第67話 悠真、手作りマフィンで紗月に「よけい好きになっちゃう」と不意打ちされる
卒業式が終わって、三月も半ばの放課後。
風はまだ冷たい。
……ホワイトデー、か。
バレンタインに、紗月から手作りのチョコをもらった。
もらったら、返す。それも、手で作ったもので。
作るのは、マフィン。
……そう決めたのは、いいんだ。
問題は、俺が菓子なんてほとんど作らねえってことだ。
作り方が、さっぱりわからん。
そんなことを考えてたら、隣の席の矢野がスマホをいじりながら言ってきた。
「で、悠真。もうすぐホワイトデーだけど、結局どうする気だよ」
画面から目も上げずに、そう聞いてくる。
スマホやるか俺に聞くかどっちかにしろよ……まぁ慣れたもんだけど。
「……一応、考えてはいる」
そう言うと矢野はスマホから顔を上げて、少し感心したように目を瞬く。
「へぇ……まあ、頑張れよ」
矢野はそれだけ言って、スマホに戻った。
なんだよ、今の反応……。
「……おう」
まぁいいか、気にしてもしゃーねぇ。
そう思ったタイミングで、教室のドアから紗月の声がした。
「悠真、帰ろ!」
いつも通り、隣にぴょこっとくる。
「おう……帰るか」
「うん!」
◇
紗月と手をつないで帰り道を歩く。
紗月が色々話しかけてくるけど、いまいち上手く返せねぇ。
まぁ……原因はわかってるけどさ。
はぁ……まぁ、言うしかないか。
こいつの顔が少し曇るのが嫌だけど、仕方ない……。
「紗月。……あー、今日さ」
「ん?」
「悪い。今日は……うちで、ちょっと用があって。飯、作りに行けねえんだ」
我ながら、言い方が下手すぎる……。
「え。悠真、今日ごはん来れないの?」
紗月の足が、ぴたっと止まった。
「今日だけ、パスさせてくれ。悪い」
「用って、なに? めずらしいね」
「……いや、家のこと。ほんと、たいしたことじゃねえんだって」
具体的なことは言えないから、つい目をそらす。
「えー……今日、悠真のごはんだと思ってたのに」
紗月が、ちょっとだけ唇をとがらせる。
……そんな顔すんなよ。罪悪感がすげえんだよ。
俺は返す言葉に詰まって、黙り込んだ。
「……ん、わかった! じゃあ、用事がんばってね」
紗月は、あっさり切り替えて笑った。
……こういうとこ、ほんと助かる。
と思ったら、歩き出しかけて、ふと足を止めて、こっちを見た。
「……あ。そういえば悠真、この前もお菓子屋さんの前で、ぼーっとしてたよね。ねむいの?」
……見てたの、覚えてたのか。
「……いや。ぼーっとくらい、普通にするだろ」
しらばっくれる。
っていうか、それ以外の選択肢がねぇ。
「んー……ま、いっか!」
紗月はあっさり引き下がって、くるっと前を向いた。
……セーフだ。危ねえ。
「じゃあ、明日は絶対来てね? 約束!」
「おう。明日は、ちゃんと行く」
紗月は満足そうにうなずくと、つないでた手をほどいて、家のほうへ歩いていく。
その背中を見送って、俺は一つ、息を吐いた。
……よし。ここからだ。
◇
夜。
うちのマンションの、狭い台所。
親父も母さんもまだ帰ってなくて、今なら誰にも見られずに済む。
材料は、もう買ってある。
タイミング見て、まとめて買っといたやつだ。
何度も買い出しに行くと、母さんに勘づかれるからな。
粉、砂糖、卵、バター、あとベーキングパウダーってやつ。それと、マフィンの型。
……ここまでは、いい。
で、これをどうすりゃマフィンになるんだ?
スマホでレシピは調べた。
調べたけど、なにか物足りない気がする。
と、グダグダ考えながらスマホの画面を見て小一時間。
画面には『橘兄』の文字。
あのとき無理やり交換させられた連絡先。
物足りないものが何か、何となくここに答えがある気がする。
けどなぁ、橘兄、かぁ……。
さっきから、かけるか、かけまいか、行ったり来たりしてる……。
……しょうがねえ。聞くか。
ええい、うだうだしてても始まらねえ。画面をひと睨みして、勢いで発信をタップする。
ワンコールで繋がった。
ちょ、はやすぎだろ!!
心の準備が……!!
「……水野か」
「あ、え、えっと、はい……水野です。その、夜分に、すいません。今、ちょっと大丈夫ですか?」
ちょっと動揺したけど、ここからだぞ、俺!
踏ん張れ!
「時間は気にするな」
相変わらず静かで、淡々とした声だ。
電話越しだと余計緊張すんな……。
「用件は」
「あの……橘さんに、教えてほしいことがあって、それで」
電話の向こうは、何も言わずに黙って待ってる。
この待たれる感じ、苦手なんだよな……。
そうも言ってられねぇけど……。
「……ホワイトデーの、お返しなんですけど。紗月に、マフィン作ろうと思ってて」
言いながら、声が少しうわずった。
「マフィンか。……いいだろう」
即答かよ。
「レシピはネットで見たんです。見たんですけど……なんか物足りないと思って」
「分量は俺が言う。書き取れ」
いきなりだな!
「ちょ、ちょっと待ってください。メモ、メモ取るんで……」
俺はあたりを見回して目に入ったチラシの裏を引っつかんだ。
ペンもテーブルにあったやつをそのまま使う。
「量りはあるか。……目分量は認めない。量れ」
「……あります」
「これから言うのは基礎だ。……基礎のない菓子を、紗月には食わせられない」
大真面目だ。
まぁ、そうだよな。紗月にあげるもんは、できる限りいい物をあげたい。
「はい……よろしくお願いします」
「……焼きは、初めてだったな」
去年の暮れ、生地までは橘兄のとこでやらせてもらった。その先は、確かに初めてだ。
「よし。粉、百五十。ベーキングパウダー、六。砂糖、八十。バター、八十。牛乳、五十。卵は一個だ」
本当に分量だけ飛んできた!
チラシの裏に、必死でペンを走らせる。
「す、すいません、バターもう一回……」
「八十」
単語! 単語だけで返ってくる!
「混ぜは、粉が見えなくなったら終いだ。そこから先はこねるな。膨らみが死ぬ」
「え、ちょっ……」
「予熱は百八十度。……焼けたかは色ではなく、串を刺して、生地が付いてこなければ上がりだ」
メモを取る手が、追いつかない。
こねるな、百八十度、串……ちょっと待て、早えって!
「一つ渡すなら、六つ焼け。しくじる分を見込んで、人に出せるものだけを渡せ。……当然だろう」
当然、って声で無茶を言う。
……いや。無茶だけど、間違っちゃいねえんだよな。悔しいことに。
ネットのレシピで物足りなかったのは、多分こういうやつだ。
電話の向こうでは、さっきから、規則的な音がかすかに続いてる。
……喋りながら、手も動かしてんのか、この人。
……そういや、紗月はこれ、一人でやったのか。すげえな。
で、俺はその兄貴に電話中、と。
「……すいません、なんか。よりによって橘さんに、こういうの……」
つい、苦笑いがもれた。
と、電話の向こうの音が、ふっと止まった。
「……紗月が、菓子をもらう側にな」
その声が、ほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。
「……手作り、か。……悪くない」
独り言みたいに、そう言う。
「……だと、いいんですけど」
「……味は、うちの親父のほうが俺よりうるさいぞ」
……親父さん。
「……おとうさん、ですか」
紗月の父親。俺はまだ会ったこともない人だ。
いつか会うのかね……。
いや、まだ先だろ、先。今はそれよりお菓子作りだ。
「ああ。会えばわかる。あとはやれるか」
「あ、はい。ありがとうございます。助かりました。あとは頑張ってみます」
「ああ……何かあればまた連絡をよこせ」
予想外の言葉。
「あ……ありがとうございます!」
「ではな……精進しろよ、水野」
そう言って電話が切られた。
精進か……。
よし!
とりあえずメモを、見返して、やってみるか!
教わったとおり、粉を量って、卵を割って、混ぜて、型に流す。
オーブンにセットして、待つ。
やがて、焼き上がりのブザーが鳴った。
オーブンを開けて、中を覗き込む。
「……うわ。真っ黒じゃねえか」
こんがり、を通り越してる。
串を刺すとか色を見るとか、それ以前の問題だ。
一個つまんで、かじってみる。
……苦え。炭だ、これは。
「……はー。もう一回だな」
まあ、一発でうまくいくとは、端から思ってないけどな。
焦げたやつをかじりながら、時計を見上げた。
そのとき、玄関のほうから鍵の音がした。
「ただいまー」
母さんだ。時計は、もう二十一時を回ってる。
……やば!
片付けが、間に合ってねぇ!
……匂いもだ。焦げ臭ぇの、思いっきり残ってる。
台所を覗きにきた母さんと目が合う。
「あら……。なに作ってたの?」
「……あー、うん。ちょっと、練習」
目をそらしながら答える。
「ふーん、練習、ね。……そういえば、もうすぐホワイトデーねえ」
母さんはそれだけ言うと、にやっと笑って廊下のほうへ戻っていった。
……勘弁してくれ。
◇
次の日の夜。ホワイトデーはもう明日だ。
いつも通り、紗月んちで飯を作って、食べて、いつもの時間に帰ってきた。
昨日パスした分かわからないけど、紗月がめっちゃ絡んできたな……。
よっし……とりあえず、やるか!
腕まくりして、台所に立つ。
並んでるのは、昨日と同じ道具。
早速取り掛かる。
昨日練習しておいたおかげか、粉を量る手も落ち着いてる。
混ぜすぎない。焼き加減を見る。串を刺す。……生地は、付いてこない。
オーブンを開ける。
「……お。今度は、膨らんでる」
こんがり、いい色だ。
焦げてない……よかった。
「よっし!」
出来上がったマフィンから、かたちのいいやつを選んで、小箱にそっと詰めた。
そこでふと思う。
……まずかったら、どうしよう。
いや、味見はした。
たぶん、大丈夫だ!
……たぶん。
◇
そして、ホワイトデー当日。
紗月んちで飯を食い終わって、片付けも終えた。
お母さんは奥に引っ込んでて、今、リビングには俺と紗月の二人だけだ。
……渡すなら、今しかねえ。
少し、深呼吸をする。
覚悟を決めて俺は、鞄の中から小箱を取り出した。
「……なあ、紗月」
顔は、少しそらしたまま。
「これ。……やる」
小箱を、ぶっきらぼうに差し出す。
「……え?」
紗月が小箱を受け取る。
「マフィン。……今日、ホワイトデーだろ」
目を合わせないまま、付け足す。
「……これ、悠真が、作ったの?」
じっと箱を見つめてから、紗月が小さな声で言った。
「……まあ。一応、な」
耳の先が、じわっと熱くなった。
手のやり場に困って、拳を軽く握る。
「え、これ……私に? お返しに、作ってくれたの……?」
一拍、遅れて——紗月が、ぱっと顔を上げた。
「もらいっぱなしってのは、性に合わねえからな」
「……こっそり作ってくれてたんだ。ぜんぜん、気づかなかった」
紗月は、小箱を両手で包み直す。
「ふふ、なんか……私のときと、おんなじだ」
そう……だな。
お互い、同じことしてんな。
思わず笑う。
「ふふ、笑ってどうしたの? ねぇ、食べてもいい?」
「ああ、ちょっとな。おう、そのために作ったからな」
「うん……いただきます」
紗月が、一つ手に取ってぱくっとかじった。
「ふわふわで、おいしい!」
もぐもぐしながらの即答だ。
……よかった。
思わず胸をなでおろす。
「……ふふっ。ねえ悠真、これ、ちょっとへこんでるとこあるよ?」
そう言って紗月が箱の中を覗き込む。
「ぜったい、何回か失敗したでしょ? ね?」
いたずらっぽく、笑う。
「……仕方ねぇだろ。菓子は普段つくらねぇし……」
ぶっきらぼうに返す。
ふと紗月を見ると、箱を見つめたまま、何度かまばたきをしてた。
……ん?
なんか、目のふちが、赤くないか?
「……おい、大丈夫か?」
なんかしたか、俺?
「……っ、えへへ。ちがうよ、これ、おいしすぎるからだもん」
紗月が指で目もとをこすって、笑う。
「……そうかよ」
ちょっと引っかかったけど、俺はそれ以上、追わなかった。
「……あ。そっか。この前『用がある』って言ってたの……これ、だったんだ」
紗月が、はっとしたみたいに言う。
「もう、言ってくれたらよかったのに。……あ、今のなし。びっくりしたもん、こっちのほうがいいよね」
小箱をそっと胸に寄せる。
「……もう、悠真は。……よけい好きになっちゃうよ」
心臓が跳ねた。
……不意打ちすぎるだろ。
「……はいはい」
好きだの何だの、こいつはほんと、軽く言う。
……まあ、いいか。今日は。
「もう、『はいはい』じゃないもん」
紗月が、ほっぺをふくらませる。
……でも顔は、楽しそうに笑ってた。
紗月が小箱を大事そうに抱え直す。
へへっ、と、嬉しそうに笑ってる。
……まあ。
喜んでんなら、焦がした甲斐も、あったな。




