か」


 紗月がふふっと笑って、俺の袖を引っぱった。


「ほら、行こ! あ、たまご、二個ずつ使っていい?」


「お前んちの食材だろ」


 そういって苦笑して、紗月と一緒に紗月んちに向かった。



 紗月んちの台所。


 炊飯器をセットして、フライパンを出す。

 紗月がキャベツを抱えて隣に立った。


「今日はね、私、たまごやる!」


「割るだけだろ」


「割るだけって言うけどね、悠真。私、片手で割れるようになったんだから!」


「ほんとかよ」


 紗月がボウルを構えて、卵を持つ。


 こつん、と縁に当てて——ぱき、と割れた。


 殻が、ぱらっと落ちた。


「……殻」


「取れるもん!」


 紗月が指で追いかける。逃げる。追いかける。逃げる。


「箸使え」


「あっ」


 俺は油を引いて、火を強くした。


 キャベツを放り込むと、じゅっと音が立って、湯気が上がる。


 鍋肌に当たる音。まな板を叩く音。換気扇。


 この台所の音、たぶん俺、けっこう好きなんだよな。


 ふと、進路調査票の紙が思い浮かんだ。


 ……なんでだよ。


 けど、フライパンの中は待ってくれねえ。俺は塩を振った。


「悠真、あのね」


 紗月が横からのぞき込んでくる。


「作ってるときの悠真、顔ちがうよ」


「どんな顔だよ」


「んー……まじめな顔!」


「なんだそりゃ」


「でも、いい顔!」


 まじめでいい顔ってなんだよ。


 しばらく二人で料理して、皿に盛ってダイニングに運ぶ。

 米もよそって、二人で並んで食べる。


「ねえ悠真。金曜までって、あと何回ごはん食べられるかな」


「……は?」


「明日と、あさってと……朝と夜と、お弁当も入れて」


「なんで飯で数えんだよ」


「だって、そっちのが数えやすいもん!」


「お前らしいな」


 思わず笑う。


「なんで笑うの! あ、これおいしい」


 紗月が、ふにゃっとした顔でそう言う。


 この顔を見ると、なんでか満足するな、俺。



 あのあと紗月んちを出て、家に帰って、風呂に入って、親父と母さんの作り置きも仕込んで、部屋。


 あとは寝るだけのタイミングで、鞄から二つ折りの紙を出して、机に置く。


 しわを伸ばして、シャーペンを持った。


 第一希望。


 書こうと思えば書ける。大学でも、就職でも、書くだけなら一瞬だ。


 ……なんでか、書けない。


 シャーペンの先を、紙から離した。


 耳の奥に、さっきの音がまだ残ってる。

 じゅっと鳴った音と、換気扇と、こつん、って卵の音。

 それと、紗月がうまそうに食べる笑顔。


 あれが何なのかは、まだわかんねぇ。


 わかんねぇもんを、それっぽい名前にして書くのは、たぶん違う。


 ……俺は、なにがしてえんだ。


 わかんねぇ。


 わかんねぇけど、これ、誰かに埋めてもらう欄じゃねえよな。


 紙をもう一回折って、机の端に置いた。


 締切は、金曜だ。

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