第71話 悠真、日曜デートの帰りに「……ずるい」と言わせる
日曜の昼前、桜ヶ丘駅の時計塔の下で、俺はスマホを出して、店のメモに書いた行き先をもう一回だけ確かめた。
……久々だし、間違えないようにしねぇと。
今日は、俺から紗月を誘った。
誘う時のLINEの文に無駄に時間がかかった。
なんか、俺からって未だに慣れねぇんだよな……。
スマホをポケットに戻したところで、声がした。
「悠真ー!」
紗月が小走りで駆け寄ってくる。
髪飾りが揺れてるのが、遠目でもわかった。
「……おう」
「あれ、もう来てたの?」
紗月が、俺と時計塔を見比べる。
「……家、出るの早すぎたんだよ」
「そっか、楽しみだったんだね! 私も!」
紗月が笑顔でそう言う。
まぁ……楽しみ、ではあるな。
「前から行きたい店があったからな」
「今日はそうだったね! どこどこ? 見せて見せて」
紗月が横から首を伸ばしてくる。
スマホを出して、メモを開いて見せる。
「ここだな」
「さくら亭?」
「ああ」
昔の俺が書いたメモがあって気になったんだよな。
そこまでは言わねぇけど。
「ちょっと気になってな。食って確かめる。……それだけ」
「りょうかい! 今日は悠真デーだね!」
紗月の声が、一段弾んだ。
なんだよ、悠真デーって。
「じゃあ私も、確かめる!」
そう、花が咲くような笑顔で言う。
「悠真の『おすすめ』ってどんな感じなんだろ。……ふふ、楽しみ!」
……ハードル上げんなよ。
ただの定食屋だぞ。
「行くか」
スマホをしまって、紗月のほうへ手を差し出す。
紗月も手を握り返して、二人で商店街のほうへ歩き出す。
「悠真せっきょくてき〜」
「うっせ」
ニヤニヤしながら言うんじゃねえっての。
こっちのほうが、お前が喜ぶだろ。
商店街に入る。
どの店もとっくに開いてて、店先の台には品物が出そろってる。
通りの先から、八百屋の呼び込みの声がしてた。
「あ、ねぇ、美味しそうなパン屋さん! 悠真、詳しいでしょ」
「詳しくはねぇ」
「メモ取ってるくらいだし!」
まぁそうだけどよ。
詳しくはねぇぞ、たぶん。
「そこは昼前にクリームパンが出るんだよ。……今日はやめとくか。これから飯だし」
「へえ……悠真、時間まで覚えてるんだ」
楽しそうに紗月が笑う。
良いだろ別に……。
流れで通りの先の角を見る。
「あそこな、去年まで自転車屋だったんだよな。今は何だあれ、花屋か」
「ふうん。……もっと教えて?」
もっとって言われてもな。
まあ、あるけど。
「あーあとは、和菓子屋の方は昼過ぎに出来立てのだんごが出るらしい。……たぶんだけど」
うろ覚えだけどな。メモ見ればわかるが。
言いながらふと隣を見たら、紗月が俺の顔を見て、笑ってた。
「……なんだよ」
「ふふっ、なんでもないよ」
なんだ、妙にご機嫌だな今日。
そのまま手をつないで歩く。隣からは鼻歌が聞こえる。
何がそんなに楽しいのやら……。
「そのメモ、けっこう溜まってるんでしょ? いつから書きはじめたの?」
「中学くらいからか? 店の名前、すぐ忘れるんだよ」
ちょうど料理作り始めたときもそのへんだったな。
「参考になりそうな味とかあるかと思ってな。なんかそのまま続いてる」
「そうなんだ。昔から料理好きなんだね!」
……好き、なのか?
言われてみて、最初は義務だったけど途中から楽しんでた時間も確かにあったような気がする。
「じゃあ、さくら亭? 行く? 悠真の順番でいいよ!」
そんな考えも紗月の声に遮られる。
……今は、コイツとのデート中だしな。
ぼーっとしてる場合じゃねぇか。
「そろそろ昼だしな。……行くか」
商店街の奥まで歩く。
古い暖簾の前で、足が止まった。
「……言っとくけど、古いぞ」
「わ、いい匂い。……お味噌汁の匂いがする」
聞いちゃいねえ。
つないでた手が抜けて、紗月はもう暖簾をくぐってた。
はえーよ。
中に入ると、厨房から鍋の音と、湯気のにおいがしてる。
「奥、空いてるな。行くか」
奥の席で向かい合って座る。
メニューより先に、あれだ。一応見とくか。
スマホを取り出す。
「あ、メモ? 『味噌汁が実家超え』でしょ?」
……あってる。
思わず紗月を見る。
上目遣いでこっちを見てる紗月と目が合った。
「……なんで分かんだよ」
「ふふっ。さっき思い出したんだ〜。前に見せてもらったとき、読んで覚えちゃってた」
前ってかなり前だよな……。
こいつ、そんなことまで覚えてんのか。
「だって、悠真が書いたやつだもん」
だから素でそういう事を言うなっての!
顔が熱い。
くっそー、少しは準備させろよな。
「……とりあえず頼むぞ。決まったか?」
「うん! 悠真と同じの!」
同じでいいのかよ。
店員さんに声をかけて注文する。
待つあいだも、紗月はなんか楽しそうに店の中を見回してた。
定食が届いた。
焼き魚に卵焼き、飯と味噌汁と漬物。
紗月は真っ先に味噌汁へ手を伸ばした。
「あちぃから気をつけて——」
「……あつっ」
遅かったか。
ていうかいきなり味噌汁いくなよ。
ふう、と一度冷ましてから、あらためて一口。
「……ん。ほんとだ、実家超えだ」
お椀を両手で持って、にこにこしてる。
認定はえーよ。
「甘くない卵焼き、初めてかも? ……おいしい!」
俺も食うか。
せっかくだし、味噌汁から、一口。
あったけえのが腹まで染みて、うまい。
そのまま黙々と食べる。
食べ終えて、箸を置いた。
「うまかったな……」
再現できるかはわからんけど、あのときのメモ通りの印象だった。
「うん! ……あのね、私も一個いい?」
「なんだよ」
「お漬物がずるい」
「たしかにな」
ぱりっとした歯ごたえと塩気で、何回でも箸が行くやつだった。
顔を見合わせて笑う。
「メモ追加しとくか」
「二人の共同作業だね!」
共同作業ってなんだよ。
苦笑しながら、『お漬物がずるい』と書き足す。
なんか、俺のメモに紗月の意見が載るの、変な感じがするな。
「書いておいたぞ」
スマホを紗月に見せる。
「……えへへ。なんか、いいね、こういうの」
「……まぁな」
悪い気は、しないな。
「そろそろ行くか」
「はーい」
会計を済ませて、外に出た。
「……このあと、もう一軒あるんだけど、いいか?」
「うん! もちろん!」
「木漏れ日って喫茶店だ」
「喫茶店……前、悠真と行ったところ?」
覚えてたか。
『コーヒーがウマい喫茶店』、だな。
「ああ……けど食べたばっかりだし、少し歩くか」
「うん!」
二人で商店街を歩く。
紗月は何が楽しいのか、ご機嫌で俺を引っ張りまわす。
俺もつい楽しくなって、いろいろメモに載ってる店を紗月に教える。
紗月はそのたびに驚いたり、喜んだり、表情が色々変わって面白い。
そんなこんなで時間はアッという間に過ぎて、いい時間になった。
二人で喫茶店の前に立つ。
「ここだな」
「なんか、懐かしいね」
「……そうだな」
ここに来たときはこいつとこんな関係になるなんて想像もつかなかったな……。
木の扉を開けて中に入る。
「……どうも」
カウンターの中の店の人が、俺を見て、黙って頷いた。
「ほら、いくぞ」
後ろできょろきょろしてる紗月を引き連れて、窓際の席にいく。
……いつも俺が一人で座ってるところ。
そこに、二人で着いた。
テーブル越しの紗月が、さっきの定食屋より近い。
……こんな近かったっけな、ここ。
紗月が店の中をぐるっと見て、それから声を落とした。
「もしかして、前来た時と同じ席?」
本当、よく見てんな。
「ここが座りやすいんだよ」
「ふ〜ん……雰囲気いいよね、このお店」
なんだよその『ふ〜ん』は。
目がキラッキラして、うれしそうに笑ってる。
なんだよ、その顔。
「紗月。飲むもん、どうする?」
メニューを紗月の前に開いて置く。
「えっと……私も、悠真と同じのがいい」
なら、あれだな。
「……じゃあ、いつもの、二つで。あと、こっちに砂糖、多めで」
店の人に、紗月のほうを指で示しながら頼んだ。
紗月が、テーブル越しにこっちへ身を寄せてくる。
「注文、メニュー見ないで言うんだ。……ふふっ」
「……別にいいだろ」
つい、いつもの癖がでちまった。
「ふふっ。全然いいと思う! なんかかっこよかった!」
カッコイイのハードルが低すぎるだろ。
顔が熱くなってるのをごまかすように目線をそらす。
紗月はご機嫌だ。
今日は本当、よく笑うな、こいつ……。
そんな風に話してたらコーヒーが届いた。
静かにテーブルに置かれる。
先に一口すすると、熱い。
……けど、いつもの苦さだ。
紗月もカップに口をつけて——。
「にがい……」
眉がへにょんとなった。
「砂糖つけたのに何で入れねぇんだよ……」
「だって悠真と同じもの飲みたかったんだもん」
「いんだよ、無理して合わせなくて。こういうのは人それぞれ、だろ?」
料理なんて特にな。
相手がおいしく感じて、喜んでくれれば、それでいい。
紗月がそれを聞いて、花が咲くように笑った。
「うん!」
それから紗月は砂糖を入れて、改めて口に含んだ。
「あ……おいしい!」
今度は眉がぴょこんと上がった。
それを見て、俺もつい笑う。
「だろ」
「うん! ……なんかいいね、こういうの」
「ああ」
なんだか、時間がゆったり流れる感じだ。
こいつと、こんなに落ち着いた時間が過ごせるなんて、あの頃には思いもしなかった。
窓の明るいほうに、紗月が手をかざした。
「ここ、あったかい」
窓の外を人が通る。向かいで紗月がカップを両手で持って、外を見てる。
……なんか、今日はついつい紗月を目で追っちまうな。
二杯目を二人分頼んだ。
気がつけば、店の客がひと組、入れ替わってた。
しばらく黙ってから、口を開いた。
「……もうちょい、いるか」
「いる。……だって、まだ半分あるもん」
紗月がカップを軽く掲げてみせる。
……そうだな。
じゃあ、もうちょいだ。
◇
会計を済ませて店を出たら、もうオレンジ色の光があたりを照らしていた。
商店街の出口を、二人で抜ける。
「もうそろそろ、日が落ちそうだな」
そのまま住宅街のほうへ曲がった。
紗月も、手をつないで、当たり前みたいに隣にいる。
人通りが、少しずつ減っていく。
「メモ、今日増えたね!」
「ああ、『漬物』、な」
自分のメモに、紗月の言葉が入っているのは何だか不思議な感じだ。
「ねぇ、悠真」
言いながら、紗月が手を離して、するっと腕を組んでくる。
「……歩きにくいんだけど」
退かすか、一瞬迷って——やめた。
今日は、このままでいい。
「……えへへ。今日はとっても楽しかった!」
そうかよ。
腕のとこが、あったかい。
そこから、なんでか、あんまり言葉が出てこなかった。
いつもの坂の下に着く。
紗月が腕をほどいた。
「じゃあ、またあしたね!」
紗月が、笑顔で、そう言う。
俺はそれ見て——。
「紗月」
「えっ——」
短く、唇に触れて——離れた。
心臓の音だけ、やたらでかい。
紗月は、目を見開いたまま固まってた。
「……え。……ゆ、悠真」
紗月が頬に手をあてる。みるみる赤くなっていく。
「……ずるい」
ずるいって何がだよ。
……そう返したかったのに、声が出なかった。
「えっと……も、もう行くね!」
紗月が背を向けて、坂を上っていく。振り返らない。
耳まで赤いのが、後ろからでもわかった。
「……また、明日」
やっと出た声は、掠れてた。
やったのは、俺だ。
……なんで、だろうな。
坂の上に紗月が見えなくなっても、
俺はしばらく、そこから動けなかった。




