第59話 悠真、3学期初日の教室で紗月に「あーん」され、抵抗むなしく詰む
歩きながら、はー、と白い息を吐いた。マフラーに口元をうずめて、足を速める。
隣を、紗月が歩いてる。
冬休みのあいだは、毎晩こいつの家で一緒に飯つくって、二人で食って、それで終わり、だった。
けど、今日からは違う。
三学期、初日。
毎日会ってたせいか、すっかりこいつのペースに慣れちまった……。
学校では気をつけないとな。
特にこいつの家に行ってるとかバレたら洒落にならん……。
「悠真、寒いねー!」
隣で紗月が、白い息を吐きながら言う。
その手は、当たり前みたいに、俺の手と繋がってる。
これも慣れたもんだ。
……微妙に手汗をかいてるのは気のせいだ、たぶん。
「お前、ほんと寒がりだな」
「だってほんとに寒いんだもん。ほら、手、あっためて!」
冷たい手が、ぎゅっと握り直してくる。
ドキッとするからやめろ!
そんな紗月の髪には、あの髪飾りが、ちらっと光ってた。
……なんか気恥ずかしい。
まあ、似合ってるけどな。
俺の首には、いつも通り、紗月が編んだ紺色のマフラーが巻いてある。
「はよ。ふたりとも、今日もくっついて登校か」
後ろから、気の抜けた声がした。
矢野だ。
「おはよ、矢野くん!」
「ああ。……お前ら、冬休みのあいだに、なんか距離縮まってねえ?」
「気のせいだ」
「そうか?」
矢野は手をポケットに突っ込んで、半歩後ろをだるそうに歩いてくる。
……こいつがいると、ちょっと、助かる。
二人だけだと、なんか、調子が狂うからな。
◇
教室に着いて、鞄を席に置く。
久しぶりの二年B組は、冬休み明けで、みんなどこか気が抜けてる。
なのに、後ろの掲示板の前には、ぽつぽつ人だかりができてた。
なんだろうと思って、覗きに行く。
貼り出されてたのは、模試の日程やら、進路相談の案内やら、そういうやつだ。
「うわ、もうこんな時期かよ」
「だなー。進路か〜どうすっかな」
近くで、誰かがそんなことを言ってる。
進路。
……ああ、そうか。
二年も、もう三学期だ。
あと少しすれば、自分の将来を考えないといけなくなる。
なんとなく、胸の奥が、ちょっとだけ、ざわっとした。
……あいつは、どうするんだろう。
いや、それより、もし二人の進路が別々になったら——。
そこまで考えて、首を振る。気が早すぎる。
まあ、今はまだ、先の話だ。
考えるのは、また今度でいい。
ふと、別のことが頭をよぎった。
そういやあいつ、正月に「次は、私の番ね」とか言ってたよな。
覚悟しとけ、とかなんとか。
あれから、もう一週間だ。
まだ何もない。
まさか学校でなにかするつもりじゃねぇよな……。
席に戻りながら、ちょっとだけ、身構えた。
◇
昼休み。
「悠真ー!」
弁当箱を抱えた紗月が、二年B組のドアから、ひょこっと顔を出した。
その後ろから、パンを片手に持った宮田が、やれやれって感じでついてくる。
「玲奈、こっちこっち!」
「はいはい。……あんた、ほんと、迷いもなく水野の教室にいくね」
二人が、当たり前みたいに入ってくる。
前から思ってたけど、こいつら別クラスなのに堂々としすぎだろ……。
「屋上、寒すぎて無理だったの。だから、ここで食べよ?」
言いながら紗月は、空いてる席を引っ張ってきて、俺のすぐ横に座ってる。
……近い。
いつものことだけど、教室だと、なんか余計に近く感じる。
「お前、近ぇって。ここ教室だぞ」
「えへへ、いいじゃん! 好きな人とは近くにいたいし!」
弁当箱を開けながら、ついでみたいに、さらっと言った。
朝の挨拶か、ってくらい軽いトーンで。
「……っ」
こいつ、気軽に言いすぎだろ……。
なんか、顔が少し熱い。
「……はいはい」
「ひどーい。ぜんぜん心がこもってない返事ー!」
「飯のついでに言うことじゃねえだろ、それ」
流したつもりだ。
……つもりなんだけど、たぶん、顔が赤い。
くそ、耐性が抜けてんな、俺。
すぐ前の席に腰かけた宮田が、パンの袋を開けながら、こっちをちらっと見て、ふっと笑った。
なんだよ、その顔。
何か言いたいなら言えよ。
「はい、これ、あーん」
「は?」
目の前にいきなり卵焼きがあった。
紗月が横から差し出してきてる。
心臓が、跳ねた。
ちょ、だから待てって!!
「私のお弁当の卵焼き、おいしいんだよ。あげる」
「い、いらねえ。自分で食える」
片手を上げて、待て、の形をつくる。
「いいから、あーん」
「教室でやめろ!」
「えー、なんで?」
紗月が、きょとんと首をかしげる。
「だって、ご飯わけっこ、おうちではいつもやってるもん」
「家の話はいいんだよ! とにかく、ここでやるな!」
そこでなんか周りが一瞬ざわついた。
「えっ、じゃあ、教室じゃなければいいの?」
「そういう問題じゃねぇ!」
「えー、どういう問題?」
……うっ。
卵焼きを差し出したまま、紗月が、本気でわからないって顔で、こっちを見てる。
どういう問題、って言われると——困る。
いや、問題は、ある。
あるんだけど、それを、どう説明すりゃいいんだ。
「だから、それは……えっと」
「ん?」
「……人が、見てんだよ」
絞り出すように言って、教室をちらっと見回す。
「見られてんだろ、俺ら。だから」
「みんな、別に気にしてないよ?」
「気にしろよ、ちょっとは……」
完全に、論破された側の言い分だ。
なんでこいつ相手だと、正論がいつも空回りすんだ。
「まぁ、いいじゃん、はい!」
「むぐっ……」
結局、無理矢理食べさせられた。
味は、よく、わからなかった……。
「ねえねえ……ちょっと、見て」
近くの女子グループから、ひそひそ声が聞こえてきた。
「橘さんと水野くん、なんか今日、距離近くない?」
「ね、近い。冬休み前より、なんか……雰囲気変わった気がする」
「えー、もともとくっついてたじゃん」
「いやでもなんか、今日のは……うん、違う。空気が違うって」
「ていうか家って言ってたよね?」
「確かに、ヤバ……」
声を落としてそんなことを言い合ってるのは、中村たちだ。
やべぇ……。
朝の嫌な予感が当たっちまった。
頭を抱えていると、紗月が不思議そうな声で言った。
「どしたの?」
「どしたの、じゃ、ねぇ……」
なんでコイツは分からないんだ……。
少しは察しろという視線を送る。
すると、変な勘違いをしたのか、今度はしれっとウィンナーを俺の口に突っ込もうとしてくる。
「あーん」
「だから——っ」
そんなやり取りをしてると、ずっと自分のパンをちぎりながら見物してた宮田がつっこんできた。
「ねえ紗月、あんた、もうちょっと手加減ってもんがあるでしょ」
「えー、だって悠真に食べてほしいんだもん」
「……押しに拍車がかかってるね」
宮田が、呆れた顔で、ぱくっとパンをかじる。
「水野」
「なんだよ?」
宮田が、俺と紗月を、交互に見た。
「あんた、実は楽しんでるの?」
「……仕方なく、だ」
「仕方ないって顔じゃないけどね」
ぐっ。
「あ、玲奈も食べる? はい、あーん」
「いらない。自分で食べる」
即答だった。
「えー、玲奈もそう言うー!」
「あたりまえでしょ。昼休みの教室で、なんで親友にあーんされなきゃいけないのよ」
宮田が、ぴしゃっと言って、パンをもう一口かじる。
「だよな」
思わずうなずく。
「……ぶー」
紗月が、ウィンナーを構えたまま、心外そうに頬をふくらませる。
すると、それまで黙ってポテチをかじってた矢野が、半目のまま、ぼそっと口を挟んだ。
「橘、まだやるのか、それ」
「だって、まだ食べてほしいおかず、いっぱいあるんだもん」
「そうか、まぁ、がんばれ。こいつ、押しには弱いから」
うるせえ。余計なこと言うな。
すかさず、宮田が言う。
「水野、口ではぎゃーぎゃー言うけど、なんだかんだ最後は食べてるんだよ。前からそうだし」
「だな」
顔を見合わせた宮田と矢野が、二人とも、やれやれって顔をしてる。
コイツら……。
変なところで息合わせんなよ……。
「ほら悠真、玲奈も矢野くんも、もうあきらめろって言ってるよ。はい、あーん」
「誰も、そんなこと言ってねえ!」
結局、そのあとも紗月の「あーん」は止まらなかった。
俺の抵抗もむなしく、何度か食べた。
いつも俺が折れるの、どうにかなんねぇかな……。
そうこうして昼飯を食べ終わると同時に、チャイムが鳴った。
「あ、予鈴だ。紗月、行くよ」
宮田にうながされて、紗月が、ぴょこっと立ち上がる。
「はーい。悠真、食べてくれてありがと! そういうところ好き! じゃあまた放課後ね! バイバイ!」
だから、いきなりそういう発言するな!
「……おう」
紗月は、宮田と一緒に、D組のほうへ戻っていった。
その背中を見送って、俺は、ふぅ、と息を吐く。
改めて……嵐みたいなやつだな、ほんと。
矢野も、ポテチの袋を綺麗にたたんでいる。
こういうところ、無駄に几帳面だよな、コイツ。
俺も弁当を片付け、授業の準備をしてると——。
「水野ー!」
でかい声が飛んできた。藤川だ。
「お前、橘さんの家で毎日メシ食ってるってマジかよ!?」
「……何の話だ」
「みんな言ってるって! 昼休みのあーんに、橘さんちで毎日メシ……もう完全に新婚じゃん!」
思わず頭を抱える。
なんか噂が広がってる……!
事実なだけに何も言えねぇ……!!
横目で矢野がニヤニヤしてるのが見える。
「……知らん」
「えー、白状しろよ水野!」
「……ノーコメントだ!!」
「なんだそれー!」
これ以上しゃべったら、ボロが出そうだ。
藤川は「えー、つれねえなあ!」としつこかったけど、相手にしないでいると、「ま、いいや。お幸せにな!」とあっさり自分の席へ戻っていった。
矢野が、「ネタ提供おつかれ」とだけ言って、ポテチを捨てに行った。
コイツいつか絶対泣かす……!
俺は、ため息をついて自分の席に深く座り直す。
冬休み前の距離感がわからねぇ。
……っていうか、これが『私の番』、か?
これ以上はないよな……?
嫌な不安を抱えながら、俺は、ぽすっと机に頬杖をついた。




