第60話 悠真、紗月を家に上げた日に限って母が早く帰ってきて慌てる
平日の昼間。紗月と二人で街をぶらついてる。
入試で学校は休み、なんていう、なんだか得した気分の一日だ。
「普通の日にこうやって歩いてるの、なんか贅沢だね!」
隣で、紗月が白い息を吐きながら言う。
「贅沢か……まあ、確かにな」
商店街は、いつもより人がまばらだ。
「ね、悠真ってさ、休みの日いつもなにしてるの?」
「いつもって……別に。だらだら寝てるか、適当にメシ作るか」
「えー、見てみたい。悠真のおうち!」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
脈絡なさすぎだろ……。
「だってさ、私いっつも自分のおうちで悠真とご飯食べてるけど、悠真のおうち、行ったことないなって。今、気づいた!」
……言われてみれば、そうだな。
毎晩こっちが紗月んちに通ってるのに、逆はないか。
「でも、なんもないぞ。ほんとに普通の家だから」
「普通のおうち、見たい! ね、行こ? ね?」
紗月が、繋いだ手を、ぐいぐい引っ張ってくる。
……どうすっかな。
父さんも、母さんも、いつも夜遅くに帰ってくるし、今日もどうせ遅いだろう。
昼に連れていったって、誰もいない……。
って別に、変な意味じゃないぞ!
ただ、自分の部屋を見せるだけだ!!
……俺は誰に言い訳してんだ。
「……」
迷う。
……まあ、ちょっとくらいなら、いいか。
「……親、今日も遅いはずだし……まあ、ちょっとなら、な」
「やった! 決まりだね!」
紗月が、ぴょんと跳ねた。
親のいない家に彼女連れ込むとか、冷静に考えるとヤバくないか?
そんなことを思ったが、紗月の無防備そうな顔を見て、極力考えないように、意識しないようにした。
…………意識すんなよ、俺!!
◇
駅前から少し歩いて、うちのマンションに着いた。
「わ、マンションだ! ……えっ、エレベーターないの?」
紗月が、入り口を見上げて、目を丸くしてる。
「ない。小さいマンションだからな」
「なんか、いいね。のぼるの楽しい!」
「楽しいことなんもねえだろ」
「あるよ! 階段でおうち行くの、なんか探検みたいでしょ?」
「探検て……ただの三階だぞ」
豪邸育ちは言うことが違う。
ただの階段が、こいつにかかると探検になるらしい。
「ふふ、悠真、毎日ここ通ってるんだね」
「まあな。……ほら、着いた。ここ」
鍵を開けて、ドアを開ける。
「お、お邪魔します……!」
「そんなかしこまんなくていいって。適当に上がれよ」
紗月が、靴を揃えて、おそるおそる上がってくる。
「……わ、ほんとに普通のおうちだ!」
「だから言っただろ」
「ううん、そういうんじゃなくて……なんか、ほっとする。落ち着くなあって!」
……紗月んちのあの広い家だと、落ち着かないのは分からんでもない。
「……そこがリビング。で、奥が俺の部屋」
「そこが悠真の部屋? ……入っていいの?」
「……勝手にしろ。あさるなよ」
「あさらないってば!」
普通の、なんの変哲もない部屋だ。
散らかってはない。普段からこんなもんだ。
見られて困るもんは、特にない……はず。
「あ、料理の本いっぱい! 悠真、こんなに持ってるんだ」
紗月が、本棚の前にしゃがんで、背表紙を見てる。
「まあ、参考にすんだよ」
そう言ってるそばから、紗月が一冊、引っ張り出した。
「……ん? これ、料理の本じゃない。手書きだ……」
——あ。
その瞬間、頭の中が、すっと冷えた。
台所で味を直したときに書き足してる、ノート。
普段は料理本のあいだに突っ込んだままだったから、忘れてた。
ヤバ……!
「えっと……『紗月、ピーマンだめ』……『甘めが好き』……あれ、これって……」
「ちょ……!」
まてまて、読み上げんな!!
「……えっ。これ、ぜんぶ、私の……?」
「……っ、見んな!」
とっさに手を伸ばす。
「えへへ、もう見ちゃった! 悠真、こんなに……っ」
紗月が、ぱっと顔を輝かせて、ノートを胸に抱え込む。
俺の手は、空を切った。
「作るとき忘れねえようにメモってるだけだろ……ただの料理のメモ! 返せって!」
「ふふっ、顔まっかだ!」
「赤くねえよ!」
顔が熱持ってる気がするけど気のせいだ!!
あれは、毎晩こいつの飯を作るために、好き嫌いだの、その日うまくいったやつだの、つけてただけだ。
ただの、メモ。それだけ。
……それだけだ!
でも最近のページは、どこも紗月のことばっかり書いてある気がする。
……彼氏なんだからいいだろ!
そう、問題はねぇ!
「……ほら、もういいだろ。返せ」
開き直った俺が手を出すと、紗月は名残惜しそうに、もう一度だけ表紙をなでてから、ノートを渡してきた。
それを、本棚に押し戻す。
「ただいまー」
そのタイミングで玄関のほうから、声が聞こえた。
「……は?」
え、待て待て待て……!
母さんの声だ!
「あれ……今の、誰か帰ってきた?」
紗月が、不思議そうに首をかしげる。
「母さんだ……! なんで今日に限って早いんだよ……っ!」
血の気が、引く。
いつも帰ってくるの夜遅くだろ!
早く帰ってくるのはいいけど、タイミングよすぎだろ!!
「悠真ー、いるんでしょ? ……あら、この靴。お客さん?」
……あ、玄関に紗月の靴があったな……。
……手遅れだな……。
「……っ、おい、行くぞ。隠れてるほうが、ぜったい気まずい」
ここで部屋にこもってたって、どうにもならん。
紗月の手を引っ張って、部屋を出る。
廊下に出たところで、母さんと、ばったり、顔を合わせた。
母さんが、足を止める。
紗月を、上から下まで、ゆっくり見て。
「……あら」
なんか、メッチャ驚いてる顔してる。
そういや、こいつ、今更だけど学園のアイドルとか言われるくらい可愛いんだよな……。
そりゃ、驚くか……。
「……あー、母さん、おかえり。その、こいつは……」
言いかけて、続きが出てこない。
なんて紹介すりゃいいんだ、こういうの。
その横で、紗月が、ぴたっと固まってた。
……ああ。
こいつ、正月の電話んときから、どんな顔して会えばいいだの、心の問題だの、さんざん身構えてたんだよな。
それなのに、いきなり本番が来た。
なんか、コイツの兄貴との出会いを思い出すな……。
軽く現実逃避してると、紗月が再起動した。
「……っ、は、はじめまして……! 橘紗月って、いいます!」
あわあわしながら、すごい勢いで頭を下げる。
「あらあら。……可愛いお嬢さんねえ」
母さんが、ふっと、表情をやわらげた。
それから俺を見て、ニヤニヤする。
「へえ。……道理で、最近うちでご飯食べないわけだ」
「うっ……」
話してないのに色々バレてる……!
「あ……えっと、その、あはは……ご、ごめんなさい、私のおうちで、毎晩……」
紗月が、頭をかきながら、あははと笑う。
ちょ、事実なんだけど、後で俺から言いたかったなぁ!
恐る恐る母さんを見る。
母さんは呆れた顔して俺を見て、その後にっこりと紗月に微笑んだ。
「ふふ。いいのよ、責めてるわけじゃないんだから。……ま、ゆっくりしていって。……悠真は後でね……」
母さんが、最後にボソッと呟き、そのままひらっと手を振って、台所のほうへ消えていく。
……後で謝んないとな。
それはそれとして、色々聞かれるんだろうなぁ……。
「は、はい……! お、お邪魔してます……!」
紗月が、母さんの背中に、ぺこぺこ頭を下げてる。
俺は思わぬイベントに、自然とため息を吐いた。
◇
あのまま部屋に二人で籠るわけにもいかず、俺たちはリビングのソファーに座った。
となりの紗月はソワソワしてる。
「まあ座って。お茶でも淹れるから」
母さんが、台所から声をかけてくる。
「あ、お構いなく……!」
「いいから座ってちょうだい。……はい、お茶。お茶請けはこれくらいしかないけど、ごめんなさいね」
母さんが、湯呑みと煎餅を、ことっと置いた。
「わ、ありがとうございます!」
紗月が、ぱっと顔を上げて、笑顔でお礼を言う。
……こういうとこ、ほんと、人懐っこいよな。
「……ねえ、紗月ちゃん。毎晩うちの悠真がお邪魔してるんでしょう? おうちの方、ご迷惑じゃない? 食事のことだって……」
母さんが、ちょっと真面目な声を出した。
その言葉に冷や汗が出る。
確かに、勢いで色々やってるけど、考えが足りなかったな……。
「あ、いいえ。うちの母が、悠真ならいつでもどうぞって……。それに、ご飯は悠真が作ってくれるから、私、たすかってるくらいで……!」
紗月が、ぶんぶん手を振って答える。
おい、余計なこと言うなよ。
「あら……悠真が、作ってるの」
母さんの目が、こっちに向いた。
思わず目をそらす。
母さんは少しだけ俺を見ていた気配がしたが、すぐに紗月に向き合った。
「……そう。でもね、夕飯の支度までさせてもらってるなら、こっちもきちんとしないと。紗月ちゃんのおうちに甘えてばかりじゃ、悪いもの」
言いながら、母さんが、ちょっと声を落として、俺のほうを見た。
「悠真。……さっきもいったけど」
「……っ、わかってるよ」
……これ、追加で説教されるパターンだな……。
母さんが、また紗月のほうを向いて、ふっと和らぐ。
「ごめんなさいね、堅い話しちゃって。お茶、冷めないうちにね」
「い、いえ……!」
「……それで。紗月ちゃんは、悠真のどこがよかったの? こんな無愛想な子」
「……いらん質問すんなよ」
なんでそういうことを本人の前で聞くんだよ。
いや、本人の前じゃなくても聞いて欲しくねぇけど。
「えっと……」
紗月が、ちょっと考える。
「……悠真、私がいろいろ言っても、嫌なときはちゃんと『嫌だ』って言ってくれるんです。最後にはやってくれるし……だから、なんか、安心するっていうか、えっと……」
顔を真っ赤にしてそんな事を言う。
やめろよ、俺まで恥ずかしくなるだろ……。
「……へえ」
母さんがニヤニヤしながら俺を見る。
……こっちみんな。
ていうか、別に俺はただ、嫌なもんを嫌って言ってるだけだろ。
あと最後には折れてるだけだし……。
褒められても、こっちが困るわ……!
「ふふ。そう。……いい子ねえ」
母さんが、にこっと笑った。
……メッチャ恥ずい。
間が持たなくて、俺も湯呑みに口をつけた。
紗月も隣で、湯呑みを両手で包んでお茶をすすってる。
その顔が、俺と母さんをいったり来たりしてる。
「……どうした?」
「え!? あ、ううん、なんでもないの!」
紗月はハッとして慌てたように言った。
「あ、お母さん、このお茶おいしいです!」
何もなかったかのように、紗月は話を続けた。
……さっきの、なんだったんだ?
「ふふ、おかわりもあるからね。……紗月ちゃん、また来てね」
「……っ、はい! 来ます!」
紗月が、ぱっと顔を輝かせて、大きくうなずいた。
◇
「気をつけてね。紗月ちゃん、気軽に来てね?」
帰り際、母さんが、玄関先まで出てきて、紗月に手を振る。
「はい! ありがとうございました……!」
紗月が、ぴょこっと頭を下げて、外に出る。
「……じゃ、送ってく」
「ふふ、いいの?」
「暗くなる前にな。それだけだ」
マンションを出て、二人で歩く。
「えへへ。……ね、悠真のお母さん、面白かった!」
「面白くはねえだろ……」
あれは、息子をネタにして遊んでただけだ。
「面白かったよ! あったかいおうちだったなあ」
「……普通の家だっつったろ」
「うん。普通で、あったかかった」
紗月が、にこにこしながら、そう言う。
なんだかわからんが……さっきの一瞬が、ちょっとだけ、引っかかった。
でも、今はこんなに笑ってるしな。……まあ、いいか。
俺は、隣を歩く紗月のペースに、足を合わせた。
いつも通り色々話しながらそのまま歩いて、紗月んちへ続く坂の下まで来た。
「じゃ、俺はここまでな」
「うん。送ってくれて、ありがと」
手を振る紗月に背を向けて、来た道を引き返した。
◇
悠真に送ってもらって、坂をのぼる。
今日のこと、まだぜんぶ、残ってる。
料理のノートも、お母さんの「また来てね」も。
えへへ。あのおうち、私、好きだなあ。
胸の奥が、まるくなる感じ。
なのに、なんでだろう。その同じところが、笑ったあとで、ちょっとだけ、きゅっとなる。
……これ、なんなんだろう。
わかんない。わかんないまま、坂をのぼった。




